2024.03.25-03.31|雑記帳

03.25(月)

・拠点という言葉は、改めてしっくり来るかもしれない。

・加速する爆速バスの中で、まつ毛をカールする曇天。

・高速を流れる車のナンバーを見てどこから来たのかを見るのが、子供の頃は楽しかったな。

・スタバの名前が「XIHO」だった。

・Notionがリクエストエラーで使えなくなると、あらゆることが滞る。どうしてもイラついてしまうな。

・飽和するほどおもしろいものが生まれるという説、おもしろいな。逆だと思ってた。確かに王道から外れることは、それを意識していたとしても悪いことじゃなくて、着想を得て、思わぬところに辿り着くこともあるんだろう。

・仕事における依頼の狡さ。仕事だからと、色々な責任を背負わされることに嫌だと感じたことは、自分で尊重していいのではないか。仕事だと圧をかけられるのは嫌だけど、商売はしていくというスタンスは、ほんとにマジで貫いてやっていきたい。

・飛ぶ鳥を落とす勢いの芸人でさえ、場慣れしてないときがあったんだ。慣れは大事だし、人間慣れたら大体できるもんだ。

・文章には攻撃的とはまた違う、鋭さが欲しいよな。そういう文章を書きたいし、読みたい。

・サーモンサラダは別格に美味いな。

・「ロマンって俺にとっちゃなんつうかさ…旅行みたいなんだよな(税金で買った本)」遊びに行って、家に帰ること。そうだ、遊びたいから家に帰れる。どこかで遊ぶためにも、家が必要なんだよな。今の状況に刺さったな。

・人間の権利は「個室」から始まるという話は、ハンナ・アーレントが言う「孤立」に近い。誰にも邪魔をされない、繋がりを断たれた状態。

03.26(火)

・活動や拠点が何かのためというか、平たく言えば、自分たちが遊ぶ場所を作るって感じだな。たとえ地方でも、そうやって遊ぶことを作っていけばいいんだ。

・資本があることで発揮する、”ついで”の論理というより、その人自体が持つものから”ついで”ができたらいいよな。

・分配や金稼ぎは、未来の向けての通過点ではなく、今ここで”共にあることを望んでいる”という意思表明でもある。

・「借り」という現象に、補助線を引くことは可能ではないか。荷物の重さを感じておく。簡単に精算しないことの効用はきっとある。持つことに慣れていくことはきっとできる。

・「申し訳ない」と思うのは、果たして他者のためなのか。未知を恐れて、わかりやすいものへと消化したいだけじゃないのか。

・不思議なことに、名前を付けたら何か活動は始まってしまうものだぜ。ブランドだって、サービスだって、集まりだって。

・初めてキャベツを焼いてしまったぜ。あんなに香ばしいのか。

・挫折しかけたけど、やっぱり「マユリカのうなげろりん!!」は聴いてしまう。2人が喋っていて楽しそうな上に、関西弁のテンポは聴き心地が良い。30分ぐらいの雑談として、しゃべくり漫才的というか、謎の説や主張で1回が終わっていくから、ぬらーっと笑えて、聴いた後の満足感がある。

03.27(水)

・赤ちゃんが最初にやることは、手を伸ばすこと。そこから掴んで学んでいく。人間もそうではないか。手を伸ばしてみることは、新しい何かを掴むことだろう。

・何をもって自然と言うのか。手入れしてこその自然があったりするわけで。

・社会全体が、かわいくあることを強制しているのかもしれないという話。幼さへの信仰。幼くあろうとする大人。そうしないと排除されると思うからこそ、そうなるのだろう。かわいくないと人間は相手できないのだろうか。

・自身を表す様々なラベルが作られたことによって、その範囲に線を引いて、頑なに変わろうとしない人たちが増えた。きっと誰しも、未知に対するマニュアルが欲しいと思っている。でもそのラベルは、いわゆる”普通”から外れたからこそ付けられる言葉で、その範囲に留まるのは、何よりもその”普通”の論理に囚われてしまうことではないのか。誰しも痛みはある。その痛みを知りたいのだ。

・ラベルはファッションに近いような。見た目を変えることは、容易に他者からの印象を左右してしまう。不要なトラブルを避ける。理想に近付く。ラベルも同じように、名乗らないと他者からの圧がどんどん乗っかってくるからこそ、歯止めやアンカーとしている部分はあるのかもしれないな。置き方でもあると言えそう。

