2024.01.15-01.21|雑記帳

01.15(月)

・生活史が読みたい。生活文化史、住宅史あたりも興味がある。それらを読むと、自身が感じていることがひっぱり出されて、広義的な自宅について考えられたらいいな。

・どうしたって、異常なことも日常であり、どこかに道を探そうとする。そういった希望は、すがらない限り大事だ。だが、本当に穏やかな日常を探していく道こそ、したいことな気がするよ。

・分岐を選ぶことは、その後に一本道が続いていくのではなく、さらにその先にある無数の分かれ道がある状態に入っていくことになるのか。

・「不完全な司書(青木海青子)」を読み終わる。一緒に頭を抱えることか。解決ではなく、分解。共にある、ということを探っていきたい。まさに開け放たれた窓のような本だった。

・こうしてキッチンの机で本を読みながら食べるのが至福だ。

・改めてスペインの野菜のデカさに可笑しさを感じる。

・「ヤーレンズのオールナイトニッポン0」はずっと聴けるな。ネタがおもしろい芸人は、一気に人間性まで好きになってしまう。ラジオが聴きたくなる。

・俳句、もっと知っていきたいね。語彙がまだまだだなぁ。たくさん素敵な言葉と表現を知っていきたい。とはいえ、自分には平易な言葉が合っているようでもある。痺れるような表現は羨ましくなるが、平易な言葉で、素直に今の自分にある言葉を紡いでいくのがいいような気もする。書くこと全般の話でもあるけど。

・本の中に、その思索に至ったきっかけのような本を紹介している本は、まさに窓というか、そこから世界が広がっていくような晴れやかに気持ちになる。

01.16(火)

・オンライン英会話は、雑談の練習としてやっていこうか。

・ようやく来月の宿を決める。一安心だ。日付が過ぎると焦ってくるから、月初で決めるのが良さそう。

・見せ方というより、置き方だな。その方がしっくりくる。どのように置くのか。置いてみたいのか。どう見られるかではなく、どんな様子だったら自分は良いと思えるのか。

・技術かなぁ。まなざしと影。この融合はできないものだろうか。

・やっぱバイクいいなぁ。4気筒に次は乗りたい。続けたいよ。

・かぼちゃスープには、クルトン必須。

・理由はある意味なんでもよくて、人がわざわざ集まることに意味が生まれるんだと思うな。

01.17(水)

・祈ろうじゃないか。大事な人の体調が良くなりますようにと。

・どんな場所で、どんな人に会っても、フェアに目の前で立っていたいものだ。

・険悪になるのが嫌だというのは、居心地の悪さに耐えられないということなのかな。

・「お嬢さん放浪記(犬飼道子)」を読み終わる。たくましさは、狡猾さというより、ユーモアがありながらも、どうにか生きることを真摯にフェアに向き合った過程に生み出されるものなんだろう。笑いどころが多くてサクサク読める本だが、犬飼さんのまなざしには、鋭さと誠実さがあって、もっと文章を読みたくなった。

・愛すほどに、自身との欲と向き合うようだ。

・ファンヒーターを返品する。返品理由を聞かれて「やっぱりいらなかったから」と正直に言うと、問題なく返金処理された。さすが返品大国スペイン。スタッフも何なら買ったときより愛想が良くて、なんだか不思議な気分。

・マドリードのメトロも騒がしいときもあるね。

・自己主張じゃなくて、オープンに正直に話す方が好きだ。

・「オッス!食国 美味しいにっぽん(小倉ヒラク)」を読み、味噌汁が飲みたくなってきた。出汁をとりたい。日本食材店へ買いに行く。

・日本食材店が聖域(サンクチュアリ)すぎて爆買いしそうになった。流石に凍ったおにぎりには手を出さなかったよ。

・洋食は料理する過程に時間をかけるから、作ってみるとより美味しく感じるのかな。和食は美味しいけど、既に時間をかけられた食材や調味料を拝借するから、過程の時間までは含まれにくいのでは。

・久しぶりの味噌汁は、美味すぎて飛ぶぞ。

01.18(木)

・水は対流さえも包み込む。水のようだったら。流れるままに受け止められたら。

・日本語や文化の疑問を相手から提示してもらって、そこに英語で答えていく、もしくは考えていくのって楽しいし、学習として為になる気がする。

・ルーツを研究した上で、フラットになっていくというのは、まさにあらゆることに共通するかもしれない。

・マドリードで上演してた日本語音声の「PERFECT DAYS」を観に行く。

・4Lぐらいのコーラとポップコーン。劇中の曲に合わせて歌うカップル。エンディングで既に明るくなる。

・映画の最後に、静かな拍手が巻き起こる。盛り上がりというより、静かなる称えるような拍手。後味がとても良かった。

・最後の笑顔と涙は何だったのだろう。卑下でもなく、ただ曲に心を震わせただけに思えた。美しい日々と後悔の強調ではないように受け取ったなぁ。そう見える映画だけど。平山は掃除も、仕事も大好きというわけではないのかもしれない。喜びはどこにでも忍び込んでくるものだと、ただ知っていたのではないだろうか。

