2023.03.27-04.02|雑記帳

03.27(月)

・自分で意味付けを行うこと。捉え直しとも言える。そこに他者が何か言う隙間はない。そこからどのくらい余白を持って開いていくは塩梅なんだろう。口を挟まれたくない部分は確かにあると思う。

・どんな家族にも正解はない。普通を押し付けるのは持ってのほかだが、きっとどこも問題があると知っておくことはできる。難しいけど、曖昧な関係性を変に意味づけせず、曖昧なままで捉えておくことなんだろうな。

・プロレスを見てみたい。

・洗車、チェーン清掃、オイル交換、どれも数十分で終わるのに、大変だと思ってしまう。意外と簡単ですぐ終わるものなんだよ。

03.28(火)

・生きるということは、朝は嫌いです。昼は暑いです。夜は怖いです。みたいなことなんじゃないか。じゃあ全部ダメじゃんというわけではなく、そういう気持ちが素直さだったりするし、揺れ動くし、きっと隙間もあるし、それでも生きていくし、みたいな。

・本をたくさん読み、積読があってもいいと思うが、本を収集したい欲みたいなものになってくるのは、結構怖いよね。

・否定ではなく、批判。それは大きく違う気がする。基本的に否定ではなくて批判をしているような。

・書くと描くって同じ言葉だ。漢字が違うのみ。

・表現物自体もあるけど、それを作る過程である孤独やそれらのものが、大事だったりするんだろうな。作品は結果でも過程でもあるけど、その作ってることが自分を形作る。だから表現を見出すのは大事だ。

・曖昧さとは、ほんの束の間、笑みがこぼれるようなものである。ほんの束の間以上は無理だったりするけど。その一瞬を省いてはいけないのでは。確かに煩わしかったりするのだが。だから一瞬だ。

・人と関わるならば、対立は避けられないかと思ったが、無理なくほどよく関わるのも、もしかしたらできるかもね。

・人は仕事を通して、自分が価値ある存在だと感じとる。だから仕事にしがみつこうとしてしまう。それはそういう人が多くて当然だよな。

・人生がこう言っているから仕方ないという受け身の諦めではなく、何かが起きたときに、人生が言っている問いは何だ、そしてそれに対して自分はどうあるか、と素直に考えてみることなんじゃないかな。

03.29(水)

・動物性を見せないと尊重されにくいからこそ、みんな強気に見せようとするのかもな。めんどいねそういうの。

・ついに噂のヤクルト1000に手を出すときが。

・これがダメでも生きていけるという気持ちがあると生きやすいよな。

・間を知ろうとしてくれる人がいるだけで、どんだけ有難いか。

・対話しないと閉じるとかじゃなくて、対話によって深まるというか、また孤独に持ち帰ったときに捗るんだよな。だから対話は大事なんやで、きっと。

・立ち現れてくるものをただ書き留めたい。

・今この状況なのは、どういう問いがあるだろうという実存における問いの逆転は、まさに意味が立ち現れてくるようなものだ。

・届けたいのは人じゃなくて、隙間に刺すこと。そこを感じ取るかはその人のその瞬間次第。人じゃなくて隙間に刺すってことが主軸なんだと思う。

03.30(木)

・「なんか嫌やなぁ」ってかんじを話し合える機会が減っているのでは。

・集団や個人と関わったときの違和感は、人間性を取り戻すためのものならば、たとえ空気を壊してしまったとしても言ってしまっていい。手づくりしていくのだ。

・オイル交換とチェーン清掃後は、明らかに走りが良くなっていた。

・情緒か。語り得ないものを大事にしたい。

・自分の感情に対して、他者がどうこう言う隙間はないんだろうな。それは自分だけのものであり、否定されるものではない。

03.31(金)

・自分が思ったことが偏見だとしても思ってしまったことに蓋をするのって、その違和感はどこへ消えてしまうのだろう。俺にとってはそれをしてしまうのは素直さではない。多くの人は見ないフリをしているのか、ほんとにそれがいいと思っているのか。

・わかってほしさなのかもしれないが、俺が話したことをただ受け止めてもらうことはできないのだろうかとただ虚しくなるときがある。誰かが思ったことを、なぜそんなことないと決めつけられるのか。

・想像以上に飯が旨いと結構テンション上がってしまう。

・生きていて、”なんか嫌だな”がたくさんあって、それらをただ見てみたときに、自分の中に現れたものをただ見てみたかった。

・流動的だと思いつつ、誰かにNoを直接言うのはすっごくハードだし、そこでバスっと斬らずに、問いに対しては真摯であり、淡々と付き合いをしたりするさっぱりさって、なんだかんだめっちゃむずい。嫌になると思いっきり遠ざけるし、好きになるととにかく多く触れようとする。だけどほんの少しそういうことを見られるようにはなったと思う。

・踏み込みすぎない距離感というものもある。

・アジールの自治は考えたい。開けば良いものではない。孤独と公共性のバランス。

04.01(土)

・暮らしを捉え直す問題に直面している。

・高速で目の前の車のタイヤがバーストしてしまい、タイヤの破片が足に当たった。自分もバイクも怪我はなく、ヒヤッとしたが、夜には忘れていた。

・住む土地はこだわらないけど、暮らす形態に悩むという珍しいような悩みを持っている。今後数ヶ月の住み方に悩んでいる。

・俺の人生にはソファーが必要な気がする。

・道に迷ったときに笑える人と気が合う説は、結構的を得ている。

04.02(日)

・自分に聞くことって、関わる人が多くなるほど、難しいのではないか。それも言い続けて、近しい人たちが周りに集まってくれば、もう少し何とかなりそうになるのか。

・現実はこんなに騒がしいのか。ちょうどよく開くことはできるのだろうか。一気に開くことにこんなに抵抗があるとは。

・「でもあなたの感じ方はあなただけのもので誰にも責める権利はない(違国日記)」悲しみと嬉しさが共存していたり、それらの感じ方を評価することなどできない。

・「この先 誰があなたに何を言って …誰が何を言わなかったか あなたが今…何を感じて何を感じないのか。たとえ二度と開かなくてもいつか悲しくなったときそれがあなたの灯台になる(違国日記)」日々感じたこと感じ得なかったこと、それらを書き留めることがただ救いになるときがある。

・「日記は今書きたいことを書けばいい 書きたくないことは書かなくていい ほんとうのことを書く必要もない(中略)書いていて苦しいことをわざわざ書くことはない(違国日記)」本当だけが書きたいことじゃない。苦しいのに無理に書くこともない。書きつけたいこと、そこに記したいことを素直にみてみること。