08.21(月)
・言葉が黙らせるための圧力に変わる時がある。だからこそ、簡単に怒りで返したくない。傷で傷を殴るということをしないにはどうしたらいいのか捉え続けたい。
・人を絶妙に入れようとする写真を見ると、そういう風になりたいと思ってしまう。だけど、完全にモノにいくわけでもなく、絶妙に人自体を入れない写真もまたおもしろいのかも。
・おじさんの中腰おもろい。
・言葉が降り積り、価値観が重なっていく。
・あのカツオの甘さは、なかったことにしたくない。
・物書きの電源確保のちロックオン。
・物書きは謝罪してまで言葉こぼさず。
・席を移動して自撮り。
・筋肉がないから足を水平に維持するのが疲れるとは。
・自分のことを自分で尊重できていないときがある。どのような気持ちを抱いても、捉え直すとしても、抱いたことは尊重されていいのだと思う。
・自分を癒すことすら躊躇うとはね。
・自分にないものを持っているとき、もはや自分の範疇に収まるように憤りを抱えていては、身動きが取れまい。得体の知れぬものして、もはやぬくぬくと温かさを感じるほかないのだ。
・「わたしの貧しく小さな詩も いつか誰かの哀しみを少しは濯うこともあるだろうか(古歌・茨木のり子)」あなたの歌は、たしかに届いている。こんなに嬉しいことはないなぁ。
08.22(火)
・息のしやすさってあるよな。
・自分のしっかりした言葉が欲しいというのは、探究の過程にあるな。
・自分が文学に、言葉に感じた可能性に対する信頼はどれほどだっただろうか。そのために、紫の火花のために、生きようとしているだろうか。生を全うする価値はあるのではないか。どうやっていけばいいのか力を尽くしてみないか。
・クリティカル・ヒットって、意外と心地よい。
・蓄えることと爆発か。後から育てたものが露呈していくことがあるのだろうな。
・人とは長く付き合うものだというのは、古臭い考えなのだろうか。そこに回帰するものなのか、今だからこその”スマートな”解決方法があるのだろうか。
・自分がどうしてもしたいと思うこと、傷があることは、ほんとに認めてみようじゃないか。
・わからないときは、メタファーをメタファーのままで捉える。つまりは詩的な文章だからこそ、よりグッとイメージして深めていけるような。
08.23(水)
・咀嚼する時間を長く取りたい。時間の流れは同調したくない。食べるのは早いのにね。
・自分の成長が昔は最悪だったというより、ああこんな旋回をして、いまはこんなかんじなんだと感心するように思いたいものだね。
・弱さが生きがいや仕事になるのかもしれない。
・苦しさの先にあるひたむきな態度。それは強さでもあるが、弱さを抱えたままの強さであることを忘れてはならない。決して、その強さのみに言及してみるものではないのだと思う。
・語りを聞くというのは、傷を知るということか。
・気楽さ。どちらでもないところに耐えられること。
・生命は常に動き続けているものなのかもしれない。立ち止まることは難しくて、生活が落ち着くこともなくて、動いているものなのだ。
・抑圧があるんだろうな。語りとして出てしまうもの。それはどうしたらいいんだろう。
・自分が意図しないところを汲み取って、感じたりされるものなんだ。
・ほんとに俺は人間を舐めているのかもしれないな。素直さだけが美しいのではなくて、どんな人にも生きてきた積み重ねが途方もないほどある。その途方もなさは畏敬となり、どこかに美しさを感じずにはいられなくなるのだと思う。
08.24(木)
・書く場所をさがしているのかもな。
・他者がどのような問いを持つのかは、責めることはできないよ。
・わからないままで良いのかもしれない。焦って萎ませるより。どんなものが生まれるのか楽しみにしてみる。先に形があるのではなく、振り返ったら螺旋がそこにあったのだ。
・細々とやっていることは、誰かが受け取ったりしてくれているみたいだ。
・回復というのは、全てなくなることでもないのか。なくなることもあるけど。
・勇気というのは、条件次第なのかもしれんな。
・傷付いたからこそ、傷付けるようなふるまいをしてしまうことはあるだろうな。
・評価というのは、その枠組みの中の想像力を超えるものではないのか。
・体温に救われるというのがあるのだと思う。
・往来する思考があって、その狭間に旋回してきたような考えを大切にしたいと思う。
・他者を堅苦しい像に当てはめると、自身も堅苦しい像に当てはめることになってしまったりするよね。
08.25(金)
・真摯に生きようと、いいものを作ろうとするからこそ、不安になる。それは当然のことかもしれない。だからこそ、抱いてみたいのかもしれないな。
・深刻になりすぎず、でも軽視せず、じっくり待って笑い飛ばすような場所か。
・淡さか。濃さも大事だが、淡いの色をもっと知った方がいいのかもな。深く濃いものがいいと思いすぎていたりしたから。
・うっかりだと思えることは、想定外を許容できることであり、弱さを抱える強さでもあるのかもしれない。そして、幸福感にも繋がっていきそう。
・周りの環境や関係性によっては、ミスではなく、うっかりとしておもしろくなる。
・対話を試みてしまうのは、対話によって、うっかりを許容していきたいのかもしれないな。
・おじさんという神様が降臨した。
・考えるのはなんだろう。対話や書くことは考えるに収まるのか。それとも作ることなのか。
・世界に既にあるものを自身の知覚を通して、応じることか。
・既に存在しているものに気付くというのは、存在するために必要なものを探るより、いかにして発生したのかと、捉え直してみるところから、応答は始まるのかもしれない。
・厳密さは硬直と麻痺を引き起こすのか。
・言葉を動けなく固定するものとして使いたくない。生きている言葉として、動き続けることを了承していたい。
08.26(土)
・素直さが出てきたとき、言葉に魂が乗ったとき、なぜかおもしろくなってくるものだ。それは人間が唯一託した希望ではないだろうか。
・弱さを抱えたままの強さには、何がいるのだろうか。何かを信じることでもあるのかな。世界の流れを感じることもそうかもしれない。
・世界と繋がりたいという渇き。それはなくすものではなく、評価に陥るのでもなく、流れを感じることで入っていけるのではないか。
・深刻にならず、でも真摯である。
・作り出したら、「もう知らないよ」とさっぱり手放すのが、作ることなんだろうな。
・ハンドルを外してみたのか。
・引っ張られる。助けられるとかよりも、気付いたら流れに入っていた。
・暗い部屋の中でろうそくの光に照らされるように、傷の形を知ることで、解明されていくことがある。
・寂しさにも種類があるんだろう。
08.27(日)
・創造力を失わないための情報の遮断は必要なのかな。そしてお金や見せ方は他に託せばいいのかもしれないな。
・感度。淡い。その感度の度合いを知ってみたい。存在を知り、そこから生まれたものを見ていくこと。
・スペインだって生活だ。家は探すし、どう生きるかは今も変わらないのでは。
・感情的に話すこと、それを抑えて対話するそと。この二つなのだろうか。でも確かに感情的に話すと、正しさの言い争いになりやすい。
・好き嫌いぐらい、わしが決めるわい。
・いつでも引き返せるからこそ、探求できるのか。
・解散する芸人の悔し顔とそれでも笑わせにくるおかしさに、人間の余地を感じた。
・確かにむきだしの感情は苦しみや当てつけを生むが、傷付いた人がケアされない社会でいいのか。それは絶対嫌だろう。淡いを知るぞ。