2023.05.22-05.28|雑記帳

05.22(月)

・気分次第で英語が話せると感じる時が、最近は増えた。やっぱり心持ちは大事かもしれない。どんな英語学習者も常に不安で、なんとかしようとしている。大変なことはたくさんあるだろうけど、母語以外を話すのは尊いことだ。その尊厳は決して他者に奪われるものではなく、枯渇することはないのだと確かに思う。

・日本でも大人数は行かないし、そもそもそんなに親しくない人と話すことは少ない。親しくなるのは言語を超えた何かであるし、仲良くなれば多少言語が拙くてもなんとなると知っている。それに今はオンラインで話せる人がたくさんいる。大人数の交流の場に行かず、その場の流れで仲良くなる人を見つけることだ。

・写真は記憶を探るものでもあるのか。

・書きたいことはその瞬間に書きつけた方がいい。

05.23(火)

・生きることは切実なんだよなぁ。

・自分には人間的な感覚が欠如しているんじゃないかという寂しさ。なんで寂しく思うんだろう。家族愛、地元への愛憎、見知らぬ子どもをかわいいと思うこと、行事への興味、ゾッとするぐらい何も感じなくて、自分の孤独の形を知ることになる。

・オードリーが過去の話を詳細に覚えているように、きっと毎日何かが起こっていて、発見はあるんだと思う。

・違う人間であることが苦しいのに、それでも歩み寄ろうとする、矛盾する人間の営みを美しいと捉えているようでありたい。

・探求したいからこそ、自分の正しさを手放して、あらゆるものを吸収していく柔らかさというものがあるのだと思う。

・悩んでいるんじゃなくて、気になるから探求しているだけなのにな。それが伝わっていないのを知ってしまうと、もどかしく感じてしまう。

・自分の世界を手づくりしていくためにも、確かに今いるところから自身の公共物を通して広げていく必要があるのだろうな。やはり人ではなく、物(概念)を通して人を見るのが合っている。

・書くことは受け皿でもあるのか。

・大人って無のとき、鬼みたいな顔してる。

・地面に足をつけていたい。高く登ると崩れないか不安だ。大地に広がる草原を愛でたい。

・どう子育てしても、縛りとなる場合がある。だから本人が生き抜く力を育てることなんじゃないかな。人間として成熟させる。愛していても、親が無理なことはある。そんときは笑ってごめんと言うとか。

・写真は、やはり単体では補助的な役割となるのだろうか。だから雑記や組み写真のような方法と相性が良いのだと思う。

・フィルムをやっていると、暗いものは映らない。写真は現実を写すのではなく、光を写すもので、時折それを忘れてしまう。

・写真は光しか写らないのだから、そこに何かを投影しようとする、その文化たるものの正体を写すような写真も撮れるのか。

・シェアするって、少ない資源を分け合う我慢ではなく、やりたいことの負担を減らしたり、共同で何かやったりする側面が重要なのかも。

・差別のように、何かを撤廃することはできないけど、文化として少なくしていくことはできるんだろうな。だから活動が無意味ということはないのかもな。

05.24(水)

・何にもやる気が起きない。作るの苦手なのかもな。でも実現させたい世界がある。じゃあどうしたらいいんだよという気持ちだよ。

・社会と自分を切り分け過ぎなのだろうか。

・儀式やしきたりに嫌悪感があるのは何でだろう。押し付けるなと思っているからか。なんでやろうと思うのだろう。そうしないと集まる理由がないからとかなのかな。

・本が捗らないときは、文章が美しいと感じる人の本を読むといいかもな。

・WWE(海外のプロレス)を見てみたい。

・「おもしろさの総量を比べない」ということを落語から学んだ気がする。

・対話は自分だけが生み出すものではない。人の組み合わせによっては、自分の言葉が満足に出てこないときもある。そういった不確定なものも乗りこなしてみる。

・俺たちは既にあるものを見落としすぎているのかもしれないな。

・静寂のようなユーモアを探求してみたい。

・書くことは人を救い、生きることをくじかないのだと確信した。

・もっとほしいという欲望が渦巻いているかと思えば、驚くほど身近で目の前にあるもので満足して、幸せを感じられたりする。

・発見の純粋な喜び。美しいものを見つけたときの命の輝きは何にも代えがたい。

・人に対してできることは、お願いをするってことなのかも。

05.25(木)

・「どうしてもしたくない」と頑なになってしまうときがある。

・繋げたくない縁というものもある。

・自分の好き嫌いの激しさを抱えきれなくなるときがある。なぜ後ろめたいと思ってしまうのか。それが自分だとしたらそれでいいと思うが、そういって探究をやめるのは腑に落ちない気もする。とはいえあることはあるので、途方に暮れるというパターンか。

