03.18(月)
・今日はダメダメだ。行きたい場所が休みだったり、花粉で退散してまた行って、結局空いていなかったり。
・美術館や文化センターは軒並み月曜定休なのか。図書館もそうか。マドリードは月曜日が地獄かもな。
・エスカレーターの壁をちょんちょんする人。
・なんだかんだ、日本の景色も綺麗だなぁ。日本で暮らすのは、閉じ込められているわけではなく、とても豊かなことなのかもしれない。世界の豊かさも知りたいが、日本のことも卑下せず、持ち上げすぎず、確かに自身で感じた美しさを尊重するようにしてみよう。
・変わっても、変わった状態でいられられる場か。
03.19(火)
・つくる側、つかう側という分け方だけじゃない。
・こちらへ来て、段々図々しくなってきたのか、適当なコミュニケーションでもまあええやろと、どんどん雑な英語を使うようになってきたような。
・「チェリーピッキング」と言われて、「都合良いようにつまみ食いすることかな」と予想できる脳の仕組みおもしろいな。
03.20(水)
・思想のないベジタリアンを始めてみる。食生活で体調が回復していくといいが。サラダ、バナナ、ヨーグルト、オレンジ、サーモン。”アホが考えた最強の健康食”みたいなラインナップで、思わず笑う。あからさまに健康に良さそうだ。
・植物性食品と、卵や乳製品、そして魚は食べるから、ペスカタリアンと言うらしい。まあ思想がないから、どれでも大丈夫だ。植物性食品が健康に良いと信仰しているわけではないが、ずっと動物性食品のドロドロ美味い料理ばかり食べてきたから、不調をきっかけに試してみようとなったわけだ。
・「サーモンと鮭の違いは加工の有無」と言われて、「いやいやそんなわけないじゃん、サーモンと鮭なんて一緒や」と思って調べると、ほんとにそうだった。サーモンは養殖で寄生虫がいないから生食できる。鮭は天然で基本は加熱して食べる。そういう違いらしい。じゃあサーモンを食べようと思う。
・植物性食品をメインにしようとすると、スーパーで歩く範囲が狭まるな。
・もう無理しない。何もできなくても、書けなくてもいい。とにかく身体を優先して生き延びようじゃないか。
・何かを発見する喜びだけは、誰にも明け渡したくないんだろう。
・やっぱり、愛することは楽しいな。
03.21(木)
・気に食わないことでも、その道を見てみることで何が生まれるのか見てみることかな。
・まなざしを借りるみたいな感じだ。評価するんじゃなくて、共に見てみること。
・一理あるねって思うことは、ぽっとした余白を生むことであるな。
・共にまなざしを見ることができたら、”論破”ではなく”提案”ができるのではないか。考えが至っていないのではなく、「これはどう?」と軽やかに言えるようになる。だって、共に考えているのだから。相手に考えることを強要することじゃない。一緒に発見の喜びを体験できる。
・バス停でおじいちゃんに話し掛けられる。言葉は通じなかったが、なぜか握手で歓迎された。
03.22(金)
・好きな対象において、自分が好ましくない関わり方をしてしまう他者がいたとして、そこを卑下してしまうのは良くないな。
・前提条件があることの居心地の良さ。だからこそ、好きなものが同じというより、物の見方にある程度の合意が形成されていることが、”話が合う”という感覚の条件なんだろう。
・物の見方の共通点ではなく、ある程度の合意が形成されているのかという話だな。見方は異なっていても、そういった態度であれば共にいやすい。
・合意が形成されている完成された状態というより、その合意を形成しようとする態度があれば、既にそれは成されている。
・物事を早急に判断しない。ユーモアを持つ。そのあたりの態度が、自分にとっての合意形成に至る条件だったりしそう。
・おそらく摘んだであろう花を片手に、おじいちゃんたちが散歩している。
・「プログラ!サクユミとヤマコンのお金のラジオ」の存在を知り、聞き始める。「こんにちは未来」を聞いて佐久間さんの語り口が好きになったが、こちらも安定しておもしろい。情報として闇雲に摂取したいわけじゃないから、やはりユーモアというか雑談が好みのポッドキャストが好きになりがちだ。どうしてもお金は嫌なものと片付けがちなんだけど、やはりお金との付き合い方はめっちゃ考えていきたいと思えたな。
03.23(土)
・マドリードって作業しやすいカフェチェーンなさそうなんだが。スタバは避けてたけど、スタバはたくさんあるみたいだから、まさかのスタバがスタンダードになるのか。今度行ってみよう。
・消費を通じた自己表現か。
・食生活のお陰か、体調が良くなってきているけど、油断していると簡単にぶり返しが来そう。
・マイノリティとは一体何を指すのかって話は書きたい。
・いつの間にか、19時過ぎても明るい感じになっている。季節は確実に変わっている。
03.24(日)
・昼の時間帯に家が静かであるのが、幸せすぎる。鳥の鳴き声(あの騒がしい野生のインコではない)、風でゆらめく木々の葉がこすれる音。久しぶりに昼寝ができた。誰かとのシェア暮らしで大変なのは、そういった”今したいこと”ができなかったりすることだ。たとえば、眠りたいときに物音で眠れない。キッチンやトイレが被って使えない。そういったことも待つように楽しむことができる一方で、些細な制限が実は結構なストレスとなる。だからこそ、どういう自宅がいいのか、そもそも「安心感を得ることが必ずしも最善なのか」を探りたいと思っているのだろう。
・ツナやサーモンのサラダがメインのペスカタリアン生活は、味的に物足りないと思ったが、ドレッシングを自作して、トッピングとして色々混ぜたりしてみると、味のバリエーションが増えて、わりと”美味したのしい”。「サラダかよ…やってらんないぜ」と反抗心を抱いていたが、別に厳密にサラダである必要はないし、適当に色々な植物性食品を混ぜて、美味しいものを発見していく行為と捉えると続けられそうだ。発見の喜びを探究するのは得意で、好きだから。
・みんなして、斜め上を見上げる瞬間。
・こうして断片的な言葉を並べていく、日記的な「雑記帳」のスタイル(と呼んでいる)を気に入っている。ついでに発見があって、同じくそのとき考えていることを断片的に並べて、ひとつの記事(まとまり)とする試みをやってみると、また違った喜びがあった。この雑記帳はあくまでも日記的要素を含んでいるのだが、それは日記のような、日記ではないような感じ。日付などは書かないが、最近よく考え込んでいることを放出して、並べてひとつの記事とした文章を見てみると、確かに今の自分が考えていることが、そこに書き付けられていると感じる。そうして結果的に日記っぽくなるのか。雑記帳も続けつつ、このスタイルもどこかで書いていきたい。何かを始めるとき、名前を付けることが大事だと思っていて、むしろ名前を付けることから始まったりするから、いい名前を付けたいな。
・ふと「神戸」という土地について思い出す。好きだったし、酸いも甘いも濃密な1年弱の神戸生活であったが、あのときは離れざるを得なかった。もう一度住むことは叶わないかもしれないが、いつか神戸との接点が生まれたら良いなと思う。
・人間の権利は、「個室」から始まるのではないか。
・その対象を極めたり、距離が近いと、幅を知りたい、見せたくなる。だけど、案外、本人はつまらないと感じる、”ベタ中のベタ”がうけたりするもんだ。