01.01(月)
・ついに2024年か。新しい年だ。どうなるんだろうな。きっとまた楽しい1年になるだろうと、確かに思う。
・元旦のバルセロナは静かだ。正月の雰囲気が全くないように思える。年末年始にもかかわらず、街中ではクリスマスのイルミネーションが続いているから、そう感じるんだろうか。
・去年は「睡眠こそ生活を作る」と、心底腑に落ちた年だった。今年は快眠できるような年にしたい。
・読みたい本のリストが膨大になってきて、なんとか整理したい気持ち。
・L3のメトロに乗っていると、立っていた家族が全員分の席が空いた瞬間、ダッシュで席を確保しに行き、勢いよく座ったせいで、バッグの中に入れていたポテチがボンっと弾ける音がした。するとその家族は「ハハハ」と笑い合いながら、そのままポテチを食べ始めた。もはや天晴れな流れだと思った。
・カフェで座っていると、デッドプールの服を来た少年が目を伏せたまま、向かいの席の椅子を静かに持ち去った。
01.02(火)
・バルセロナに住んでおよそ4ヶ月、色々と会計をするタイミングはあったけど、現金を使う場面はほんとに1回ぐらいで、改めてバルセロナは超キャッシュレス文化なんだなぁと思った。
・写真を見て1年を振り返る。こうして写真を見てみると、たくさんの納得できるものを撮っていた。同時に、たとえ撮らなかったとしても、素晴らしい瞬間はたくさんあったのだと気付いた。
・愛する人の代わりに、広い意味での”はたらくこと”が、ときに愛の表現になったりするんだろうと思った。
・「おやじキャンプ飯(京都編・シーズン1)」は数エピソードだけ観て止まっていたので、数年ぶりに続きを観ることにした。見事にハマってしまった。今も昔も変わらずキャンプはやらないけど、何よりもこのドラマの“間”の心地よさを楽しめるようになったと思う。
01.03(水)
・災害や事件が起こるたびに、罪悪感に近いような居心地の悪さを連帯で”背負わされる”ような感覚を覚える。決して関わった人たちを責めたいわけではない。ただ、沖縄で暮らしていたとき、パンデミックを体験して感じていた息苦しさを今日は思い出していた。社会全体の空気が変わる感覚は、日本特有の現象なのだろうか。思ったのは、いくら災害の多い国とはいえ、その受け止め方まで慣れているとは限らないということだろう。何度経験したって慣れるものではない。どのような距離感であったとしても、それらに対峙してしまったとき、戸惑うものなんだと思った。
・作品、それはアートだけではなく、その人自体が表したもの全般のことだが、命の輝きというか、ある種の生きる上での切実さが出ているものが好きだ。そこがないものは、見てられないと思ってしまうほどで。
・思考のためらいがない人の意見は、魅力的じゃないんだよなぁ。
・期待と怒り。評価を下す際に、鋭利な言葉を使おうとしてしまうのは、それだけ期待を裏切られた怒りがあるからだろう。
・引越しの準備をする。とはいえ、荷物はスーツケースに収まる分しか持っていないから、すぐに終わってしまった。また移動生活が始まる。昼は街を歩いて、人や文化に触れて、夜はゆったりして、時たま文章を書いたりして、ほんとにそんな生活がしたいだけなのだ。
・ルームメイトを恨む代わりに、自分の生活というものを探求してやろうと思う。自分にとっての穏やかな暮らしとは何であるのか。
・メトロにて、めちゃポップな曲と共に、スリ注意のアナウンスが日本語で流れる。スペイン語、英語、日本語だから、どれだけ日本人がターゲットにされているかということだよね。初めてこのアナウンスを聞いたよ。
・カルソッツを食べたくて入った店が、ほぼ韓国人と日本人しかなかった。韓国人は気にせず食事を楽しんでいたが、日本人は会話もロクにせず、ジロジロと見てくるようで、なんだか居心地が悪かった。カルソッツは美味しいけど、想像通りの味だった。一人で外食って、やっぱり店を選ばないと、あんまりしたくないなぁ。サクっと食べたいだけなのにね。
・バルセロナ対レアル・マドリードのバスケ版クラシコを観戦する。バスケを初めて生で観たけど、めちゃくちゃおもしろいなぁ。バスケはスポーツとして仕組みが優れてるよね。観るだけでとにかく楽しかった。前半終了(第2クォーター)間際に放たれたシュートがブザーの後に入り、ブザービート?的な展開で、劇的に盛り上がる。そして、逆転勝ちして、気持ちの良い試合だった。NBAとかもいつか観てみたい。
・スペインの文化では「はしたない」という感覚が、もしかしたらないのかもしれない。
・迷惑掛けるのは、悪意があるわけじゃないのか。悪意とは。迷惑とは。悪気。無邪気というか。何かが起こってから、受け止めることなのか。
・「旅をする木(星野道夫)」を読み終わる。魅力的な文章だった。読んでいて嬉しくなった。トウヒの木のように、これからどのように流れ着いて生きていくのだろうか。
01.04(木)
・引越しはいつだって寂しいものだ。ようやく終わったと言えるが、これからまた新しい生活が始まっていくのだという実感がある。
・スーツケースを持ってエレベーターに乗っていると、乗り合わせたおばあちゃんから「¡Feliz año!(あけましておめでとう)」といきなり言われた。なんだか嬉しかった。
