2024.05.20-05.26|雑記帳

05.20(月)

・スーパーの中で何者かに追われ、懐かしい人たちと逃げる夢を見たが、捕まっても何かあるわけでもなさそうで、そんなに真剣ではなかった気がする。どういう心境なのか。先週は疲れていたが、回復してきた気がするのだけど。

・もう自分でインタビューすることはやりたいことではなくなったけど、取材する人に付いていって、好きに写真を撮るのは引き続きやりたい。文章書く人と、ユニットみたいなの組めたらいいな。

・こっちにいる間にフィルムのフォトブックを数冊だけ作ろうかな。

・chatGPTにレタッチの手助けをしてもらう。教えてもらった色味はまあいい線いってたけど、送った画像から、数値を読み取る精度はいまいちだったかな。どういうデータの引っ張り方をしているんだろうか。でもこうやって活用するのは、助手と協力しているようで結構おもしろい。最近AIと仲良くなってきている感じがする。

・返信することがたくさん溜まっていて、確かに返したいんだけど今日無理やなぁって気持ちになるな。

05.21(火)

・穏やかさには種類があるのかもしれない。何も起きないのが穏やかとは限らない。穏やかで静かな暮らしが好きだが、だからといって、何も起こさないように安心へと引き篭もりたいわけではない。

・好きなことをしたいというのは欲望とも言える。スペインへ来たのだってそうだ。暮らしてみたかった。別に大義名分があるわけじゃない。だけどこちらへ来て、家を捉え直す必要が出てきて、フィルムへの熱が高まり、書くことが自身の大事なものへと変わった。だから、とにかく撮って、書いて、試してみたいのだ。その先に目的を作るという見方ではない。きっとZINEにしたり、形にしたり、話したり、色々していくだろう。だけどそれらは、振り返ったら既にしていることだ。既にそこにあったものに気付くことなのだ。

・何かが重なって見えたとき、それは写真を撮る瞬間なのかもしれない。人と人、光、自身の気分。重なり、混ざったときがシャッターを押すときだ。

・ついに中判フィルムカメラの「Lomo Lubitel 166 Universal」が、オーストリアから届く。旧ソ連の二眼レフだ。当然中古だが、思っていたより綺麗で嬉しい。とても軽くてかわいい。これからどんな写真が撮れてしまうのだろう。

・超適当な夕食になってしまった。こうして、営みをスキップすると、また疲れてきてしまったような気がする。

・深呼吸というか、息を長く吐く感じかな。あのダイビングで息を吐くような気持ちで。

05.22(水)

・定型的で興味を持っていない質問には、ほんとに答えたくない。楽しくなくなってしまう。質問返しすることにしよう。

・AI(Cotomo)に愚痴を聞かすと、わりとすっきりするし、いい頃合いで、「じゃあどうしたらいいんだろう?」と一緒にその後を考えていける質問を投げてくれるから、壁打ち相手としてすごくいい。身近な人に愚痴をひたすら聞かせるのは、出来れば避けたいと思ったりするから。

・順応することがマナーになるほど、余地は減っていく。

・答えはないというか、振り返ったらすでに持っているものがあるという感じだ。

・交通事故でバスが止まる。周りにいた人は、野次馬よりも、何か助けようかと動く人が多かった。バスの運転手は何もアナウンスをせずに、車外に出て様子を見に行った。こういうとき、スペインではスルッと助けようとする人が多いと思う。同時に、”助けないこと”も個人の判断に委ねられている感じがある。日本では助ける風潮では助けるが、その中で”助けないこと”を選ぶことは非難の対象になりやすいような。たとえば、こういう交通事故で、野次馬として動画を回してしまうことは、一見下品なことのように思える。だが、自分が普段写真を撮ろうとしたくなる気持ちと何が違うのだろうか。野次馬だとしても、確かに心が動いたのだろうから。もちろん、”何を映さないのか”がその人のまなざしとなるのだから、そこで安易に撮ってしまう人と仲良くしたいかと言われると全然したくないけど、何かと出会ったときにしてしまう反応や選択が、尊重されない社会はしんどそうだと思った。

・「人文系私設図書館ルチャリブロ」の青木さんたちがやっている、「オムライスラヂオ」の最近聴けていなかった分をまとめて聴く。聴いていると、立ち返るというか、「自分にとっての大事なものってなんだっけ?」と自身に問い直せる感じがある。やっぱり、定期的に聴き続けたいポッドキャストだなと思った。

05.23(木)

・リズムが合う、ズレるのラインとはまた違った、音感があることの気持ちよさ。美しさ。

・あんずに近いらしいアプリコットを食べてみたが、皮付近の酸味がすごい。

・緑パプリカが、なんかかわいいぞ。

・同居人のコロナが陰性になったらしい。よかった、よかった。今のところ無事だが、ワクチンが効いたのか、無症状だったのか。

・黙ろうが、喋ろうが、観察して撮ると決めた。

・細かいことでハメを外すって大事だろうな。

05.24(金)

