「はたらく」の輪郭を確かめるには、得体の知れない「社会」という存在を、自身でどのように捉えるのかによって、その姿形は大きく変わってきそうだと思った。
同じく、「つくる」もそうであった。あるとき、何かをつくることは、「つくってしまった」という感覚に近く、自身ですら戸惑うようなものであり、その「戸惑い」こそが、生きることの断片を表しているのではないかと思った。
たとえ、誰にも気付かれなかったとしても、その「戸惑い」自体は、既に存在してしまっている。だからこそ、つくったものを「誰かに見せること」は、つくることの根源には含まれないものであり、それらを切り離しておくことこそが、「つくる」なのだと確信をしていた。
だけど、困ることもあった。どうやら多くの人は、「つくる」と「見せる」を同じくものとして扱っている節があるということであった。
周りからそう言われたりすると、ときには腹が立つこともあった。本気でつくってないから、「誰かのため」「改善したい」と言うのではないかと思った。話が噛み合わないことも多かった。
自分はただ、何のためとか、良いものをつくりたいとか、そういう次元の前に、最初の「戸惑い」があるんじゃないのかと思っていたのだ。おそらく、自分は「つくる」のプロセスにおける、「順番」の話をずっとしていたのだろう。
「戸惑い」の後に、誰かのために調整することもあるだろうし、良いものとは何かを突き詰めることだってある。だけど、その「戸惑い」を見つめずに「つくる」ことだけは、どうしても受け付けられなかったのだ。
自分は、最初に『得体の知れない「社会」』という言い方をした。
明確に言語化したことはなかったが、おそらく、自身の中で「社会」という存在は、長らく「壁」あるいは「敵」と言っても良い相手であった。
先ほどの「戸惑い」のような、素直な気持ちを脅かしてくる存在。気楽に生きたいだけなのに、それを阻んでくる存在。ざっくりと、そのように捉えていたように思う。そう思えば思うほど、壁は高く立ち塞がってきて、壁は壁と捉えるからこそ「壁」となる。
少し前に友人が、「とある話題に強く反応してしまった」という話をしていた。その話を受けて、自身も考えてみると、自分は「はたらく」に関して、強く反応してしまうところがある。その辺をもう少し探求してみる必要があると思ったのが、特に今年というタイミングだったのかもしれない。
たまに思うのは、「ストレートに真面目にはたらけない人はどうしたらいいんだよ」みたいなことだ。そう思う気持ちは取っておきながらも思うのは、とはいえ、「俺は真面目じゃない」「どうせ少数派だ」と、反骨精神でやっていこうとする動機は、むしろ自身が「真面目さ」という見方をさらに固定化する状態に陥るのではないかということだ。
違和感を感じる事柄があるのならば、二元的な見方すら飛び越えて捉えていくことが、その違和感を突き破る一歩になるのではないだろうか。
「壁」として捉えたときの「社会」は、「戸惑い」をなくしていき、見せることが善であり、見せないことは存在しないことにしてしまう世界である。だが、それは不本意な世界線である。
飛び越えるとは、どういうことなんだろうか。たとえば、海外で暮らす友人が、「現地で事業者として登録されたとき、納税できることが嬉しかった。社会にようやく入れたと思った」という話をしてくれた。そう言葉にする背景には、どれほどの苦労があったのだろうか。自身の中で、何かが弾けるような軽快な音が聞こえてきた。
決して「社会から認められる」のではなく、「社会を自分と周囲を繋ぐもの」として捉えてみる。この話をそのように受け取ってみたのだと思う。つまりは、「社会と友好関係を築く」と言えるような生き方。そう生きてみたいと思えたのだった。
思えば、個人事業主としてパンデミックを経験したこと、2023年の秋からスペインで暮らし始めたこと(そして出国したこと)は、自身の「はたらく」の根底を揺るがした出来事であった。
パンデミックで仕事は止まり、生活は一変した。世界は徐々に落ち着きを取り戻したが、個人単位では家がなくなって移動生活になり、ついにはヨーロッパという陸続きの世界に降り立ってしまった。たくさんの愉快さと挫折があった。
そして、今の働き方をしておよそ6年が経過したが、今だに「ビジネス」という視点が腑に落ちていないようだ。上手く乗っかれない自分に対する「うしろめたさ」のようなものがある。どうしてなのだろうか。
まず、なんだか、自身を強く見せたり、責任を背負って真面目に取り組んだりして過ごしていくことが、生き方として疲れるという「戸惑い」がありそうだと思った。
見方によるからざっくりとした言い方になるけれど、気楽に生きるのがそんなにも難しく、ときに諭されることなのだろうかと常々思っていた。