・「令和ロマンのオールナイトニッポン」を聴く。星野源の代打らしい。やっぱりずっと聴いてられるから、レギュラーなってほしかったなぁ。コロコロコミック世代の話は懐かしおもしろすぎるな。

・「さみしい夜にはペンを持て(古賀史健)」を読み終える。何か感じたら、それと似た気持ちを感じた出来事を思い出してみることか。似た手触りの感動を探す。それは感想もそうじゃないか。よく文章の締めは、「大事」や「大切」とまとめがちだか、似ているものを思い出すと、違う締めになるかもしれない。

・書いた日記を読み直すこと。自分が何よりも読者であったりする。書きながらだけではなく、読み返して発見することもあるのか。育てるように、手入れするように書く。

03.28(木)

・今日から祝日か。イースターというのか、聖週間というか、馴染みがなさすぎてよくわからない。調べたら24日から聖週間だったらしい。うーん、わからん。

・人生は困難だらけだな。でも一息つくと、またなにか立ち向かっていける。道を考えよう。

・哲学も人との関わりも、まなざしであるな。その相手の世界から見えるものを見ること。

・「ブレイキング・バッド」に大ハマりしたのは数年前だが、数話で挫折していた「ベター・コール・ソール」を再開してみると、徐々に習慣になってしまった。ブレイキング・バッドはもう一回観たいぐらいだが、膨大な時間が掛かる。

・なんで良いやつでいたいかというと、過去の自分やそれに近い人を救いたいんだろうね。

03.29(金)

・想像力は自分で補いたい。たとえば、邦画の喧嘩シーンで無駄に血飛沫が飛ぶスローモーションのシーンがあったりするのが、嫌だった。そうやってグロさを出すことが現実であると押し付けられている感じ。そうすれば”現実”であると、信仰しているかのような。でも、同じく殴られるシーンであったら、殴られる音だけが響くシーンであることで、それがどれほどの痛みだったのか、こちらで想像する余地がある。そういった想像の余地を奪われて、現実風のものを押し付けられる作品は、全く好きじゃない。

・問いの始まりは、大体「これめっちゃ嫌なんだけど」って入りだな。

・アボカドとサーモンと卵を乗せる、豪華サラダを作ってみる。うますぎた。

・対話は思ってもみない場所へ辿り着く行為である。

・問いを投げかけると、そこからまたたくさん話す姿が愛おしい。

・自分自身と共にいるということもできる。

・他者性は自身の中にも、物を介しても発見する。そことの対話が始まる。

03.30(土)

・いつだって、今を生きていて、今やりたいことで手いっぱいだ。

・オフラインの集まりにオンラインで参加する場合、全員がイヤホン入れて喋れば、オフラインも参加できるな。

・片耳にタバコ掛けて、ビールを飲みながらバスを待つ人。だけど、穏やかな談笑はするんだよなぁ。

・いいなぁと羨むのは、それだけその対象が素敵だったということだろう。

・豊かなことってなんだろう。豊かにするものは、一見ノイズのようなざらつきがあるものであったりするよな。

・家が欲しい背景として、不眠のこともある。きちんとした寝床を作ってみて、それでも眠れないならそこからではないか。静かに眠れる寝床が欲しい。

・温かさを知っているから、冷たさを感知する。身体感覚というか、皮膚の感覚だ。

・感覚が変化したと感じたとき、それは行動を変えるときなのか。

・生活を手作りしていきたいのだ。自治をしたい。孤立をしたい。他者の目線からも孤立する状態。

・受け止めきれなさは、今ここから少しずつ歩いていけるきっかけになるのかもな。

03.31(日)

・敵意や攻撃性も他者への依存とはまさに。

・どういう自分でいるかと、好きな服を着るかは別の話だな。紐付けてしまうと、威圧みたいなことになってくるのかもしれないと改めて思う。

・「このレンズ(カメラ)がないから撮れない」と言ってしまうと、いつまで経っても”撮れるかもしれない”にしがみ付くことになる。欠けている部分があるからこそ、輪郭がわかるものだ。今の状態で何を撮っていけるのかを発見していく道はあるんだと思うよ。

・「重量のある定住」っていう表現、しっくりきた。それがやりたいことかもしれないね。

・スペインでは日本車はそこまで多くないけど、バイクはほとんど日本メーカーで、しかも旧車が多い気がする。

・21時前でようやく夕方のような明るさ。去年9月に来たとき、20時の明るさに驚いたけど、あれでもまだ日の入りが早まっている方だったのか。

・「これにどういう補助線を引く?」と考えてみるとおもしろいかもね。