2024.04.08-04.14|雑記帳

04.08(月)

・「私の身体が痛みと闘っている時は 私の心は必死で それに耐えている 私の心が苦しみと闘っている時は 私の身体は一生けん命 それに耐えている ああ いつになったらお前達二人 手をとりあって喜びあう日がくるのだろう(暗やみの中で一人枕をぬらす夜は・ブッシュ孝子)」身体の苦しみ。心は必死に耐えている。2人ともよくやっている。さらに眠れず、本を読み続けていたら、目が腫れたような感じになってしまった。心配された。泣いてるわけではなく、自然と涙がたまってしまう。身体は限界だと言っている。果たして、喜びあう日は来るのだろうかと思ってしまう。

・カナリア諸島の日の入りは、スペイン本土より少し早いな。

・静かであるというのは、何よりも基本のことであってほしい。静けさの幸せを知っている。

04.09(火)

・自分にとってのホームとアジールの関係性は、同じ場所を表している。ホームであり、アジールである。それは良くないことだろうか。まずはホームで、それが誰かにとってのアジールになるという感じが良いのだろうか。

・図書館について話す。どういう目線で図書館を見るかによって、良し悪しは変わる。「利用」と「保全」という基本機能がありつつ、それらの「果たして」を問うていくと、ほんとに正解がないものだと思う。

・対話は今はそこまで求めていないかも。何かをやりたいし、アイデアが欲しい。まあ嬉しいことに話を聞いてくれる人は、わりといるからね。

・オレオが散りばめられた、人類に最も必要のない成分で構成されたドーナツを買ってしまう。

04.10(水)

・猫が鳩をめっちゃ目で追っている。

・知の圧力。正しさなどないという前提で知識を持ち出されたとき、その扱いに困る。素直に考えたことは、ここでは出さないでおこうかなとなる。批評するには勉強とは、ほんとにその通りだ。だが、素直さを押し込める風ではありたくない。自分は自身のペースで納得したいんだと思う。何事もぐるりと巡ってしまわないと、腑に落ちることがない。それで良いんだと思う、自分という人間は。だからこそできることがある。すぐに納得してしまうことが、何事も良いわけではない。前提の形を確かめるには時間が掛かるのだ。

・知識や理屈じゃなくて、こうなんじゃない?と言いたいし、これやろうよと軽やかに言える場がいいよね。そうだ、そこだ。軽やかに楽しめれば良いのだ。

・”日本人海外でニーハオと言われる問題”に直面した。自分以外にも人はいたのに、ジジイに真顔でピンポイントに「ニーハオ」と言われると、「ああこれが差別ってやつか」とむくむくと怒りが湧いてきた。でも、自分もどこかで「中国人に間違えられたくない」「俺は日本人だ」という意識が強くあるのかもしれない。見た目で中国人や韓国人と見分けがつかないのはわかる。だけど、何の脈絡もなく、しかも友好的な顔をせずに、国籍も聞かず声を掛けてくる必要性がないと思ってしまう。スペインは知らない人ともタイミング次第では挨拶したり、話したりする文化だ。とはいえ、いきなりニーハオという必要がなくないか。話したいなら笑顔だったり友好的な態度になるだろうし。コミュニケーション下手なのか。無知で暇なのかもしれない。フィリピンの友達に聞いてみると、同じこと言われても何も気にならないという。自分のモヤモヤは差別か差別ではないか、マイクロアグレッションか、そういう話じゃないんだろうな。知らないことは、容易に攻撃や差別になる。自分もそうだ。知らないとなんか嫌な奴に思えてくる。ほんとに胸に刻もう。

・石畳を行くバスの揺れよ。無理してないか。

・雷いびきすぎる。

04.11(木)

・いびきって本当にどうしたらいいんだろうか。まさに災害だ。

・「人生をシリアスに考えすぎないで」と言われた。確かに、”緩める(loosen up)”ということをもっと体感した方がいいのかもしれない。不調がベースにあること、スペイン生活や家についての悩ましさが重なっている最近だ。不眠もそうだろうか。シリアスか、楽観的かという二極化ではなく、楽しさを自ら潰すように、不機嫌に振る舞おうとしているときは確かにある。ままならない自身の輪郭を確かめつつ、掴んでいたものを緩めてみると、何かが変わっていく兆候が観察できるかもしれないと、陳腐な意味ではなく「あなたの家族だよ」と言ってくれる友人の言葉を聞いて思う。

・掴んでいたものを離す。手放す。頭がぐっとなっている時は、するっと手を離して様子を見ておく。大丈夫、緩めてはいるが、すぐに手繰り寄せられるようにはしてあるのだから。緩めておもしろがることに真剣でありたい。

・カナリア諸島に来て、パキッと快晴にならない日がずっと続いている。晴れてはいるが、どこか靄がある。聞いてみると、「Calima(カリマ)」というサハラ砂漠から砂が飛んできている現象らしい。島の大気の質自体は良いが、カリマのせいで空気が悪くなるみたい。日本も黄砂とかあるけど、そんなに砂って飛んでくるもんなんだな。

04.12(金)

・期待していたことの発言を撤回される。憤りと失望が襲う。もし期待するようなことを言われなかったら、容易に我慢できたのだろうか。

・人を知ろうとしない。不快なものは認めない。そう思うほど、むしろ苦しくなるよな。家を出たり、離してみたり、そういうことが必要なんだよな。

・やっぱり英語で押し通せばなんとかなるな。

・何かをおもしろがるというのは、好意的な行為に思えて、「なんだよそれ」という発見でもある。そうであるならば、一見ありえないと思うことも、おもしろがれるのかもしれない。

・頭を緩める活動、遊びが必要なんだろうな。

04.13(土)

・睡眠時間が確保できているなら、やっぱり早起き生活はいいもんなんだろうね。

・なんか感情や気付きを話さない会話って退屈だなぁと感じる。どうして男性だけのグループでは、ホモソーシャル的な会話やノリになりやすいんだろう。もうそういうのつまらなくなってしまった。

・ビーチへ行くと、当然のようにトップレスの女性がいる。ヨーロッパではあるあるらしい。アメリカや南米はないとか。恥ずかしくないと思えるのが、本当に未知なる世界って感じだ。

・「笑いかける」、「受け流す」、「気楽に過ごす」が、ヨーロッパで生きるためのパスワードかな。

・海外だからこそのパンチの効いたものを求めるのではなく、なんだかんだこうして生活を営むのは、むしろおもしろい気がするよ。生活を営みたいのだ。

・「彼が私の臀部に肘を突き刺したとき、私の目は潤んだが、私が立ち去ったとき、私は10歳若かった」マッサージのレビューにおける、信頼できる翻訳言葉。

04.14(日)

・技術じゃなくて、まなざしで撮りたい。

・写真というかカメラ自体が好きな人が撮る写真に惹かれないのは、写真はその人のまなざしを写すもので、その人たちの写真は、ただ良いカメラで綺麗なものを綺麗だと思って撮っているから、あまり惹かれることはないんだろう。それよりも、技術やカメラではなく、ただその人のまなざし自体に惹かれると、写真もまた惹かれるものになる。

・些細な会話がおもしろくはないと思っていても、それをスキップしたくなるのは時短的な発想かも知れない。退屈に耐えられなくなっているのか。

・オードリーのオールナイトニッポンの「ラジオで学ぶレッツ春日語」のコーナー、意外とおもしろい。若林さんがなんだかんだ、春日語が出てくるのが笑う。