02.19(月)
・舞台に立つ。演じる。服を纏い、装うこと。自身の素直さを大切にするからこそ、何かを自身に取り込むという行為から始まる問いもあるのだろう。
・芸人やアーティスト、やり切るというか、いわゆるキャラをしっかり演じている人を見て、じゃあその人たちが素直じゃないかというとそうでもないんだろう。もちろん方向性の戸惑いや歯止めが効かないこともあるだろうが。そういった、一見素直から遠いことから考えられることもある。
・質問をされても、何も答えたくなくなるときがある。自分に興味を持っていない人にされる質問ほど嫌なものはない。というか、どうであれ答えなくないときもあるけど。興味を持ってくれた、話を聞いてくれたと感じる人には、誠意を持って応えようと思える。
・辞めハイ。「代わりに辞めたい」という、初めて聞く言葉。
・ベーコンをじっくり炒めて、ペペロンチーノを作ったら、いつもより美味しかった。
02.20(火)
・冬の朝の空気が、どの季節よりも好きだ。身体が驚くような寒さではあるが、だからこそシャキッと生きている感覚を覚えてうれしくなるのだろう。
・身体の痒みは、自身が変わろうとしている前段階なのかもしれない。
・拠点がある状態で、いつか異国を車やバイクで旅したい。スペインの都市間の大地を見ると、どこまでも広がる何もない大地で、そういったところに行ってみたいと思ったから。
・話を聞き続けたい気持ちと、自分の話を混ぜることで生まれてくる話を見たい気持ちのせめぎ合い。
・「晴耕雨読」という考え方が気になってきた。”耕”の部分は、「畑を耕す」ということに限らず、活動というもの全般を当てはめる、そんな暮らしがいいかもしれない。
・床が震えるほどの貧乏ゆすり人は、「ハリーポッターと賢者の石」を観ていた。どの映画で揺すっとんねん。
・物理的な幸福と精神的な幸福。確かに物理的な幸福が安定して供給されないと、考えていくのは難しかったりする。人が物理的な幸福を最低限感じられるように、何かできないものだろうか。”自宅”を捉え直していくことは、そういった”常識”を変えていくものであれたらいいな。
・縦書きできる、日本語の凄さと美しさよ。
・複雑さを手放さないこと。怒りは複雑さを単純化してしまうための感情とはまさに。
・読み終わらないと思われた「忘れられた日本人(宮本常一)」を、高速鉄道でざくざくと読み進める。そして、読了。こうして近代の日本人の暮らしを垣間見ると、絶対的な日本の慣習だと思っていたことは、実は最近のことで、だからこそ、歴史を知り、”そもそも”を問うことで見えてくる道はあるんだと思えた。
・サラマンカとマドリードの定期(Abonos)を使って、マドリードまで日帰り。経由地が多いPríncipe Pío駅ルートは、3時間弱。経由地が少ないChamartín駅ルートは、2時間弱。無料(デポジットの20€)で数ヶ月乗り放題で最高じゃんと思ったが、たとえChamartín駅ルートでも、この移動時間は結構しんどい。特に日帰りはするもんじゃない。住む場所って難しいなぁ。
02.21(水)
・「哲学のはじまり(戸谷洋志)」を読み、対話をする。哲学でいえば、哲学者たちを体系的に知るべきだという流れには懐疑的だった。だが、そういった知識を積み重ねることで、開けていく視界や問いがあるはずだ。きっと自分は目の前の小さいな問い、自身の言葉で手繰り寄せていくことを大事にしたかったのだろう。おそらく、哲学を知識として”学ぶ”ということに、洒落くささを覚えていたんだろう。この本を読み、対話をしてみると、きっと両立はできると思えた。”学び”への食わず嫌いは、自分が大事にしたかった事柄から遠ざかる行為になってしまう。そういった前提を批評していくことを続けたい。
・フィルムのおもしろさは、想定外に身を委ねるということを身体的に体感できるところにある。フィルムは撮ることから現像するまで、身体的に腑に落ちるような行為なんだ。
・フェミニズムを唱える人は、なぜ自身のアイデンティティの強化に終始してしまうのか。攻撃的な振る舞いをしてしまうのか。誰かを判断するまなざしを自身に宿すことは、認め難い自分に出会うことでもあり、何よりも自身に刃を突き立ててしまう。そして、他者がそういった振る舞いをしたとき、「許せない」「自分ばっかり」という気持ちが湧き上がる。自身で傷付いたことの取り返しを図るからこそ、より他者に対して攻撃的になってしまうのだろう。傷を武器に戦おうという姿勢は、泥試合になって、不幸合戦になってしまう。だからこそ、武器を持つのではない、自身と他者への出会い方を探求したいと思っているのだ。
