友人としての「苦しみ」と共につくる

ここ数日間で、たくさんの人たちの作品に触れた。

数日前まで存在を知らなかった人々が、ひたすら何かをつくりだしてきた様子を、次々と目の当たりにした。

展示や本、さらに日常で出会うあらゆるもの、そこに作者自身が物理的に存在する場合もあれば、作者不在の中で、より強く作者自身を感じて、そこから私自身と対話しながら、それらを見つめてみる場合もあった。

たくさんの文脈が、私の内部を通過していった。そのうちのいくつかは静かに滞留していき、やがてある時点で、私自身に掘り起こされていくのだろうと感じた。

その過程において、「文脈」という人々がつくる上で積み上げていくものに対して、「晒される」という感覚を覚えた。ある人ははっきりとした意味や目的を求め、ある人は発明の喜びに浸り、ある人は戸惑いを持て余していた。

こうした文脈に晒されるうちに、私はあたかも溺れるかのような息苦しさを覚えた。全てが過剰であると思ったのだ。それは単なる比較で落ち込んだのではなく、おそらく、誰もがあらゆるものをつくり続けるという果てしなさに対して、受け入れがたい居心地の悪さを感じたのだろう。

たとえば、ぼんやりと街を歩いているとき、すれ違う全ての人々に人生があり、通り過ぎる家々には無数の生活があることに気付き、ぞくっとすることがあった。当然のことであるのだけど、その果てしなさに対して、とてつもなく恐ろしいと思うことがあった。

だからこそ、私はこの世界で成される創造の過剰さに対しての抵抗を試みたくなった。この果てしなさを止めたいと思った。つまりは、消えてしまいたいと思った。めんどうになってしまったとも言える。だが、どこに行ったとしても、つくる人たちで道は溢れかえっており、何よりも私自身もその一部であると気が付いた。それは、ある意味で「祝福」のようで、「呪い」である。「呪い」のようで、「祝福」であると、とある友人は言うかもしれないとも思った。

あるとき、私は人々に「なぜつくるのでしょう」と問い掛けた。人々は「え、考えたことないなぁ」と言った。そのあとに「こうかもしれない」と話をしてくれた。簡単に言葉を用意できる話ではなかったと思う。だから、どのような言葉が出てくるとしても、聞けること自体が嬉しかった。

私が軽々と問い掛けられたのは、自分にはその問いに耐え得る言葉を持っているという確信があったからであった。まずは「つくってしまった」という戸惑いが原初にはある。そして、その先で編集がなされて、置かれる場所が決まっていく。その順番が逆であってはならない。そういった確信は、私の手の中にすっぽりと収まっていたのだ。

だが、全てが内に収まっているというのは、同時に余白が失われることを意味する。余白がないと、遊びは成されない。淡々とつくられていくものには、確かに安心感がある。そこには習慣が備わっているからだ。それはそれでいいのだと思う。「成長」か「停滞」かなんて二択は、問い自体がナンセンスだと思う。

それでも、習慣化されて余白が失われた向き合い方には、どこか空虚さが漂っているのであった。果たして、「つくる」における順番が把握できたというのに、どうして「空虚さ」という苦しみが慢性的に続くのだろうか。空虚さは苦しいのだ。両者を簡単に結びつけたり、空虚さという捉え方で止まってしまうのは惜しい気がするのだが、どうも私が慢性的に感じている苦しみとは、空虚さと関連があるのだと思う。

たとえば、日記という体の雑記を書き続けて良かったことは、書くからこそ、おもしろさを発掘できることだ。街中で見逃してしまうような些細なものも、友人や知らない人たちの何気ない一言も、書いていくうちに、その可笑しさを掘り起こすこととなり、それ自体に楽しみが生まれてくる。豊かな気持ちになっていくのだ。それは実存であり、そこに空虚さを感じることはなかった。

だけども、同時に苦しみというものは、世界中に漂っている様々な文脈と同じく、止めどなく湧いてくるものであった。果てしなさに目を向けると、どうもやる気が削がれるというか、終わらない旅へ勝手に連れ出されている気分になる。私はぬくぬくと居心地の良い家で暮らしていたい。だが、どうしてそういった果てしなさが嫌なんだろうか。

おそらく、私はこういった苦しみと、最近晒され続けた人々の作品に付随していた文脈に、似たようなものを感じ取っていたのかもしれない。

もう一度見つめてみる。安心をしたい。苦しみを取り除いてしまいたい。だが、安心できる習慣に埋め尽くされたとしても、空虚さは顔を出すのではなかったか。だとすると、苦しみは敵のようなものであった。