・バルセロナと大阪の類似性。共に第二都市だ。第二都市はそうしたカオスさを包容する気質があるのだろうか。
・かつて誰かに助けてもらった記憶がある。だからこそ、自分も誰かに手を伸ばしてみる。そういった循環の中で生きていたい。悪意の連鎖はもう嫌だ。
・「不完全な司書(青木海青子)」を読みながら、iryo(高速鉄道)に乗って、バルセロナからマドリードへ向かった。作中に「窓」というメタファーが出てきたように、こうして車窓の景色もまた「窓」である。どこへでも行けるという気持ちになる。窓から流れる景色を見ていると、これからいくらでも楽しみを見出せる気がした。
・「良いところに住めますように」と祈ってもらえた。
・ゆっくりして、寝て、とにかく手づくりのご飯が食べたい。
01.05(金)
・「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」、応募者19万人だったのかよ。キャパ4万ぐらいだとして、それは当たらないよね。それでも、行きたかったなぁ。あんまりライブに応募するということがなかったから、受け止め方に戸惑うもんだ。
・外が寒い。冬だ。冬が来た。暖かいバルセロナから来たから、ようやく冬を感じた。
・調味料をたくさん持てることって、幸せなことだよな。
・たどたどしい「幸せな賢者たち」に、ほっこりする。幸せなら良かったよ。
・スペインで1月6日に食べるという、「Roscón de Reyes」というケーキを買ってみる。そしたらホストが、そのケーキを焼いてくれていた。
・穏やかな生活をするには、たくさんのものを受け取らなければならない。だからこそ、そこを基盤に自分にできる形で誰かに渡していきたい。
・生活の中で、人の存在を感じるのが苦手なんだろうな。それが悪意があったり、配慮がない人だったりするのが怖いわけで。信じることだよな。
・どこかで自分が悪いと思っているんだろうか。静かなところが良いということは、静かではないところに居られない自分という認識があるのかも。そこをほぐせたらいいな。
01.06(土)
・今日は「Los Reyes Magos(公現祭)」という祝日。この日までクリスマスというが、明日からはクリスマスライトなどは撤収されるのだろうか。されない気がする。
・新しい環境には徐々に慣れていきたい。
・“ゆめ”を”ふゆ”と打つ”あさ”。
・夢の中 腕にからむ 冬の朝
・太陽って暖かいんだなぁ。
・「逃げ恥」をついに観ますか。
・逃げることと、選択の違い。逃亡は一時的であり、選択に対して開かれている。
・社会が変わるというのは、曖昧で長い時間を要するものだ。だからこそ、今から手づくりしてみる。それは社会の変革に頼らないわけではなく、そこにも乗っかりながらも、周辺を誰かと共に作っていく。協力していく。
・実践か。今年と来年はそうなるかな。”自宅”を周辺として手づくりしていくこととは、一体何であるのか。そこを探求していきたい。
・「ちょっと通して」があんなに優しい手であることあるんだ。
・見せ方を学ぶときかもしれない。そこから得られる他者評価に甘んじず、でも合うものと繋がるためにも、アンテナのような役割。見られないと意味がないとか、ダサくないことを価値観に置くこととか、そういう風には流れたくない。
・マドリードのメトロにもパフォーマーいるんだ。
・電車で読む「影との戦い: ゲド戦記 1(アーシュラ・K・ル=グウィン)」ほど、捗る本はないな。
・ほんとに自宅、家族、居場所の解体だな。一気に崩れるということはあって、でもそれを防ごうとすることはできることなのだろうか。
・緊急時は助け合えるのに、なぜ普段は人を蹴落とすようなことになってしまうのだろう。
・余剰がある人が助けたらいいし、何もしないことを責めない。誰かの行動を判断しないことだよな。
01.07(日)
・やらない理由は、なんだっていいじゃないか。理由はあるけど、その穴に気付いてないわけじゃない。やったっていいけど、やらないようにしたかったということだ。“やらない”を”したい”ということかな。そういう葛藤を含んだ、”やらない”に自分で気付きたいものだ。
・不便を知るというのは、生きる知恵ではあるが、快適さを享受できると、またそこに慣れるようになる。難しいもんだ。
・結婚や子育てを成熟に必要なステップだと捉えてる前提が、日本にはあるのかもな。
・調理したご飯の温かさ。作ったからという執着でもなく、なんだろう人の手が入った安心感。惣菜やレトルトは美味しい。もしかしたら、味だってより美味しいかもしれない。それでも、味を摂取するというか、腹を満たすという感じで、いくら簡単なものであっても、手料理の食事という体験とは全く別物であると感じる。
・何をソースにしたって、その人が感じたことは、その人にとっての真実となる。体験した人の話が正しいわけでもなく、なんだって根拠にできるわけだから、やはりどう感じているかだ。
・食事しながらの読書は、意外といいもんだ。「生涯未婚時代(永田夏来)」を読み始める。
・「伝説のスタフィー」とか子どもの頃やってたな。久しぶりに思い出した。
・日中に家に人がいても苦痛じゃないって、久々で嬉しいな。
・フラメンコも観てみたい。
・ぬくぬくって幸せだ。