06.19(月)
・眠れてなさそうで、眠れていて、少し眠れていない日々。
・絶対にあげないのに、食べ物の袋を開けるたびに尻尾を振って見つめてくる犬の健気さ。
・餌を前にしたときの犬の足のドタドタがなんともいえない。
・放っておいて大丈夫ですよを丁寧に申し伝える方法を知りたい。
・生活は闘いなのか。
・目を見てるときは、聞いてないし、喋ってないのかもしれないな。
・自分を説明することに慣れた方がいいとは思うけど、迎合しないまでの折り合いがきっとあるはずで、そこは探りたい。
・共存という捉え方が、向いている民族なのかもしれない。
・関係性もライブか。日々生きること。
・思いがけず育っていく分岐点も確かにある。
・この世で一番嫌いなのは、チーズと家(部屋)を探すことかもしれない。
・今の研ぎ澄まされた感覚は、もしかしたら今だけなのかもしれない。だからこそ、今を生き切りたい。
06.20(火)
・わからないから面白いのだ。
・4時に鳥に起こされるけど、わりと充実感のある人生。調べたら、爆音タイプのヒヨドリだった。あんなうるさい声のやつもいるのか。
・自分は日々生きて変化していくもので、その都度そういった自分がただいるだけなんじゃないか。
・関係性だってそう。いつだって変わるのだから、今の関係性を見つめて生きてみることなのでは。
・オンライン英会話は、誰かに聞かれているという意識だと、機嫌よく話せる。
・目立ちたい人が嫌いなのは、そういった他者目線で動く人が、大切なものを壊して、どんどんつまらなくしていく瞬間をたくさん見てきたからかもしれない。
・住宅地の音は平和だ。異様なほど、平和だ。
・人とのやりとりが多くて安定するより、こもって本当に熱中できることを研究して、流動的な距離感でやっていく方が性に合ってる。
・個人的なものが集まって、後から仕事として認識されて、誰かに届いていく。そんな流れがいいなと思う。
・「なりふり構っていられないとき人は輝く」生活のシビアさとそこに光るものは、決して矛盾しているわけではないのだな。
・なくなると、現れてくるものがある。
・散歩すると頭が動く。
・日々も変化するけど、身体もすぐに変わっていく。
・沈黙がいかに貴重であるか。
06.21(水)
・写真のオートマティック。機械性。ただ撮ってしまう。観察することに繋がるような。
・写真の無関心さ。それは共存や観察に関わってきそう。もう少しで触れそう。
・機械的な観察。その怖いぐらいの些細な機微が、写真として写すことなのかも。
・機械的なことに含まれるユーモア。機械的でもわざわざ撮ることはおもしろいことなのかも。
・物語は本来まとめられるものではないのかもな。
・英語で雑記を書くのも面白いかもしれない。って思ったけど、書いてないから腑に落ちてないのか。
・方法論ではなく、あなたが捉えているその形を普遍性にこだわらずに教えてほしいと思う。
・何かを減らしていくこと。マイナスして残るものが形であったりする。
・内的な感覚を出すことと、ある意味で事務的な淡々とできる仕事は、相性が良いような気がする。両者があるとはたらくは安定するんだろうな。
・何かのためよりも、自分のイメージをなんとか組み立てて、言葉にしていくことだけを必死に掴み取ってる感じ。人ではなく、ものとも言えない、何かのためだ。
・がっつり過ごせる静かな場所に住むことは、帰国後は必須だな。
・犬と赤ちゃんを平等に抱っこして、見せ合う文化。
・キャッチャーの構えのおばあちゃん。
・たくさんの分岐点があるけど、とりあえず今のよくわからない面白さの方面で、時間泥棒を避けながら、苦しみつつも楽しく生きていくことだけは決めた。
・撫でると尻尾をブンブンぶん回して身を預けてくる。健気さというものを体感した。
・犬という存在は、愛の見返りがきっちりあるように思えてしまって、自身の内面にある怖さを簡単に消費しようとしてしまわないか悩ましい。生命という流動的なものを忘れてしまわないように、気を引き締めたい。
・「そいつは命が二つある奴の悩みだな」命って改めてなんだろうって思った。
06.22(木)
・何かを指摘されたら言う通りというか、そこに着目して、自身で捉え直すきっかけとする感じ。
・体力ないと、ほんとため息で人生終わりそう。
・ユーモアは相手を選ぶ。文章も伝わる相手に届けばって感じ。
・タイピングの音が音楽のように、心地よく文章を書いていきたいという気持ちがある。
・様々なことを紐付けて排除したくなるが、共存できるものは意外と多いんだと思う。
・自然と応援していくのが、革命の楽しさなのか。