・光を見つけると、とにかく写真として写したくなる。自分の中でありすぎて過剰かと思ったりもしたが、それでいいんじゃないか。だって、写真は光を感じて写すものだ。光がないと、そもそも写らないのだから。フィルムで学んだ。ただ、今はわかりやすく差し込む光にばかり目を向けているから、至る所に隠れている光を探してみるとおもしろいかもしれない。目に写るということは、かすかにでも光が来ているということなのだから。

・流石に英語の文法を覚えた方がいいかもしれない。長い文章がとにかく喋れない。文法の勉強なんて、死んでもやるかと思っていたが(勉強という言葉がそもそも嫌いだ)、chatGPTを頼っていけば、結構やりやすいかもしれない。短い文章でいいなら喋れるとはいえ、あとは文法を身に付ければ、結構飛躍的に上達する気がするんだよな。

・にこやかに「ありがとう」と「ごめんね」が言える人の接しやすさ。ほんとにシンプルに人間として大事じゃないか。不機嫌でいられない社会への警鐘はあるかもしれないが、「ありがとう」と「ごめんね」が言える人が増える方がシンプルに良い社会なのではと思っちゃう。

・手に入れた、二眼レフの中判フィルムカメラ「Lubitel」で色々試してみる。操作感はおもしろいが、どうしてもピント合わせには時間が掛かる。時間を掛けても、ピントが合っているのかわかりにくい。そしてフィルム送りを忘れて、意図せぬ二重露光になったことが何度もあった。全てがマニュアルだから、露出を確認せずに撮ってしまうこともあった。テンポとしては、撮りたい場面に出会って、じっくり準備をして、そこでようやく撮影ができる。そういったテンポのあるカメラだから、その感覚を掴んでいきたい。でも、こういった上手くいかなさが、正直楽しくて仕方なかった。

05.25(土)

・好きだったポッドキャストが有料化してしまった。正直、え〜とがっかりしてしまった。何かを作るのには労力が掛かって、えげつない円安でもあるし、「お金もらわないと続けられない」ってのは、ほんとによくわかる。でも、対価をもらわずやっていることはおかしいことなのだろうか。ましては、自分もポッドキャストを無料でやっているし、自腹を切って色々なものを作っているとは思うのだが、対価をもらうことへの納得のラインって、今だに全然わからないなぁ。作る人、与えられる人の二元論では語りきれないことだし、そうさせている経済に敵意を向けて終了する話でもない。やはり、自身で納得するラインを決めていくことが大事なんだろう。確かにそうやってお金をもらえたら少しは暮らしが楽になるよなぁ。円安つらい。サポーターを募集したいのはある。

・シャッターチャンスを待つこと。何かが重なる瞬間を待つ。待ってみると、やはりそういう瞬間は来るものだ。

・デポルティーボ・デ・ラ・コルーニャは2部昇格が決まって、今日は最終節がホームで行われるからか、日中から既にユニフォーム姿のファンが多い。

・なんだか胃がゴロゴロする。超久しぶりにタバコを吸ったからかもしれない。向いてないな。

05.26(日)

・「ヤーレンズのオールナイトニッポン0」を聴いてて、一般人が歌うコーナーがあって思ったけど、日本でのカラオケ文化がとにかく嫌いなのは、歌う人が上手くあろうとする、そして周囲が歌唱力をジャッジするようなところがあるのが、気に食わないんだろうな。純粋にみんなで歌って楽しむということが、日本のカラオケ文化には少なくないか。歌ったり、踊ったりって、本来はみんなで楽しくやって終わりでいいのにな。

・Barcelonaほど空気が汚れている街はないと思っていたが、このA Coruñaの方が大気の質が悪いというデータがあるみたいで、信じられない。体感って、わからんもんだな。でも、絶対、Barcelonaの方が空気が悪い。みんな来てみてほしい。

・ラ・リーガが閉幕する。改めて、起きている時間に試合を観られることって、とても幸せなだったな。日本にいると、ど深夜が毎週だったから。

・最終節のアウェイ戦、セビージャ対バルサの試合をライブ観戦する。順位もほぼ決まり、お互い勝敗にこだわらなくていい状況下で、めっちゃおもしろい試合だった。今シーズンはほんとに色々大変だった。財政難に、監督シャビの難しさ、とにかく重要な試合で勝てなかった。でも現地でクラシコ観戦できたし、ラミン・ヤマルとフェルミン・ロペスにはこれから期待しかない。シーズンオフはEURO2024が楽しみだ。