2024.01.22-01.28|雑記帳

01.22(月)

・批評には勉強がいるが、未熟でもなお、問いを立てることをやめるわけではない。むしろ、わからないからこそ、素直に疑問を持つのだ。

・言語がままならない状態で生き抜くというのは、それはそれで貴重な体験かもしれないな。

・「英語で話そう」と、スペイン語を拒絶すると何もわからなくなる。だけど、聞いてみようという気持ちになると、数単語ぐらいはなんとなく聞けるものだ。英語で話したいけど、毛嫌いせず、大学時代に学ぼうとしていたあの高揚感を思い出したいね。

・おもしろい方か、安全な方かでは、おもしろい方をとることか。おもしろいというか、うーんまあやってみたいみたいな。それがうまくいかなくても、別の選択肢が出てくる。

・マドリードのメトロは、アナウンスがないときあるよね。

・月曜日は無料という、ティッセン=ボルネミッサ美術館に行く。Maximilien Luce「Factory in the Moonlight」、Emil Nolde「Summer Afternoon」あたりが好きだった。

・たとえば、タバコを吸うこと、食事をとることなどは、休んだり、集まったりするための口実になるんだろうな。人が集まるということは、貴重なんだと思う。

・撮り終わったフィルムを現像するために、気になっていた新しくマドリードの店舗ができた「Carmencita Film Lab」に行ってみる。スキャンしたデータに縁を付けるかというパターンもあるのか。どんな風に現像されるのか楽しみだ。

・きっとなんとかなるよなぁ。

・続けていくことに意味が生まれるんだろうな。

・カセットテープをBluetoothスピーカーに繋いで聴くという方法もあるのか。

・俳句や短歌は、一般的な感情を表すより、その人の感情を言葉から読み取るということをさせるような言葉を使う。悲しいなら、悲しいとそのまま詠むより、自分にとって悲しいを表しているような言葉を探る的な。

01.23(火)

・おすすめしてもらった「知の体力(永田和宏)」が、するすると入ってくる。続けていることが、自身の居場所になる。風通しが良くなる。

・無数にあるアナログな思いを、言葉という有限的なものに切り分けて表現することがコミュニケーションで、ゆえに言葉だけがその人の真意というわけではない。

・平易な文章と、出来合いの文章は違う。平易でありながらも、自身の中で熟成された言葉が並ぶような文章でありたいと思う。

・クラッカーと白あん。その人の気持ちを表す言葉は、決して出来合いのものではなく、甘味と塩気のバランスが旨味を引き立てるように伝わってくるものだ。

・昨年のキング・オブ・コント優勝者、サルゴリラの「魚」のネタような。わけわからない”魚”を連発して例えるから、おもしろい。同時にそういう言葉で表現されることで、より秘められた思いが表現されることになる。まああれは単におもしろかったけど。

・コミュニケーションはお互いのままならない言葉を、定型的ではない形で交換していくことなのかもしれない。

・誰かに発見されたいという気持ちはあるよなぁ。

・不特定多数の他者に肯定してもらうというより、信頼している人にただ言及してもらうことが、何よりもエンパワーメントされるよう気がする。

・丘を歩くと生きてる感じがする。今日は月が怖い。

・野生のウサギと手作りジーザス。

01.24(水)

・人目が気になるのは、他者を他者ではなく、”人間”だとしっかり認識しているからこそ、気になってしまうのかもしれない。そうなると、むしろ人を人として扱っていることは、人と向き合おうとしている態度とも捉えられる。

・「知の体力(永田和宏)」を読み終わった。最初はうーんと思っていたが、後半から引き込まれて、するすると読めた。友人が「30代に入った時に読んでよかった本」と言っていて、それが少しわかった気がした。これからも、自分が思わずやってしまったことを大事にしていこうと思えた。俳句は好きだが、短歌もやってみようか。愛の定義もおもしろかった。

・予定を変更して、「History Museum of Madrid」に寄る。マドリードの歴史。スペインの物件は、リフォームをしてるけど、やっぱり昔からの建物を今も使っているっぽいよな。展示を熱心に観る人。聞かれた質問に丁寧に答える人。なんだかいいなぁ。

・フィルムの何に惹かれているのだろう。懐かしさだろうか。時間の経過を感じられること。待つことができること。仕上がりが変わること。

・珍しくスナップを撮ってみる。撮っていて、もどかしい。まだまだとも言えるし、好きじゃないとも言える。愛なき写真はまなざしとは遠い。消費するように一瞬一瞬を切り取るのは、自分の役割じゃないかもしれない。

・撮るぞって構えて撮るのは、なんか違うかもな。生きていて、偶然出会ったものを撮りたい。

・知らない人を愛なく撮っていくより、機会は多くなくとも、知っている人を、生きていて関わりがあると思えるものを撮っていたい。

01.25(木)

・場所を作るって、やっぱり開く、繋がることだよなぁ。

・生きていて出会う、にっこりしてしまう瞬間は写せるようにしたいね。誰構わず、被写体として消費しなければいいんだと思うから。

・話を終わらせようとする兆しが見えると、楽しいときほど話を引っ張りたくなる。

・うきうきして、喜んでいる大事な人を見ると、こっちまで幸せな気分になってくる。

・英語でもっと喋れたらと思うが、これだけたくさんのローカル言語を喋る人たちを見ると、第3、第4の言語を学ぶことは、きっと世界の広がりに触れるということなんだろう。