強さとか、責任とか、そんなものを飛び越えて、適当に、ときに挑発的にはたらく人たちと共に、ヨーロッパで暮らしてきた。日本と海外の単純比較はできるだけしたくないのだけど、素直に思ったのは、日本の便利さや質の高さは、はたらく人の多くの犠牲によって成り立っているような気がするということであった。
とあるお店の日本人オーナーが、「こちらの人は仕事を教えても、適当だし頑固で自分のやり方でやってしまう。だから良い仕事ができない」と言っていた。なんというか、想像が付くというか、ほんとにそうだろうなぁと思った。
でも、質の追求によって、仕事が苦しく厳しいものになるのは、当然のことなのだろうか。適当に仕事をこなすことで周りが多少困ることがあっても、その人が日頃気楽に過ごせるなら、それで良くないか。どうして豊かさを感じるポイントが違うことをおもしろいと思わないのだろうか。そういうことも同時に考えた。
たまに思うのだ。たくさんの「勘弁してくれよ〜」をヨーロッパで味わったのだが、目の前の相手がそういう仕事の姿勢で生きていけている事実は、意外と尊いことかもしれないぞと。こちらに余裕のないときもあるが、できないならできないで、なんだかんだ何とかする道を見つけるものだ。いや、ほんとに「おい、タコ助」と思うことは多いけども。
仕事の質をわざわざ悪くしようと思っているわけではない。多分、自分は「ビジネス」の大きな声によって、犠牲になるものを憂いていたのだろう。だが、同時に上手に活用すれば何かを変えられる原動力を持つ「ビジネス」を、一元的な見方でしか捉えられていない自分へのもどかしさが、「うしろめたさ」を発生させているんだろうとも思う。
今思うと、それは出発点としては良い問い方であったと思うのだが、憂いている状態が着地点になっているのは、ただギスギスと不満が溜まっていくようで、あまり豊かな状態ではなかった。だが、それに気付くのは後々であった。
そういうこともあり、「そうだ、気楽に生きるのだ」と思って、思い切って仕事の割合をグッと減らしてみた。支出をできるだけ抑えてみたり、肩書きを変えたりしてみた。
そうしてみて、大きな変化となったのは、ポッドキャスト「共存人類学研究会」を始めたことだった。元々は友人たちとやっていた読書会を、ポッドキャスト形式で配信するようにしてみた。とてもおもしろい番組である。
今の時代、ポッドキャストなんてすぐに始められるけれど、こうして形にしてみることの効用は大きかったように思う。シンプルに4人で話すのが楽しいのだが、相手の話に「応答すること」によって対話が開かれていくさまがあり、同時にそこには誰かの「語りかけ」があったことにも気付いたのだった。
自分にとっては対話の形を模索する場所でもあり、日常が交差していく場所でもある。では、自分はどうして、これほど大事な場所だと思っているのだろうか。
ポッドキャストを続けながら言葉を探していると、ちょうど読んでいた「濃霧の中の方向感覚(鷲田清一)」に、このようなことが書かれていた。
制御不能なものを前にして、たとえ小さな場所からでもいいから、いやそういう場所でこそ、じぶんたちにほんとうに可能なことを問いなおす、そのような作業がそちこちで始まろうとしているかに見える。じぶんたちの社会の初期設定を点検することから始めるといってもいいし、日々の暮らしのフォーマットを換える、ギアを入れ替えるといってもいい(濃霧の中の方向感覚|鷲田清一)
「点検することから始める」という言葉は、自分が先ほど書いた「戸惑い」を見つめてみる行為に思えた。点検作業を行える場所があることは、どれだけ豊かなことであるだろうか。そういう場所から育つものがあると、ここ数年でとにかく実感していた。
実は誰かと共同して活動したり、ものをつくったりすることに、長らく苦手意識があった。怖かったのだ。声をかけることには勇気がいるし、自分のコントロールが及ばなくなることへの懸念もあった。
だが、思いきって始めてみると、乗っかってくれる人がいたり、想定外を迎えることで生まれる発見があったりして、誰かと共同で何かをやっていくおもしろさに開かれていった。
人数としては、少人数が性に合っていた。それは確かに鷲田さんが言うように、「小さな場所」かもしれないが、自分としてはどうしても「小さい」とは思えなかった。その中で起こった変化、それに応答する人の心の動きは、たった一人のものであったとしても、「それってめっちゃすごくない?」と思ってしまうからだ。その気持ちは大事にとっておきたいと、ひっそりと思っている。
だが、またしても、社会が「壁」に思えてくる瞬間が来る。特に困ったことは、「お金」と「断ること」の影響であった。
ポッドキャストは最高なのだけど、直接的な収入にならないのは困ることでもあった。その他の色々な営みも、どれもいい線いっていると思うし、満足感もあるのだけど、軒並みお金になりにくい。「なんでや〜」と都庁で叫びたい。
