2024.01.08-01.14|雑記帳

01.08(月)

・ためらいがあるような素直さを持つ人が好きだ。その”好き”は変わっていくものだが、”どうしようもなく好いてしまうこと”を自身で認めないような形ではありたくない。

・「それはフラットであるのか」という問いは、鋭いものでありながらも、自身が感じたものを横に置いて、客観性と平等を無条件に良しとすることになってしまうのではないか。

・素直さを求めすぎてしまうという指摘への暫定解は、素直じゃないことを許容できないわけでもなく、フラットな見方が全て良しであるわけでもなく、それでも素直さを探求することが好きだという自身への信頼があるからという形で返したい。

・横並びというのは、果たして平等なのか。

・「こうしたエビデンスベースの議論は、現状以上の情報を参照することが困難です(生涯未婚時代)」まさに、客観的な事実と言われる根拠は、固有の状態で、日々変化している一人ひとりを置き去りにしているように思えることがある。そこに付随した、その人が感じたことや、見えてきた希望を語ってほしいと思ってしまう。

・堂々していればいいというのは、自身へのエンパワーメントとなるが、同時に周囲を威圧していく状態になってしまうこともある。堂々としながらも、親切であることは両立できないものか。

・欲しかった愛じゃないってことは、家族以外のもっと遠い関係性だとしてもあることなんだろうな。

・批評とは、今ある規則を疑うことなのか。

・マドリード市内に出掛けたついでに、「臆病者の自転車生活(安達茉莉子)」を一気読みしてしまう。バイクは好きだから悩ましいが、もう車の運転は嫌だなと思ってた。そうやって不快さを避けるのも大事だけど、車やバイクが繋げてくれた楽しさは確かにあって、まだ決断しなくてもいいのかもしれない。バイクは引き続き乗るかもしれないが、誰かを乗せるためにも、車という選択はまだ保留にしておこう。

・「未知とは、私自身でもあった(臆病者の自転車生活)」わからなさとは、自分自身である。わからないことは悩ましいというより、歓迎するように考え事をするという感じだ。まだ見ぬわからなさに対して、新しい一歩を踏み出していけるような本だった。新年に読めて良かったね。

01.09(火)

・アイデンティティとは変化していくものなのに、変化を拒むための理由になることがある。

・日本人というアイデンティティだけに固執して、日本に帰ってもそこにしがみつくことはしたくない。まだ言葉は思いつかないけど、やはり日本と海外と区別して、比較の目線だけで物事を捉えることはしたくない。なんとか踏みとどまって、そこを超えて、両者を繋いでみたいものだ。

・日本で自宅ができたとしても、海外との繋がりは保ち続けたい。

・災害は、時間が経ってからの戸惑いというものもあるのか。

・ホーム、居場所、故郷。自宅から開いてみて、考えていくこと。そういうことはきっと命題になるのだと思う。”はたらくこと”も、そこに絡んでいくんだろう。

・ZINEのことは、1月中には動き出したい。

・服に付いた料理の匂いは、風にあてると取れやすい。

・苦手と合わないって別なのかな。

・「幽遊白書」の実写版を観終わる。5話にまとめると、キャラクターへの感情移入しにくいよね。改めて漫画が読み返したくなった。

01.10(水)

・何かしら引っかかることが起こったとき、きっとそれは時を待つうちに、少しずつほぐされて、何かが見つかっていくものなんだろう。

・見せ方。目に見えるようにすることで、完全ではないからこそ、何度も捉え直して、また語っていくことができる。他者とそのような過程を共有する方法が、自分にとっての見せ方なんだ。

・解放、比較。環境による身体性の変化。

・自身にどんな問いがあろうと、他者を祝福できるようでありたい。

・責任を負いたくない。それはリラックスして、自分のペースで好きなようにしたいから。責任とは。背負うことで見えるものがあるから、試しにやってみるのか。そもそもしたいことは、リラックスな状態であるわけだから、それをどのように実現するのか考えていく方がいいような。

・日本人だからといって、祖先が日本人かもわからないし、そもそも民族や文化も違う。それを同一だとみなしているのは、実は違うかもしれないという視点。むしろ、日本人のルーツは一緒だという無意識が、空気感を生み出しているのでは。とはいえ、ルーツが違うからわかりあえるわけないではなく、そもそも他者は固有の違う人間である上に、ルーツも違うという可能性もあるって感じか。