・きっと自分は生活を愛している。どこだって暮らしていける。そこには生活があり、苦楽と共にあることを知っているから。

・やっぱり定期的に色んな場所で暮らしていきたい。数ヶ月でいいからさ。ほんとに今年と来年は自宅を作るぞ。どこかに行けるための自宅を。

・「Carmencita Film Lab」での現像とスキャンが仕上がった。めっちゃいい仕上がり。現像所によって、こんなにも変わるものか。これはまた頼みたい。フィードバックもあって、撮りたい気持ちがまた高まる。

・スペイン語の「esperar」は、待つことと希望という意味がある。待つことが希望でもあるとは、まさにそうだと思った。

・「やってみたらいいじゃん」「行ってみたらいいじゃん」で終わらない言葉を探すために、言葉を紡いでいる。

・まなざしを記録してみること。それが置き方になる。

・作品において独特な表現をしている人は、どのようにそこへ辿り着いたのだろう。意味や効果を問いたいというより、ただそうなってしまったみたいな話をじっくり聞いてみたい。

・人を撮らなくても、街中のあらゆるシーン、一部を撮るということは、まなざしも込めて撮ることができるんじゃないか。ポートレートだけがスナップじゃない。

・近い距離じゃなくとも、相手の負担にならないぐらいの距離でシャッターを切るのはいいんじゃないか。なんでも近くあればいいわけじゃない。そうだ、そういったまなざしを記録してみようじゃないか。

01.26(金)

・北マケドニア出身の人と話す。そこでは人目を気にする人が多いという。日本だけじゃないんだね。「日本は〜」という文脈は、実はそんなことなかったりするんだろうな。

・先入観を取っ払うこと。

・受け取れてないものもあっていいという問い。

・愛は変わっていくものだな。

・おやじキャンプ飯・滋賀編(シーズン3)、終わってしまった。リアタイできてよかった。沈黙を楽しめるようになったよな。別れ際に「また明日」と言いたくなる気持ちがわかる。沁みるな。またいつか九州編(シーズン4)やってほしい。

・ドキュメンタリーとフィクション。物語が壊してしまうもの。ただ、不可解でも入れ込むことが創作にはあるんだろう。それによって、その部分が怪物となってしまう場合もあるが、確かに日常がリアルで溢れているわけではないことを思い出させてくれるきっかけになる可能性も秘めている。

・まなざしを大事にしたいこと、それはリアルさを大事にしたかった。過剰さを抜きたかった。素直な自分を写したものを表現していてほしかった。だが、フィションのようなものが時には混じることは、むしろ不可解さの中にある、素直な日常を映し出すこともあるんだろう。

・写真の仕事は、撮る人のまなざしが要らないような、被写体と広報の効果をとにかくピックアップするような仕事はしたくない。別に自分の視点を知らしめたいわけじゃなくて、写真に触れた人が自分のまなざしを通して、誰かのまなざしだという感覚を少しでも持つような写真を撮るのが、したい仕事だな。

・言葉の見方を変える。それは役割かもしれない。だからこそ、まとまらなくとも、わからなくとも、書き続けてみる。平易な文体で。それは役割でもあり、まだ見ぬ自身の他者性に驚き続けてしまうものかもしれないな。

・注意(Attention)は集めるものではなく、注ぐものである。

・写真を撮りたいのは、言葉を尽くして書きたいのは、その作り方がいまいちわからないからなんだろう。わからなさに含まれた希望を見出すからこそ、やってしまうものだ。

・経験とプロセス。それらを感じ、手渡すことが表現でもあるのか。

・行間を読みたい。プロセスを知りたいのは、表されたものに映るまなざしをどうしても見たい、それらを愛しているからなんだろう。

01.27(土)

・ケープタウンに住む夢を見た。行ってみたいけど。

・本を書きたい。まずは『秘密結社「喫煙所」』と「ままならず螺旋する」以外の連載を持つことかなぁ。

・どうしようもない気持ちを抱えたときは、あてもなく歩いてしまう。

・自分のことを知ってくれている人がいる場所にいるようにしよう。

・虚しいというより、環境が違うだけで、異世界にいるようだと改めて知った感じだ。

・マドリードのメトロは、バルセロナと違って犬が乗ってこない気がする。

01.28(日)

・情景描写か。それは苦手なものだ。深く潜って自身に聞いて書くことはできるんだけどな。

・情景描写に対する苦手意識。冗長さの嫌気。出来事をスローモーションに考えて、そのとき感じたことも書くのか。

・カップメンって、カップマンをカッコよく発音した感じなのか。

・二人して、なんだっけあれ〜と言い合う時間が尊い。

・初メトロポリターノに乗り込む。入り時間を6時間勘違いしてた。そんなことある?電話を切った後は、スタジアムの周りをぐるぐると回る。フィルムカメラを持ってぶらぶらすると、写真を頼まれる率が上がる。

・たまらず、セルベサとパタタス・フリータスを頼む。「ビールとフライドポテト」と言うより、謎めいた美味しさを感じるだろう。

・AC/DC「Thunderstruck」ほど、スタジアムに似合う曲はない。

・アトレティコ・マドリードvsバレンシア、待った甲斐がある。やはりサッカー観戦は楽しい。

・メトロポリターノのように、デカいスタジアムだからこその熱狂というのはありそう。またいつか観たい。