そして、とにかくやりたくないことが増えてしまったのには困った。仕事を断ってやることを絞る状態は、しばらくは心地良かった。だけど、あれもこれもやりたくない状態というのは、案外良いことだけではないのだと気付いた。
「やりたくない」がたくさんある自分も好きというか、受け入れている。しんどさを超えることが仕事なんだと、根性論を語る気もない。だが、NG項目を設けすぎることで、むしろ袋小路にハマっていくように思えた。完璧主義に近いような感じがあるからだ。そして、自分が文句ばかり言っているように思えて、自分で自分に嫌気が差してくるときもあったりした。
今は自分でも言葉を探しているのだけれど、「好きなことだけやる」状態と、「やりたくないことはやらない」状態は、微妙に違うのかもしれない。前者は「好き」という手綱に対して、ゆとりを持って構えているが、後者は「嫌い」という手綱に対して、ピンと張り詰めて構えているような感じがある。
そうなると、「やりたくない」と張り詰めて構えている状態から手綱を緩めてみると、「好き」と思える範囲がむしろ広がるのではないかと思ったのだ。
思い返すと、張り詰めているときは、慣れない異国での暮らしもあり、「生きるために必要な手続きが多すぎる」と思うようにもなっていた。決して「死にたい」とは思わないが、色々とめんどくさいなぁって感じだ。なんでこんなにやることが多いのだとも思う。つくづく、生きることは延命行為だと思った。
では、そういった「めんどう」を全てとっぱらえばいいのか。やっている営みに対して、全力で満足感を持ってやれるのかというと、どうも違う気がするのだ。
なぜ、「はたらく」では「お金」を媒介することが多いのか。そこには、「やり取り」を生むことの効用があるからではないか。それを「責任」と捉えるのは大袈裟で苦々しい。だが、違う言葉に置き換えてみると、案外軽やかに思える気がしてきた。
それこそ、そういったはたらくことは、「社会と友好関係を築く」営みであるのかもしれない。そうなると、いよいよ「ビジネス」という見方を捉え直す必要が出てきた。
様々な人と対話をし続けてみると、「はたらく」は「生きる」に繋がるんだなぁとつくづく思う。適当か、真面目かによらずとも、確かに繋がっているのだと思った。
先ほど「好き」にゆとりを持たせる話を書いた。自分は「写真」と「文章」という、「好き」を主軸にはたらいて、ついでにそれでお金を生めればいいと思っていた。だが、それは結果的に「やりたくない」と手綱を張り詰めるきっかけになった。
好きなものだけで生きていくとか、生きていけないとか、そういう極端な見方をしたいわけではない。ただ、「真面目さ」を捉え直すように、それらを飛び越えていく見方を問い続ける態度こそが、自分にとっての「生きのびる」という感覚である気がしたのだ。
ふと、自分は「ケバブ屋」をやりたいのかもしれないと思った。ケバブのお店を経営するとかではなく、「概念としてのケバブ屋」である。どういうことか。
以前滞在していた先の近所で、家族で経営しているケバブの出店があった。はたらく人も気楽そうで、何よりケバブは美味いので通っていた。だが、思った。ケバブってどこで食べても、ある程度美味いのだ。むしろ不味く作るのが難しいぐらいではないか。
誰が作ってもそこそこ良くなるものを、ある程度適当に提供することで、お金を賄っている。それは嫌々の「労働」というわけではないのだ。きっと手綱をゆるめることに繋がり、どこかで「好き」の対象が広がっていくのではないかと思ったのだ。決してケバブ屋を馬鹿にはしていない。ただの例えである。
「あぁケバブ屋をやりたいのだなぁ」と思っていると、読んでいた「超バカの壁(養老孟司)」にこのような箇所があった。
仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります(超バカの壁|養老孟司)
思わず、「おお〜」と感激したし、同時にぐさりもきた。穴を埋めることか。「自分に合った穴なんてない」というのは、まさに自分が囚われてきたことのようで、ギクッとした。
だが、「穴を埋める」というのは、案外心地の良い捉え方であると素直に思った。それはまさに「概念としてのケバブ屋」ではないかと思ったわけだ。
思えば、自分が開業当初からやってきた仕事のひとつである「ライター」は、まさに穴埋めであった。始めた当時は、書くことなんて好きでもなんでもなく、ただ事業として成り立つからやってきた。
もちろん、取材やリサーチを通して、おもしろい対話ができたり、双方にとって納得感のある記事を書けたりしたことは、すごく楽しかった。一方で、自分が書くことに対して、正面から好きだと思えないことに、苦々しさと後ろめたさもあった。だが、立派に社会の穴を埋めていたのではなかったか。図らずも、「ケバブ屋」をやってきていたのではないだろうか。