・日本と海外を比較して、分断することはしたくない。むしろ両者を繋げて考えたいのだ。日本の問題と思えることも、日本独自のものではなく、民族意識や人間性、そこが問題であるような気がして、それは形を変えて、海外にも存在しているんじゃないか。だとしたら、そこを問い続けたいという態度なんだろうな。

・ほんとラジオがやりたい。好きなように喋りたい。

・構えないことか。自分で囲ったものの中だけに他者を押し込めようとしないこと。

・敬体は素直さが滲み出にくくて好きじゃないと思ってたけど、自身に深く根付いた体験をもとに、静かに語りかけるような敬体の文章には、驚くほど素直で素朴な印象を抱いた。常体の方が好みである確率は高いが、敬体が全て微妙ではない。むしろ、体験が増えてくると、それを語るには、静かなる敬体の書き方が合うんじゃないだろうか。

・余裕がないうちに、拠点探しで転々としていくと、きっとまた辛くなる。だとしたら、先に目ぼしい場所を探しておいて、帰国後にいくつか試してみる。そこで家を見つけて、住み始めてしまう。生活が落ち着いたら、家を持ったまま、ゆったり拠点探しをしてみる。数年かかってもいいし、海外暮らしを挟んでもいい。そうして、拠点を持つ良さを知った上で、良さそうな場所があったら、そこに拠点を移していく。たとえ拠点を持ったとしても、絶対に動かさない覚悟で居着くわけではないのだからこそだ。色々見ていって、結局最初のそこが良くなる可能性もある。

01.11(木)

・受けたモヤモヤは、必ずいつか、誰かの声を聞く力に変えてやる。

・忙しさ、ままならなさ。どうにか心配事が消えてほしいという願望は、強く抱いているのかもな。でも、それらを抱えながらのリラックスはできるんじゃないだろうか。

・ほんとに見せ方というか、自分がやっていることとやりたいことを表明することは、この大変さの中で、どうにか見えてくる希望を失わないようにするためだ。つまり、生きるために必要なことだと思う。だからこそ、優先してやってみよう。

・今年は絶対楽しい年にしてやる。心が弾む年にする。拠点作りなんて楽しそうじゃないか。ついに定住ができるんだぜ。急に脅かされることも、移動生活よりは少ない。たくさんの問いをもって、対話して、開いてやるんだ。上手くいかないことも込みで、それでも楽しんでやると思えている。

・やりたいことをドバッと書き出したが、焦らず、一つひとつやっていこう。

・「居場所のなさを旅しよう(磯前順一)」読んで良かった。ほんとうに。居場所のない自分は、きっと誰かに愛を渡すことができて、理解を超えた何かを恐れずに受け入れて生きていけるんだと思えた。

・具沢山のスープを作ると、幸せ感ある。たくさん美味しいものを作ろうじゃないか。

01.12(金)

・「批評するなら勉強しよう」とは確かに。勉強というか、調べることで膨大なものの輪郭に触れることはある。

・今まで撮ってきた写真に対する、人間性の見えてこなさ。きっと自分だからというバイアスもあるだろうが、写真を見ると、想像の余地がないように思ったりする。誰がどのように撮ったのか。何がここで起こっていたのか。綺麗ではあるけど、見えてこない。この辺は見せ方と同時に探りたい。

・つまらない写真でありたくない。つまらなさとは余地がなく、どこか忙しない。想像力は鑑賞者が働かせるものであるが、どうも想像のしようがないような感覚を抱く。被写体が何であれ、そこに写っているものを、ただ見させられているような写真。

・目を引く写真とは、想像の余地があり、その人が確かに生きていた記録を垣間見るような感覚を抱く。そこに写っているものを見てみると、その奥にある、その人のまなざしを感じるような写真。まなざしを窓とするならば、その人と窓辺に並んで、一緒に沈黙を味わうような温かさがある。

・まなざしだ。その人のまなざしを感じるような写真。日常的でも、素朴でもなく、共に沈黙を味わうような温かさがある。そういった写真を見ると、なぜか少し嬉しくなってしまう。だからこそ、どうしようもなく目を引くものとなり、共にある感覚を抱く。

