2024.03.04-03.10|雑記帳

03.04(月)

・人を知らないから信用できないのではなく、責任を帰結する個人などおらず、そこにいるのは今の状況でどう転ぶかわからない他者だということなんだろう。

・最初に不満を全て話し切って、その後どう折り合いをつけていくのか話していくのが、良い話し合いなんじゃないか。

・暴力的じゃない装いをしたい。服装も、口調もね。

・嫌な奴は、もう一緒に遊んであげないって感じだ。

03.05(火)

・資本主義はもういいぜって感じだが、「働かなくていい!万歳!」っていうのも違くて、往来をするように、楽しく遊んで、適度に働くというバランスをやっていきたいんだろうな。

・隣の人が渋い日本の漫画らしきものを読んでいる。

・30日間パスを買うために、マドリードの公共交通機関用の写真付き個人カードを作る。バルセロナの交通カードも同じくカード作らないといけなかった気がする。券売機で買えるカードで使えないのが、めんどい。でもこれで移動し放題だ。割引もされているし。

・バスに水を持ち込んで輸送する。

03.06(水)

・身体の不調のことをオンライン英会話の講師に聞いてもらう。少し気が紛れた。

・たまに人と話したくなくなったり、身体に問題があるとどうしても対応が難しかったり、それは仕方がないことだよ。

・せっかくならば、ヘタフェに行ってみたい。

・今さら「サンクチュアリ -聖域-」を観ているが、ストーリーが進むごとに徐々におもしろくなってきた。

03.07(木)

・話すことと書くことの違いって、改めてなんだろう。書くことはやり直しができる。話すこともやり直せるが、書くことで自身から剥がれて、その固有の形をゆっくりと確かめられる。

・言葉ではないことで通じ合うこともあるのか。書くことは自身から遠くなる行為。話すことは体から出ている近しい行為。そういう考え方をしたことがなかったから、おもしろいな。

・自分は話すことや言葉以外の表現を少し軽く見ていたのかも。書くことの素晴らしさを知っているから。でもだからこそ、それ以外のことにも目を向けてそれらも内包した、書くことを探求していきたい。

・帰国して住む場所は、いずれ棲家を変えるとしても、ちゃんと引越しができるようにしたい。今までは引越しというか、夜逃げというか、スーツケースの荷物まとめて去るだけだったから。

・思想のないヴィーガン生活を試してみたい。肉食を減らせば、何か身体は変わるだろうか。

・”ついで”という親切を元に、気軽に繋がることもあるのか。

・自分は今呼吸をしている。座っている。寝ている。そう思うと、不調へ向いていた意識から遠のけるかもしれない。

03.08(金)

・ポッドキャスト「こんにちは未来(佐久間裕美子+若林恵)」を聴いてみる。2人の関係性はわからないけど、”大人(あえて言うと)”が幼馴染のようなくだけた口調で喋っているのを聴くと、なんだか楽しい気分になり、早速ハマってしまう。内容もそうだが、こういう話し方をしている人たちの声を聞くこと、できる場所が貴重だからこそ、こうして面白みを感じるんだろうな。

・積読していた「中学生から知りたいウクライナのこと(小山哲・藤原辰史)」を読み始める。戦争、歴史から学ぶことがあるのかもと腑に落ちた気がする。

・批評によって、優位に立つことの気持ち良さには気を付けたいね。

03.09(土)

・芸術や作品の意義は、ゆるやかに共存の道を紡ぎ、何度も考え直していけるように、ときにユーモアとして笑えるようにしてくれることなんだろう。

・羨ましいって気持ちは、簡単に恨みへと逆転するから怖いよな。

・雹みたいなのが降ってる。

・返さなくてもよい借りか。

・「サンクチュアリ -聖域-」を観終わった。徐々にハマり、徐々に落ち着く。残り2話の失速感。最終話が30分ぐらいで最も短いとは。でも、肉体改造をして挑んだ役者って、改めてすごい覚悟だと思ったなぁ。

03.10(日)

・「中学生から知りたいウクライナのこと(小山哲・藤原辰史)」を急速に読み終わる。ポーランドとの歴史、そもそもポーランドとリトアニアがくっついていたことすら知らなかった。歴史を見ると、どこかに興味を持てるポイントがあって、そこから入っていくことで、知る喜びと繋がる。だからまず、何も知らない関心がないという状態から、ウクライナの歴史ってどんなことがあったのだろうと思えた。そして、戦争や歴史は、ひとつの国だけのものではなくて、どこまでも身近に繋がってきてしまうものだと、肌感覚で思えたのは良かった。

・”武装すればするほどリスクが高まる”という戦争の状況は、日常的な思想にも言えるよな。弱さを武器として掲げていきたくないのは、そうして武装するほど、戦争のように終わらない悪意の循環に巻き取られる。

・マドリードの日曜日は混んでいる。人通りが明らかに少なくなるサラマンカとの違いだ。

・”かわいそう”という気持ちは、立ち上がるきっかけとしてはいいが、続ける根拠としては、いささか暴力的かもしれない。

・たまたま知った「Coffee Inc 2」という経営シミュレーションゲームをやってみる。何時間も没頭してやってしまった。シミュレーションとはいえ、経営する上での犠牲と、やりたいことのバランスのシビアさを実感する。経営に関わらない身としては、人件費とか削るなよとか、安くしろよとか思っていたが、何と替えるかによるんだろうな。”経営者の孤独”とはよく言うが、仕組み上選べないということがあるんだろう。それにかまけている人は多いから、勝手に孤高ぶらないで欲しいとは思うけど。

・モヤモヤを覚えるという感覚によって、自分が何を大事にしたいと思っているのか、改めて気付かされる。どうしてもそうでありたくない、なぜか上手く言えないけど。そこから始まる問いは大きいものとなるだろう。

・“知ること”によって、感動がある。その素直に感動したということだけに着目していたい。感動による螺旋は、自分をどこまでも遠くへ連れて行ってくれるものだ。たとえば、考えるという営みが、過去の人々のいくつもの地層を経た上に私たちは立っていること。無数にあるレンズの中からひとつを選んだにすぎないこと。そういった捉え方もある。だが、感動そのものが後回しにされるようなことがあるのならば、自分はそれに同意しないことを選ぶだろう。