色々な変化を経て、今は「書くこと」が「生きること」の一部であると思えるぐらい、「好き」で大切な営みとなった。つまり、「ケバブ屋」として「ライター」を続けたことで、思わぬ土台が育ち、「好きの拡大」がなされたのではないかと思う。
ただ、自分の中で「ライター」と名乗ることに違和感を覚えるようになった。最近は「オーサー(Author・作家)」と名乗るようになった。しっくりくる日本語訳はまだないのだけど。海外では「オーサー」の方が、自分の文章に対する向き合い方が伝わりやすいように思う。決して、「ライター」という職種が悪いのではなく、自分の中のニュアンスの話である。
だけども、「オーサー」としての穴埋め仕事というものは、今だに掴めてない。自分は「ライター」と「オーサー」をパキッと分けて考えているけど、あんまり本質的ではないという自覚がある。それでも、おそらく「ライター」と名乗ることは今後ないだろう。
でも、今までやってきたことを苦々しく思うよりは、立派にケバブ屋をやりきった上で、現在地のケバブ屋(なんだかわからなくなってきた)だと思うようになってきた。その中に、穴埋めという捉え方のヒントがありそうだと思った。
同時に、昔から名乗っていた「フォトグラファー」は、「フォトグラファー」のままでしっくりくるから名乗り続けている。決して、「カメラマン」とは言わない。けれど、その中身は以前とは全く異なっていた。
それこそ、最近は「フォトグラファー」として穴埋め仕事をすることに、疲れてきていたのだった。たとえば、確かに広告やウェディングは、わかりやすく必要とされる穴として存在しているが、なんだかずっと乗り気になれないのであった。でも、そういった捉え方では、限界が来たのかもしれない。
今までデジタルで撮り続けてきたところを、数年前からフィルムに出会い、去年はほぼフィルムで写真を撮っていた。こんなに楽しく発見のあるものはない(こんなにお金を食うものもない)。
フィルムには多くの発見があった。これほど奥の深いものを探索しなくてどうするんだとも思う。自分は日常生活の発見を探究するのが好きで、「撮ること」や「書くこと」が目的なのではなく、その探求のプロセスにそれらが含まれているのだと気付いた。同じく、「読むこと」と「対話すること」もそうであった。ここまで書いてきて矛盾するかもしれないが、それでも良くて、手綱にゆとりを持って構えるということは、むしろ手綱を決して手放さないことでもあるのだろうと思う。
だからこそ、穴を埋めるところ、ケバブ屋として出店できるところは、まだ探索しがいがあるのではないかとも、徐々に思えてきたのだった。
先ほど「ビジネス」という見方を捉え直すと書いたが、それこそが、「ケバブ屋」のプロセスであり、「社会と友好関係を築く」ことになるのだと思う。
見方を捉え直すというのは、所属しているコミュニティで活動する方たちを見ていて特に思うことであった。他にも異国で暮らしてみて、たくさんの人たちの「はたらく」が、日常には存在するのだと痛感していた。そういう「はたらく」に触れ続けていると、自身にも浸透してくるものがあったのだ。
「ビジネス」という言葉は、なんだか個別の人の顔が想像できなくて嫌いであった。でもこうして「はたらく」に触れて思ったのは、「ビジネス」自体には良し悪しもなく透明なものであり、どのように色を付けていくのかによるのではないかということだ。あとは、どちらでも良さそうだけど、「ビジネス」より「商売」の方が、ケバブ屋っぽくて多少はしっくりくるかもしれない。
個人事業主を6年ほどやってきて、今だに商売っ気を出すことも、お金を受け取ることも苦手に思えてしまう。「だって友達ならタダでやるしなぁ」とか思う。だが、それは特定の色で「商売」を塗っていたからではないのだろうか。もっと違う色を見てみたい。見てみたくなった過程で今はあるのかもしれない。
本を読み、対話をして、自身の営みをつくっていくと、そういうことに直面することがあったりするのだった。去年はそういうことを実感した年だったと言えるんだろう。
人に頼ることもできるようになってきた。頼ることの距離感は、なかなかに難しかったのだ。だが、困っていることを周囲に伝えてみたり、身近な人に「これやりたいから背中を押してくれ」と言ってみたりした。すごく助かった。
生きていると、たくさんの「はたらく」に触れるから、つい比較をしたくなる。だけど、どのような触れ方であれ、断片的であり、等価として比較することなどできないのだと思っている。それでも、触れようとし続けること自体が、螺旋的であり、生きることでもあるのだろう。悩ましいが、どうやらそういう世界に生きているらしいから。
これから、いくつかやってみようと思っている「ケバブ屋」がある。フォトグラファーとオーサーとしても、問い続けたいと思う。そうして、「社会と友好関係を築いてみたい」という気持ちが、2025年に入った時点での「はたらく」の現在地であるように思う。