20代という節目

今月で30歳になった。30歳になる前日は、あらゆる行為に「20代最後の」という枕詞をつけた。もちろん当日は、あらゆる行為に「30代最初の」をつけた。わりと楽しかった。

年齢という概念は、つくづく不思議だなぁと思う。心と身体(と頭)は地続きであるのに、まるで明確な区切りがあるかのように振る舞う。生まれた月日から毎年カウントをして、人々はそこに意味を託す。

人は流動的で変わりゆくものだ。ただ、年齢で物事を過度に捉えることには、あまり熱心ではなかったと思う。

学生、20歳、新卒。あらゆるところで「若いね〜!」と持て囃すように言われた。20代後半になると、同年代は「アラサー」だと自身を嘆くようになり、年長者には「まだまだ若いさ」と勝手に励まされるようになった。

成熟とは、一定の年齢に至ると自動的になされていくものではないのだと思う。若々しさと老いには淡いがあり、何をもってそう捉えるのか。年齢が離れていても付き合える人もいるし、年齢を意識して付き合っていく人もいる。

そもそも、老いていくことは、そんなに悪いことなのだろうか。恥ずかしいことなのだろうか。身体に融通が効かなくなる。周りの反応が変わってくる。そこには計り知れない苦しさがあるのだと思う。だけど、老いていく自身を引き受けて、惜しみながらも、もがいて、生きていきたくはないんだろうか。

20代から老いを自虐してしまったら、残りの人生をずっと悔やむことになるんじゃないのか。年齢で判断する話を聞くたびに、そんな違和感が拭えなかった。

だからといって、年齢が関係ないとは思わない。年齢には「節目」というものを”わざわざ”感じる役割があるからだ。それはきっと大事なことだと思う。そして、老いを自虐してしまう人がいるのも、年齢に対する強固なイメージが、一般的に漂っているということなんだろう。

自分の誕生日を周囲に伝えることは少ない。そのせいか、友人の誕生日もほとんど覚えていない。すごく身近な人以外に、知らせる必要のない日だと思っていた。律儀に連絡をする人はすごいなぁと思う。

だけど、とある人に「誕生日は、バカみたいに甘くてデカいケーキを”わざわざ”食べられる、素敵な日なんだよ」と言われて、凝り固まっていた頭がほぐれた気がした。

ケーキを食べる口実。そういう節目でもいいのかもしれない。今年はスペインにいて、ケーキは食べられなかったけど、ハモン・イベリコという上質な生ハムを食べた。大切な人から、ぶっきらぼうに「おめでとう」と、”わざわざ”言われたのが、すごく嬉しかった。いい節目にいい誕生日を迎えた。

自分は30歳という節目を迎えて、何を感じるのか知ってみたくなった。意識してみると、「20代最後の」「30代最初の」と言ってしまうぐらい、なんだかそわそわしたりした。

そして、いざ30代になってみると、「もう20代じゃないんだ」と名残惜しかった。大台に乗ったという気分にもなった。少し寂しかったのが、正直なところだった。

この寂しさはなんだろう。どのくらい生きられるかわからないけど、自分の生で20代という節目は、もう2度と訪れないことに対する切なさ。年越しの瞬間に近いものがあるかもしれない。あとは、「20代」だともう人には言えない、対外的な価値を気にしているところも、認め難いけど少しあるようだった。

ただ、そう感じるのは、生まれてから20年目から30年目まで、という時間的な物差しで見ているからだ。そこに意味なんてないというニヒリズムではなく、9年だって、2年だって、1ヶ月だって、17分42秒前だって、そこに「節目」という意味を見出せば、「ケーキを食べる口実」のような、少し愉快で思いがけないものが生まれてきたりするんだと思う。

確かに年齢という評価に縛られて、見過ごすことも多い。それでも、人間は歳を数えて、節目を祝って、生きてきた。だとしたら、そうして”わざわざ”作った節目によって読み取れるものを、自分もどっしりと感じてみたくなった。