・現状の理解では、日本人(日本国籍を持っている状態)では、いくらEUまたはシェンゲン圏内の国の永住権を獲得しても、他国に自由に居住できるわけではない。たとえばシェンゲン圏内の国であっても、永住権を持っていない場合と同じく、180日内に90日間を超えた滞在はできないということか。EU圏内の国籍を持っている状態、EU市民権を持っていれば、EU圏内は自由に移動して好きなだけ滞在ができる。つまりは、どうしても制限を解除したい場合は、日本国籍を放棄してEUの国籍に変えないといけないのか。夢がないなぁ。
・”フォトグラファー”じゃなくて、”カメラマン”って呼ばれるのが嫌なのは、まず名前が最強にダサすぎるのはあるが、光を写す試みこそが写真を撮ることであって(photographの語源のように)、しかも技術屋じゃなくて、自分にとっての写真は生きることに繋がる行為であるから、”フォトグラファー”がしっくり来るんだよな。
・あえてをする必要はないが、誰かが撮るような写真は撮らなくていい。俺が撮る必要のあった写真を撮る。話すこと、書くことと共通してることだ。常識は誰かが担当するから、自身の役割だと思うことを信じてみる。
02.22(木)
・アメリカではアラスカに行ってみたいが、ポートランドのような街も気になる。
・読書会をやるときは特に、テーマの本を批評した本があればそれも読む。ない場合は近しい本も同時に読み進めるということをやろう。
・とある活動を始める。これからがとても楽しみだ。
・やりとりすること。対話だけではなく。
・生きる知恵か。
・プラグマティズム。実用主義。覚えにくい。
・思いがけず、担いでしまうこと。
・自然体でやりたいことをやってみること。そして場に置くときは、料理をするというか、編集というか、いい素材を活かせる置き方をすることはして良さそうだ。引っ張られないけど、尊重はするというような。
02.23(金)
・概念規定するだけの哲学や学問ならば、つまらないもの。だからこそ、どこまでも固有の人間性そのものを問い続けて、生まれてくる機微を見つめてみたいのだ。
・自分がやりたかった仕事とは、心が動いて何かをしてしまったということが、結果的に役割のように巡ってくる、”循環そのもの”を指すのだろう。
・やっぱり、Carmencita Film Labのフィルム現像の仕上がりが素晴らしい。とはいえ、遠い場所にいるときの利用は難しかったりするから、世界各地でお気に入りの現像所を開拓することは続けたいものだ。
・薬局で薬を買おうとするも、なぜか「また夜に来て」と言われて、その時間に行くと、無事に買うことができた。なぜすぐに買えなかったのか、非常に謎だ。
・白カビのソーセージ「フエ」を買ってみる。意外と癖のない、というかただのソーセージって感じだ。
・やっぱり、人と共に生きる道を探ることが、役割だよ。そのためのことをなんだってやってやるさ。
・フィルム文化を残していくことも役割なんじゃないかな。
・自分の喋っている音声を聞き直してみると、こうも間ができたり、言い淀んだりする喋り方をするんだと、今さらのように知った。そして、その喋り方を直そうとか、恥ずかしいとか思うのではなくて、ただ「こうやって話してるんだなぁ」と認識する気持ちが生まれたのは、嬉しいことだった。また、こういう喋り方だとしても、耳を傾けてくれる存在や環境があるということへの感謝にも気付けた。
・「過去の積み重ねの叡智を今の時代で実用していくには」という問い。
・批評的な目線は、「なんか気に食わない」で終わらず、むしろ活路を見出すというか、新たな目線が生まれるような発見の喜びがある。
・おもしろい方を選ぶというか、おもしろいかという基準だな。
・愛も遊びだなぁ。
02.24(土)
・chatGPT課金勢なのに、初めて「DALL-E(画像生成AI)」を使った。画像生成AIは、自分がざっくり思い描いていることを具現化させて、さらにその先のイメージを膨らませられるようになるな。
・カメラ持っている人がいたら、話し掛けてみようかな。
・いつか素晴らしい草原で、写真を撮ろう。
・他者の写真を見ると、容赦なく近寄って他者を撮っている。だからこそ、俺の距離感は俺だからこその距離感で、まさに役割と言えるのではないか。
・好ましくない文章ってあるよな。いくら綺麗に読みやすく考え抜かれた文章であっても。
・うぅ、ほんとに不調で、眠いし、つらい。治したい。
02.25(日)
・身体の不調は、バルセロナの家でのストレスが、今になって巡ってきたのかもしれないね。確かに辛かった。だからこそ、身体が訴えてきているのだろうか。
・ストレスがどこから来たから想像してみると、自身を労われそうだ。
・手を挙げると、急に風船が飛んできた。
・痛みがつらい。叫びたい。叫んだって治らない。何もできなくてもいいか。休もう。
・日常のままならなさが、想定外に写っていくような気がするから、フィルムが良いと感じるのかもな。