2023.04.10-04.16|雑記帳

04.10(月)

・平和に見えても抱えきれない思いはあるんだろうな。語り得ないものがさ。それを踏まえてできる振る舞いを見て、人間性というものを尊重できずにはいられない。いやぁ、すごいよなぁ。

・断片的な記憶を読むのっていいなぁ。話した人だからより面白い。

・スマホの充電が心を保つのか。

・それはきっと見ないふりをしていたものと直面しただけなんだろう。それを見てみることで、どうしようもなく動揺してしまうのだが、既にそれはそこにあったもので。捉え直すことは苦しいが、何度も何度も見つめることになるんだろう。それが生きるってことなのかもしれない。

・だけど生き抜くのは俺自身だ。だからこそ結局やることはやるのだ。

・この気持ちは歳を取ってから何かを生み出すのだろうか。だとしたらそのためにも、できれば長生きしてみたい。

・「…自分が誰で、何を愛して愛さなくて、どうやって…生きていくのか…わかる日がくるのかなあ(違国日記)」きっとこないだろうな。だから苦しみながらも、その苦しさをしっかりと見ることなんじゃないだろうか。そこからこぼれてくる光というのは、目を閉じていたら差し込んできた直射日光のように、鬱陶しいぐらいの強烈なものであるときがある。だから見ないふりをしたくなるのだろう。まだ眠らせてくれよと。だけど、そこで目を開けて見なくちゃいけない。そこには立ち現れてくるものがあって、そういったわかりやすさから外れたものを存在しないことにしたくないから、どうしても”とっておきたい”と確かに思う。

04.11(火)

・あるものを見ること。聞くというより、最近は見てみることかな。頼りながらも、最後は自分を深く見る。

・厳しさか。自分に対する。追い込むでもなく、確かに教えるように、苦しさを見ることを教育することは可能であるように思う。

・詩に必要な余韻と軽さ。それらを文章に忍び込ませるユーモア。やってみたいなぁ。

・独断を恐れていては一編の詩も書けないんだってさ。

・体重乗せ切らないところとか。素直さ全てだと重くなるかも。外に羽ばたく必要があるんだろうか。岸本さんのような妄想的な、どこかそういう軽さを感じるものは浮世離れしている感じがある。

・差してくる光というのは、目を閉じていたら差し込んできた直射日光のように、鬱陶しいぐらいの強烈なものであるときがある。だから見ないふりをしたくなるのだろう。まだ眠らせてくれよと。だけど、そこで目を開けて見なくちゃいけない。

・わかりやすいものは持ち合わせていないのだけど、だからといって存在しないことにはならないのだと思う。

・「一人芝居が、一人では決して打てないということを、身にしみて感じている(サラダ記念日)」演じ切ることの覚悟。勇気。だけどそれは一人で立っているわけでもない感覚に近いんだろう。

・「愛着があろうとなかろうと、誰でもどこに住んだっていい」という意識があるのかも。

・どこにも馴染めるけど、どこにも馴染めない。

04.12(水)

・「演じる」という行為が気になっている。そういったパフォーマンスをする人になりたいというより、その演じることに魅せられた気持ちを知りたい。

・今話しかけられたら、言葉がこぼれ落ちるって感覚あるよなぁ。忘れてしまう。するりと抜けてしまう。

・分かり合えないからこそ、歩み寄ろうとする。

・本質的な孤独を知っていて、なめらかでなくとも、それでも人と関わろうとする人は、なんと美しいのだろうか。

・この差してくる光というのは、紫の火花であったり、電光であったり、俺にとっては、あの早朝の電車で寝不足で目を閉じていたとき、鬱陶しさを覚えるほど差してきた、強烈な直射日光だったんだろうな。せっかく苦しむならば、この光をとっておきたい。

・望んだ形にならなかったというのは、望んだ形の自分の死である。自分自身って一番身近な他者である。その一部が死んでしまったのなら、それは抱える想いというものがあるのだろう。

・とり皮のおいしさを伝えてみる。

・書くことは殺すことというのは、書くことでそのときの自分は死んでいる。それを後から見ると、自分で新鮮だなという気持ちになるんだろう。しっかり殺して書いたからこそ、自分という他者を新鮮に感じる。

・何が起ころうが、本が存在する限りはたくさん読み進めるぞ。

04.13(木)

・人との距離感を縮めるということは、「わかりあえない」という段階まで知ろうとすることなんじゃないか。違う人間だと苦しいほど認識するところまで。そして自分の素直な部分が露わになってしまう。きっと苦しいものではあるのだが、せっかくならば見てみたいという気持ちが芽生える瞬間は確かにあるのだ。

・善って自分で決めるものなのでは。普遍性はないよ。美意識にも近いよね。

・人に幻滅したり、価値観の話をしようとしてモヤモヤしたりするのは、相手の孤独の形に触れたときに、その形の歪さに驚いてしまうから。表層で話していれば、別に社会性でなんとなくやれちゃう。そこをわざわざ触れようとするから幻滅する。だけどそれでもしようとしたことに良し悪しなんてないんだろうな。ただ、近付くことはそうだってだけで。

・芥川龍之介は”紫の火花”をとっておけなかったのかもな。どうしてもとっておきたかったもの。それが無理だったとき、全てを放り出してしまったのかもしれない。

04.14(金)

・わかりえなさが、必ずしも衝突になるわけではないのだろうか。穏やかに許容できないものに折り合いをつけていくことは、自分を深く見つめればできるような気もしている。

・苦しんで生きることは、それだけ背負うってことだ。

・TRPGやってみたい。対話型というのが気になる。脚本も気になる。

・物語を作ることに興味がある。演じること。それに繋がることならば、今はやってみたい。

・距離感が変わることで、なめらかとは言わないが、その滞留によって、見つめるものは増えてくる。ユーモアとはそういうことを指すのではないか。

・生きることと苦しむことが繋がることは、傷を押し付けることを軽減するのではないか。不明瞭で終わりのないようなものを認めることは、せっかくという気持ちを芽生えさせるのではないだろうか。

04.15(土)

・見るってことは、巻き起こったことを意味づけせずに捉えるってことかもな。

・自分の中にある”気圧”という表現。

・さっぱりさについて考えたい。しっとりというものと共存はできるのか。

・下から差し込む光というものもある。いつも上からのイメージだったが。

04.16(日)

・喉の痛さからハウスダストによるくしゃみ。風邪のような頭の鈍痛が、全てを煩わしく思わせる。

・性格ではなく、体質という捉え方。

・音を出す美術作品は苦手だが、映画は好きだ。この違いは考えてみたい。

・70代の書く字がかわいい。

・ケアにまつわる人々の散文は、苦しんで生きることをまさに表現していたようだった。