そうだ、どこか苦しみには、手を広げて迎え入れようとする節があるように思えたのだ。もしそういった苦しみが、足を引っ張るのではなく、手を広げているように思えるのであれば、私はその苦しみを友人として迎えられるかもしれない。

文脈に晒され続けてみると、私は新たなものを掘り起こした。掘り起こす羽目になったと言っていいだろう。それは「満足感」の正体についてである。逆から言うと、「慢性的な苦しさとどのように付き合っていくのか」ということである。

満足とは、完璧に近いような理想の状態であるとするならば、そこへの到達を目指し続けることは、永遠に喉の渇きが潤されないような果てしなさがあるのではないか。

何かを目指したり、計画したりすることが悪いのではなく、目指していく過程において、いつの間にか「そうでなければダメだ」という思考にすり替わることが、私は恐ろしいと思うのだ。「完璧主義には良いことはない」と言い切りたいぐらい、それは自他を破壊して危険性を孕んでいる。

だからこそ、確かに「満足感ってなんだろう」という問いは立ててみるのだが、目指すものとしてというよりも、完璧な形をした満足を目指すこと以外の「満足感」がないものか、探求してみたいという感じだ。

苦しみについては、「慢性的」と書いた。辛いことがあったから苦しいのではない。豊かな気持ちにならないから苦しいのではない。どこへ行ったとしても、苦しみは先回りして、必ずそこで待っている。待ってくれているとも言える。ある意味で苦しさに対する、諦めなのかもしれない。だが、諦めるとは明らかにすることでもあり、そうなると、むしろ苦しみが待ち構えていることは、心強く思えたりするものだった。

今度は、自分自身に「なぜつくるのでしょう」と問い掛けてみる。

私自身を含めて、世界はつくられ続けており、文脈に晒され続けるのだとすると、私はこの苦しみをどのようにもてなしていくのだろうか。

思い付くのは、「そうだけどそうじゃない」みたいなことを、私が腑に落ちると思えるところまで、苦しみとともに螺旋状に探究し続けたいということだ。

二極化しがちな言葉を分断して理解したつもりにならず、あぁそうかもみたいな納得感がやってくるまで待つということだ。そうすることで、言葉の淡いが溶けていき、露わになってくるものがきっとある。

なんというか、「二元論がいけない」と何の疑いもなく思うわけでないが、時折、腑に落ちていない言葉を二極化して語られる話に対して、「聞いてられない」と激しい気持ちが湧き上がってくることがあるのだ。

たとえば、「自己」と「他者」、「つくる」と「伝える」、「承認」と「本性」などがそうだ。つくることの文脈で言えば、やっぱり私は、つくったものを見せるときに、「目立ちたい」「認めてもらいたい」という「承認」を、まるで人間の「本性」だとして語られることが嫌でたまらないのだ。同時に、「人との繋がりは大事」という帰結で終わってしまうのも、もぞもぞする気持ち悪さを感じる。

私には「つくったもの」があったとき、「誰かに見せる」という行為が直結していない感覚があった。だからといって、「自分のためにつくる」という動機だけでつくっているわけではなさそうであった。

あるとき、依存症の本を読んでいて、「自己治療」という言葉を知った。

様々な依存は快楽を求めてされるものではなく、日々の苦痛を緩和するために行われるとする説だ。それはこの果てしない世界で生きていくために、自身を必死に保とうとする行為であるとするならば、一般的に依存症と診断されない人であったとしても、当てはまるのではないか。実際、何を依存症とするのか、非常に曖昧であると思う。私には依存症と診断される人たちを、簡単にジャッジしてしまうことはできないし、したくない。

そして、その自己治療的な行為は、まさに「つくること」に近しいんじゃないかと思ったのだ。少なくとも、私にとっては。写真を撮ること、書くこと、読むこと、対話することは、私を構成する要素でもあり、営みであるが、自己治療的なものであるんだろう。

そう気付いたとき、晴れやかな気持ちになったことを覚えている。決め切ることはないが、「つくること」における、数ある出発点のひとつが、「自己治療」だと腑に落ちた気がするからだ。

そうなってくると、私が友人として迎えた「苦しみ」は、心強いものとなる。苦しまないと、ものをつくれないというわけではない。私自身が「そうだけどそうじゃない」と、もがき続けるさまは、確かに「慢性的な苦しみを抜けたい」という自己治療として機能していくだろう。だけども、知らず知らずのうちに、それらは私自身の一部となり、変わり続け、その先で、はたらくことであったり、作品であったり、プロジェクトであったりと、ゆっくりと形を帯びていくこととなるのだと思った。

果てしなさとは、静けさの中で断片的なものを拾い続けることでもあり、苦しみと友人であるのならば、ずっと楽しめるということなのかもしれない。