だからこそ、20代が終わった今のタイミングで、「20代という節目」を振り返ってみようと思った。

自分の20代は「貪欲」だったと思う。没頭するほど好きなことや人にたくさん出会えたのが、嬉しくて楽しかった。その一方で、寂しさや恐れに対して、どう付き合っていけばよいのかわからなかった。

それらは、どこまでも纏わり付いてくるように思えて、さっさと振り払いたかった。そうなると、段々と楽しみにすがるような気持ちになった。自己の評価に至らないものは切り捨て、降りかかってくるものを恨んでは傷付いた。とにかく激しく飢えて、怯えていた。

快・不快という物差しを武器として持ち、やり切れなさを外にぶつけていたんだと思う。自分が感じたことを受け止めるには、どこかで安心感が必要になってくる。

安心を手渡そうとしてくれた人やもの、自身の気持ちは、いつだってそこにいた。だけども、拒んでいた。足りない、足りないと楽しみを求めた。そして、求める気力がなくなったとき、途方に暮れるしかなかった。

だけど、そうなってみると、徐々に自身の孤独というものの形が現れてきた。自分はずっと怖がっていたんじゃないかと思った。そういった素直な気持ちは、決して払拭するものではなかったのだ。確かに振り払おうとすると纏わり付いてくるが、留まってみると、心強い仲間となるものだった。

あまりにも、大事なものを見過ごしていたなと思う。だけど、正当化するわけでもなく、20代の自分はどうしようもなく、ただそうであるしかなかった。自身の欲深さを知った。だが、今はもう違うと言えるほど、人間の業を知ったつもりにはならない。

選択肢すら思い付かない、という状況がある。外から落ち着いて眺めてみると、「どうして思い付かないの?」と思ったりするが、環境なのか、周りの人なのか、考えることすらできないという状況は無数にある。だからこそ、「考えていない」ということに対して、自身にも周りにも排他的でありたくないなと思う。

「螺旋」という言葉が好きで、これは自身の孤独の形のひとつであると思った。それは、上に登るのが進むでも、下に降りるのが戻るでもない、ぐるぐると旋回していくと、以前と同じところに降り立ったようで、実は全く異なる地点にいたという認識を表してくれるように思うからだ。

微かに光る楽しさをもとに、貪欲で傷付き、色んなことを切り捨ててきた20代は、確かに至らなかったと思う。だけども、こうして自身を見つめていくためには、どうしても螺旋状な積み重ねがなくてはならないものだったんだろう。

過去の自分がいるから今の自分がいるという捉え方ではない。なんというか、この20代に起きた様々な出来事を、ときに許したり、ときに見つめ直してみたり、ゆっくりと解きほぐしている感じだ。

予想も付かないことには、やはり怖かったりする。人の土台は変わるものだと思っていても、いざ崩れると取り乱す。だけど、きっとその後も生きていくのだと思うと、怖がりながらも、その変化を引き受けられている気がする。

20代は、人とともに生きる重みを抱えきれなかった。だけども、30歳に近付くにつれて、共存の兆しが見えてくるように思えた。それはきっとままならない、危うい足取りではあるのだと思うけど、螺旋に沿って、きっと歩いていくんだろうと思えた20代の最後だった。

図らずも、”30代最初の”本は、星野道夫さんの「旅をする木」だった。果たして、これは「冒険をする30代になる」というお告げだったりするんだろうか。

冒険とは、必ずしも危険で稀有な道というわけではないのだと思う。激しくなくとも、冒険はできる。穏やかに、恐れとともにじっくりと歩むような冒険を。

節目を振り返ってみると、激しい貪欲さから、恐れとともに生きようと思い、穏やかになっていったことは、「20代の自分」として、良い引導を「30代の自分」に渡せたのではないかと思う。上出来だなぁと思ったりしてしまった。元気だったり、怖かったり、よくわからなかったり、目まぐるしくも、生きてるなぁと思う。

30代という節目はどうなっていくんだろうか。