・“いい”つまらない写真というのもあり、言葉を添えたら、そこにまなざしを吹き込める。だけど、写真1枚で感じることのできる表現だってあると信じている。

・つまらなさは、光だ。わかりやすく、受け取りやすい。目を引くものは、影だ。引きつけられて、変化していく。共にあるということを、思い出させてくれる。自分の写真のつまらなさは認め難いが、そういった写真があり、目を引くような写真になるときもある。光と影のように、どちらが欠けても存在できないように、そういった写真であったとしても、存在をなかったことにはしたくない。

・つまらなくたっていいのかもしれないな。だけど、それでも目を引く写真を撮っていたい。注目を集めたいわけではなく、どこかの誰かも、いつかの自分も、何も言わずに、じっと見つめるような写真が撮りたいんだ。

・欲しかった愛は、家族からは貰えなかった。これからも貰えることはない。それでも、本を通して、対話を通して、愛を受け取ることは、これからもたくさんあるんだろうと思えた。

・対話と読むことは、愛に関わることかもしれないな。自分の撮る、書く、対話する、読むの中で、”読む”だけ受け取る一方な印象が少しあった。だが、”読む”は死者や他者とも繋がる行為であり、たくさんのものを受け取ることになる。そして愛を与えていく。そういった愛に気付くことは、全く受動的でもなくて、むしろ開かれた行為が、”読む”なのだと思う。

・わからなさに、じっと踏みとどまるような人をどうしたって愛してしまう。

01.13(土)

・人に会う前に、理想像を想像して実際に会うと、全然違うじゃんと思ってしまうときがある。けれど、それは他者を自分の想像内に押し込める行為ではないのか。他者とは、枠に留まらない開かれた存在である。

・どんなに話す人でも、知らないこともある。他者性とは身近である。自身の中にもある。

・正直でいたいものだな。仕事の方向性を変えていること。目的も答えもわからぬまま、スペインへ来たこと。

・野心やキャリアって、全然考えたことないな。

・たとえば、ストレスまみれの人が、自分ではなく他者にベクトルを向けなければと思うのは、むしろ共倒れというか、利他と利己ではない、自利利他のような態度が必要であるように思う。うーん、上手く言えないけど。

・何かあったら素直に謝れて、さっぱりしている関係性がやっぱりいいと思っちゃうね。

・眠いけど、まあ元気だ。

・にゃおんと 鳴いてみたものの 逃げ場がない

・苦手というより、できないことを堂々と話せる方がいいな。苦手と固定するわけじゃないが、どうしてもできなかったんだ今の自分にはね。そういう態度から始まることだってあるんじゃないか。

・批評って好きかもしれない。前提を問い、学び続ける。変化を受け入れる。

・技術があっても、まなざしがある写真もあるなぁ。

・人に出会うと、言葉にも出会うのか。言葉好きだから、そういう出会い方もあるんだな。

01.14(日)

・考察があって、それを裏付けする根拠が出てきたら、おもしろいよねという発想。

・「令和ロマンのオールナイトニッポン」、「オールナイトニッポンPODCAST」を聴く。stand.FMの「令和ロマンのご様子」より、なんかおもしろかった。同世代と、懐かしい人物や作品の話を出して笑うのが、一番楽しいかもしれない。ハリー・ポッターとか、よくパッと出てくるよなぁ。

・スマホで地道に読んでいた、「影との戦い: ゲド戦記1(アーシュラ・K・ル=グウィン)」を読了。恐れから影を生み出し、追われる側から追う側へ。光と影という人間の二面性という捉え方はしないが、影の濃さは光と共に変化することは、知っておきたいと思った。ファンタジー文学に収まらない作品だった。

・技術を学ぶ余地はある。情熱が戻ってきた。もっと撮りたい。目を引く写真を。まなざしと技術の共存は、人生をかけて取り組む価値がある。

・文章を書いているとき、どんな気分だろうか。あの、思うことを書いていったら、思わぬ場所に出てくる感覚。トンネルをくぐる。当てもなく道を歩く。視界が開ける。潜っていく。

・地方にて、家賃の安い物件があったら、小さなシェア書店とかやってもいいかも。おそらく、最初に移住する先では、自宅を開くことまではできなくて。だとしたら、近場に共同でお店を持つというのが、やってみたら楽しそうだ。まだまだ妄想ではあるが、やってみたいと思えたのは、自分で驚きだった。

・他者への呪いの言葉というのは、積み重なった抑圧となり、いつかの自分に返ってくる。だからこそ、悪意の連鎖をさせたくないのだ。