I’m in Japan(帰国した日の日記)

日本に来るのは、1年5ヶ月振りだった。

故郷に帰ってきたというより、久しぶりに訪れた場所のような感覚を抱いた。だが、同時にその感覚はすぐに消えてしまうのだろうとも思う。

羽田空港第3ターミナルに到着してまず思ったのは、日本の税関は厳しいということだった。申告するものの有無に関わらず、全員が申請を行う仕組みになっていた。自分は何もチェックされなかったけど、青と白の真新しい清潔なゲートを監査官に見つめられながら通るのは、日本の禍々しい様子を予感させるのだった。

クレジットカードを紛失した件で、カード会社に言われた通り、空港の交番で手続きを済ませる。担当してくれた警官はたぶん同世代ぐらいで、「直近はベトナムにいました」と言うと、「ベトナム料理好きなんですよね」と言っていた。フォーボーの美味しさについて共有し合う。恵比寿にある、美味しいベトナム料理屋を教えてもらった。

深夜便で到着したので、それでもまだ午前2時すぎだった。当然電車はなく、到着後なおかつ24時間使えるラウンジは羽田にはないので、24時間営業のタリーズへ向かってみる。道中、たくさんの人たちがスーツケースを横に置いて、ベンチで丸まって睡眠を取っている様子に出会う。きっとそれは毎日の光景であるのだろう。だけど、そこにいる人が入れ替わっても、翌日にはまたそこで眠る人が現れるのは、個人単位では入れ替わっても、その姿形はあのベンチに残り続けるように見えるんだろうとも思った。

タリーズのスタッフと日本語でやり取りするのが、まだふわふわとした感じであった。電源がある席にとりあえず座る。隣の角で寝ていた人は空港のスタッフらしいタグを首から掛けており、しばらくすると急にガバッと起き上がって去っていった。その角の席に移動する。このまま起きていようと思い、本を読んだりする。だが、フライト中にたくさん読んだので、何かをしたくなって、文章を書いたり、ZINEの制作を進めてみたりした。

電車が動き始めて、人の流れが形作られているのをぼんやりと感じた。時間になったので、車輪が壊れかけたスーツケースをガタガタ言わせながら移動した。京急の羽田空港第3ターミナル駅でまごついていると、空港に出勤してくるであろう人たちの波に飲まれた。ほんとに人の流れに着いていけなくなってしまった。

誰しもが同じような黒い服を着ている集団は異様だと思うが、実際はどの国でも冬に黒い服を着ている人は多かったはずで、何がそう思わせるのかに興味がある。

早朝の光が差し込んでくる電車に、スーツケースを抱えてぽつりと座っていると、穏やかな静けさに包まれている気分になった。この光を見るために早起きしたくなる。まあしないけど。停車する度に開く扉から、日本っぽい清潔な匂いが入ってくる。

埼玉の木彫作家の友人宅に、しばらくお世話になる。駅に迎えに来てくれた友人に、スペイン流でいきなりハグしてやろうなどと考えていると、合流前にイヤホンケースがないことに気付き、駅構内に戻って探してみるもなかった。その気持ちを引き摺って、数年振りだと言うのに、「あぁどうも〜」と1週間振りぐらいのテンションで、荷物を後ろに乗せて、そのまま助手席に乗り込んでしまった。途中でイヤホンケースがポケットに入っていたことに気付いた。

スーパーにて、値段が円表記なことに感動する。もう頭の中で通貨の換算をしなくていいのか。夜だというのに品揃えがいい。ほんとに物質に囲まれた国だ。すごいぞ。ピアスや赤髪のスタッフもいて、働く人が好きな格好でいられるように、少しずつ変わってきているのかもしれない。自分はカラーやタトゥーを入れている人に、一定の好印象を抱きやすいところがあり、それは社会を「壁」だと捉えていたときの名残かもしれないと思った。

風呂に浸かれる上に、追い焚き機能があることで、こんなにも豊かさを感じるとは思わなかった。こたつもある。日本の冬にはこんなに素晴らしいものがあるのか。これをみんなが味わっているのだと思うと、ずるいと思った。とはいえ、友人宅の居心地の良さがすごいので、日本国民を許してやろうと思った。

帰国して、あらゆることに発見を見出すことが、ちょっとおもしろすぎる。感受性のボーナスステージに突入しているようで、無敵感がある。きっとそれは一時的なもので、すぐに慣れてしまうのだろう。だけど、今はただ素直に、そうした発見の喜びを味わってやろうと思っている。

今のところ、家は埼玉か東京郊外などで、何かのラッキーで賃貸の一軒家を安く借りられたらいいなぁと思っている。フィルムの自家現像をしたり、人を泊めたり、まずは自分たちが生きのびる場所として優先しながら、ゆるく住み開きみたいなことをしたい。

皆さんにも色々と声を掛けさせてもらおうと思っています。日本でもよろしくどうぞ〜!