・光と影ではあるが、影に着目してみたい。影を見ることで、光は浮き上がってくる。影がただ暗いというわけではない。影こそ、まなざしではないか。あのうっすらと、むしろ光のように膜を張った影。

・断片的な影の映像と読んだ本の文字。繰り返しのように見える日々にも、そのような断片は異なっており、まさに影踏みのように影が重なって濃く見える。その重厚さは、変わり映えしないと決して言えるものではないのだと思う。

・観終わった「PERFECT DAYS」と、読んでいる「暗闇のなかの希望 増補改訂版 語られない歴史、手つかずの可能性(レベッカ・ソルニット)」が繋がってくる。希望を見ることは、想像力がいる。絶望に浸ろうとするのは、そこにある予想しやすい安定に留まることなんだろう。

・人生は希望であり、それは冒険であるからで、そこにある恐れの形は、どうしたって想像力が試されて、絶望の安定に留まれないという確信なのかもしれない。恐れは希望の確信なのだ。希望は不確かさと不安定さの中にあるものだから。

・影の探求だな。濃く予想できる絶望ではなく、どうしたって見えてきてしまう、穏やかな冒険を表すような、想定外の希望を見出したい。写真と文章、いやあらゆることにそうかもしれない。

・本との出会いは、タイミングでもあるが、読書体験、読書をする環境によって、大きく変わるのかもしれない。読書における、読書だけにかかりきりになる時間が好きだからさ。

01.19(金)

・夢の中で歌ってると、知らずに声が出てないか心配になる。

・喜びはどこにでも忍び込むもんだぜ。

・批評するなら勉強をとは本当だなぁ。

・ペットボトルのキャップが、ミネラルの中へ沈んでいく。

・「フィルムが好きだ」と君が言ったから、一月十九日はキャップを付けたままシャッター切ってしまった記念日。

・冷たい風、頬から体温を意識する。冬の悪くない瞬間。

・次のフィルムは、絶対モノクロだ。早速、「PERFECT DAYS」の影響が混ざっていく。

・監督のヴィム・ヴェンダースが気になってきた。夫婦で写真も撮るらしい。エッセイも書くみたい。日本語訳の本は少なそうだから、ついに英語の本を読むときが来たかもな。

・英語が超スローペースで上達している。自分の喋り方でいい。ゆっくりと完璧じゃない発音でいい。ただ、話したいことで、言葉を尽くせるようになりたい。目標はそれだけかもな。言葉を尽くしたいのは、日本語だってそうだから。

・木のように生きるか。「旅をする木」と「PERFECT DAYS」が繋がったな。平山が読んでいた「木(幸田文)」。

・8Lの水をスーパーから運ぶのは運動だね。ポテトは野菜理論。

・取材執筆は仕事としてやらないと封印したけど、どこかに行ったついでに話を聞くのはしたい。だとしたら、聞く係で書く人は別でお願いするとかかな。でも聞くのは聞きたいからであって、スクリプト作って聞くのは嫌だな。

・誰かを判断するのはやめようではないか。

01.20(土)

・眠くなるまで、本を読み続けるのが良いかもしれない。

・目くじらを立てたような主張より、人の奥にある遊び心をくすぐるような話の方が惹かれてしまうものだ。

・何であるかというより、何でないかを探求することかもな。

・自身の写真に対して、過剰に重ねてしまう傾向にあることが後ろめたかった。だけど、写真がまなざしを表すならば、自分はそういった写り方で何を表したかったんだろうという問いになる。きっとそこには、まなざしが宿っている。気恥ずかしさはあったりするが、そのときのまなざしがどんな結果になったとしても、大事にしていいんじゃないか。こういう風にどうしても見たかった、という祈りは、自身で尊重したい。

・愛するということとは、決して複雑で重いものではなく、軽やかでポンっと手渡せるものなんだろう。というか、そう信じていたい。

・夜道を歩いても、治安的な怖さはあるが、お化け的な怖さを感じることはなくなったような。

・俳句における、選句や自選。写真もそうかもしれない。作ったものの中で何を置いてみるのか。

01.21(日)

・ノスタルジーは固執しない限り、大事にしても良いと思うな。だからこそ、フィルムはずっと続けていきたい。フィルムを絶やさないための活動をしたい。

・帰国したら、Yashica Electro 35 GXの故障部分を直したい。

・インスタはギャラリーのように、写真を置いておくように運用しておこう。

・夏にはどこかでダイビングしたい。

・ようやく観始めた「逃げるは恥だが役に立つ」だが、ついに観終わった。するっと観られるドラマだったな。だから流行っていたのか。一緒に暮らす人は、まさに共同経営責任者だよなぁ。どのような関係性であれ、再構築というか、対話というか、見直しを続けるもので、その胆力はきっと苦しいだけのものじゃないんだと思った。