・自分はひどく冷たい人間なのかもしれないと思うときがある。多くの人が感じる人間味のような部分に熱を感じない。そう、熱を持つことができない。
・熱がないことが悪いこととは結び付けていない。だけども、折り合いはつけたいと思っている。
・自分の善のみを信じる真面目さに直面すると、言葉が頭を通り過ぎるのは、それを無下にしたくない自分と探求したい自分の葛藤だ。
・依存や探求など思ってしまうが、時にはシンプルに人に頼って、仲間意識で危険を回避していくのも大事なんだろうな。
・生活の大変さを知っているからこそ、少しは余裕が出たら、なんとか世界を良くするようにしていきたい。今からでもできることを。
・ただ静かに暮らしたいのが叶わないときもある。この気持ちは忘れずにとっておこう。
・思うのは、よりむずい方を選ぼうとして苦しみがち。探求にそぐわなくても、とりあえずで簡単なところをやって、そのあと観察することもあってもいいのでは。
06.23(金)
・「天国にいるみたいな気持ちで」と言われて、コールアンドレスポンスなみに「うわぁ〜!」と盛り上がる子どもたち。
・逸脱することで、自身の倫理に従わない他者を受け入れることにもなる。
・今読んで感じたことをライブとして残して考えていけばいい。
・脱構築をして、だけども感じた倫理はそれぞれだから、思いついたことを否定せず、そこから見える価値基準のみ言及して考えたら、競争しない対話ができるんじゃないか。
・空洞や沈黙の効用。
・しじみ汁は生命を啜って、頭が開眼するような爆裂な穏やかを持つ。
・甘いものって、一口目で意識が飛ぶんだけど、その後はひたすらフライドポテトのことを思い出す作業になる。
・「めあて」って大人になって以来、初めて聞いたかも。
・他者性はコントロールできないが、それイコール受け身でもなく、秩序が逸脱することで起こる楽しみを見てみる見方もできる。
・聞くこと、話すことは、生きることであり、ライブ的なものだ。
06.24(土)
・そのとき、そのときの生の本気を表明するだけ。
・相槌や説明することは、親しさによるという指摘はそうかもしれない。日本語と英語の差にこだわりすぎか。まだ探求したい。
・慣れてきたら相槌や聞くことは気にせず、ただ馴染んでいくだけなのか。
・前座的なMCが、見たネタを楽しそうに再現していて、めちゃくちゃいいなぁと思った。
・初対面で何も情報なかったら、それは理由を聞くものだよな。
・初めて会った日、その時の姿を撮っておくのは、凄く大事かもな。
・ウサギが跳ねたのは錯覚かと思うが、実際にウサギのいる家だった。
・「投げやりなきもちに寄り添うようなちょうどいい乱暴なおいしさがあった(うたうおばけ)」食は切実であると同時に、その有無を言わなさが、逆転して嬉しくなる時がある。
・どこにいてもダラダラ歳を取るなら、生の実感があるところで生きたい。
06.25(日)
・精神的ミットを常に構えている人は好ましい。
・エアコン効いた部屋から出て、むわっとする廊下の空気が愛おしい。
・かき氷1,900円は資本主義の闇だ。
・文学と写真があってよかった。幸せもんだよ。
・なるべく「どうですか!見てください!」って表現はしたくないし、そういう気持ちを抱いたときの自分を見つめたい。
・いつだって、「わかんねぇよなぁ」と同じく悩める人でありたい。
・「たった一人を打ちのめすような文章」か。怒りでも承認でもなく、ただ切実にそのときを生きていた文章というものは、どうしようもなく、ただ生きることを思い出させてくれる。
・切実なものに、幸せがあるというのはイコールではないし、安易にまとめたくないが、そういった、知らぬ間にせざるを得なかったもの、切実さに宿るものは確かにある。
・書くことが必要な人に、書くことが必要だと伝わったらいいよなぁ。
・わかられないことは、自身の生身が出ていたんじゃないだろうか。簡単にわかられてたまるかとも思う。全然違うよと時に思ってしまうが、それはそれで自分の切実さが出ていたんじゃないか。
・自己責任論は怖いが、自分が自分であることを心から祝福して、自分で決めて責任を持って生きてみることは、案外怖くなくて悪いことでもない気がしてきた。
・書くことと話すこと、同じ相手でも言葉はそれぞれ驚くほど違う。だとしたらインタビューとは何なのだろう。話したことを書く。それはどういう言葉になるのだろうか。
・大変なことがあり、感性が剥き出しのときほど、驚くほど意外なものが自身が湧いて出てくる。それを見過ごしたくないと思う。
・最悪なものが、どうしてこう最高なのだろう。
・そうだ、楽しい夏が始まる。