・配慮してほしいという武器にするのはナシにしたい。

・もしかしたらやっていることを判断されたくないという恐れを見ないふりしているのだろうか。

・人に見せる気持ちが入りにくい、そっとその場に置くような深く潜って書いた文章は、どうしたら人目に触れる場所に置けるのだろうか。そういうことをしようとすると、崩れてしまうんだろうけど、意外とできたりするのか。欲が出てきてしまう。嬉しかったから。

・やはり力を奪う人というのはいる。決めつけないこと、対話を諦めないことと、だけどもこの世界で生き抜こうとする人となるべく接していたいと祈ることは、自分に許そうと思う。

・見せ方、プロデュース、まとめる力などは、やはり創作とまた別なんだよな。どうしてもとりあえず置くこと以外は苦手だ。やっていてもまとめられない。そこが課題な気がする。全く別なんだよ、見せることは。

・どうにか目立とうとしないと生きられないならば、そんな世界は終わってるぜ。さようなら、どこかに行くよ。

・美しい文章を目にすると、心の底から嬉しい気持ちになる。自分がどうしてもとっておきたくて、苦しんで掴んだ世界がそこに存在していたと気付けるから。

・以前までは「そんなこと考えたって仕方ない」と人が周りに多かったから、考えることを封印しながらも、生まれた問いを持て余していた。今は考える歯止めがなくなったから、とまんねぇぜって感じだ。

・間を埋めるって、雑談力とも言えるのかもしれない。

05.26(金)

・疎外感は孤独の形であるのかもしれない。どうしても違うことは怖さを伴うが、きっと自分を形作るものでもあると思う。

・人目が気になっていたのかもな。違いを罪悪感のように捉えてた。それこそせっかくなら孤独と捉えたい。歓迎するものに変わるから。

・子どもがいない人が負担を強いられる社会は嫌だな。お互いに支えるならばいいけれど。

・シビアなことってたくさんあるよなぁ。慣れていけるかな。自分の孤独の形を信頼しておきたい。簡単に気分が左右される。でも落ち着く場所に行けば、持ち直せる。

・印刷やフィルムは楽しい。だからそれで元を取るぐらいの気持ちはあっていいのかもな。そればっかりだと集中できないから。

・自分にとっての旅は、騒がしいものから離れて、どうしようもなく持ち合わせている孤独を形作り、ふつふつと現れてくるものを見ることなのかもしれない。

・お互いの違いに、圧をかけない関係性がいいよね。

・人間との関わりのおもしろさを発見しないといけない時代なのかもな。

・念願のファブリーズを買う。出掛けるとき、いつもファブリーズを想って行動しているのだが、毎回忘れてた。今日は偉い。

・リードから解き放たれた犬が、しっぽを立ててぶらぶらしている。しっぽで機嫌がわかるのいいな。

・大画面で映画を見るハーパンの大人は皆かわいい顔してる。

・オードリーが取っ組み合いをしているのを見て、死ぬほど笑ったし幸せな気持ちが溢れてきて、どうしたらいいんだ。

・現状に不満があるのは、わりと大事なことなのか。

05.27(土)

・大人が大人を物理的にひっくり返そうとする攻防以上に、命が輝く面白さを感じるものなんてあるのか。

・「覗けない」ってウケるな。見ようと思えば見れる。最終的に覗いてんじゃねぇか。

・祭りの良さって、やっぱりよくわからない。

・プロってなんだ。やっぱりしっくりこない言葉だ。持ち上げられて、少しまんざらでもない自分も嫌だ。

・写真は共にあるのが当然だった。あって当たり前だったから。

・食べること、集まること、祭りをすること、これらは儀式的だ。苦手なものに共通点がある。

・自分の世界を作り上げることが、使命感として、誰かを救うかもというささやかな想いが、内的な幸せと後からなるのかもしれない。

05.28(日)

・対話を試みようと、決め打ちで出ていく。

・言葉がこぼれ落ちてしまった。後から探してもどこにもない。

・捉え直すことは、自分にとっての”普通”であるのにね。

・共同生活は争いが起こるものなんだろうな。

・オートボーイを買うことに時間を費やす。無事に購入。

・気になっていた「ケイコ 目を澄ませて」を観る。不思議な映画。生きていく上であまりにも見落としていることが多いような気がしてきた。すっごくおすすめではないけど、確かに観て良かったのだと思う。

・「生きがいについて(神谷美恵子)」を読みながら、言葉の回復を待つ。美しいと感じる文章は確かにある。正体はまだ掴めない。

・オードリーのラジオは、聴き込むほど味が出る。

・共感じゃなくて、ただその言葉の存在を認識してもらいたかった話もある。