日記的雑記帳「カイエ」|2025.06.23-06.29

06.23(月)

・先週で終了した仕事、人生の中のたった2ヶ月間ではあったが、週1~2休みで早朝と夜に勤務していたわけだし、普通にめっちゃ長く感じた。あっという間だねと周りには言われるけど。そもそも、1ヶ月単位で住む場所や国を変える生活を数年やってきたのだから、自分的に1ヶ月間が生活のある程度のサイクルに思えて、それが2回分だから長く感じるんだろうな。

・ちゃんとやってみたいことをやろうと思った。生活を作っていくことに必死だが、ただ過ごしていくことがどれだけ豊かなことか。人を多めに見ようとも思った。

・マユリカがツボすぎる。阪本さんのボソッと文句を言う感じも、中谷さんの芸人に向きすぎている感じもおもしろすぎて、特に最近は「マユリカのうなげろりん!!」を毎日繰り返し聞いてしまう。

06.24(火)

・生活するための事業であるとか、作品は売れることで完成するとか、そのようなニュアンスのことをたまに聞くけど、わかりたいけど、やっぱりわからない。腑に落ちない。順番が逆じゃないかと思ってしまう。最初に事象があって、その後にそれを使って生活するかもしれないし、そうではないのかもしれない。それだけだ。この部分は自分として考え続けたい。

・「やな奴、やな奴」って呟きながら歩きたくなるような人に会うことって、ほんとにあるよな。

・家を決めるのに渋ってしまう。とりあえず、睡眠をたっぷり取って、快適な服装と室温に整えた状態で決断をしたい。今後のことは何も決まっていないのに、やることは多くて、決断はいつだって突然だ。

06.25(水)

・やることが多すぎる。むしろ増やしたりしている。でも、家探しを進められたら良いというのは、ほんとにそうだ。全部やろうとしてもできないのだし、色々抱えつつも今は生活を作っていこう。

・人を瞬時に判断していて、ある程度の直感は確かに信じて良いと思いつつも、その相手の積み重ねを知らないのに、知っているかのように振る舞うのは、ちょっと違うなと思った。敬意は減るものではないのにね。自身に対して良くやっていると思うことと、敬意は両立するのではないか。

06.26(木)

・前の職場でいつの間にか習慣が作られていたのか、自動で早めに目覚めるようになった。睡眠の質も上がってきている気がする。「マユリカのうなげろりん!!」で、キューピーコーワヒーリングの存在を知って試しているのだけど、その効果なのか。あのひたすらおもしろいだけの番組が、生活の役に立つなんて。

・昼食を食べない生活を何年も続けてきた。中抜けの仕事を始めてから、朝と夜の勤務の間に食べ物を少しつまむようになっていくと、段々お昼にお腹が空くようになって昼食を食べるようになってしまった。その仕事が終わったのに、お昼になると変わらずお腹が空くのだ。習慣の力というのはすごい。

・何もかもめんどうになってきた。決めることが多すぎる。家探しがめんどくさい。どうして生きるのに、色々手続きしなければならないのか。勝手に生かしてくれって気持ち。色々抑えていたけど、一度怠さを全開に放出してみることにした。生きるのはめんどい。

06.27(金)

・ほんと日本のスーパーの品揃えは素晴らしい。コンビニは許さない。

・「旅」の良さが長らくわからなかったが、自分にとって、移動はシビアな生活に組み込まれているものであった。だけど、定住していて、その固定された環境から外に出る開放感自体を楽しいと思う営みが「旅」なのかもしれないと思った。

・真摯に悩んでいる人、特に問いを抱えている人はおもしろい。おもしろすぎる。そういう人たちの話を聞き続けていたい。はたらく上での大切な要素だ。まさに編集もそうだ。自分はお節介がしたい。そうだ、他者とは絶対に分かり合えない上で、明確に自他を切り分けた上で、あえて境界線を超えてお節介をしてみたいのだ。それだ。やりたいことは。

06.28(土)

・色々な偶然が重なり、10km以上歩いた日だった。気持ち良いが、流石に疲れすぎた。ランニングの話を聞く。鼻呼吸で走れるくらいが良いらしい。ランニングといえば、ランナーとは苦しいことをわざわざやる超人だと遠い存在だと思っていたけど、自分のペースが掴めるとむしろ心地よいものらしい。ランナーも人間だったのか。途中、おじいちゃんと歩く機会があり、初対面のおじいちゃんとがっつり話したのは、なんかおもしろかった。話を聞いてくれるおじいちゃんは好きだ。

・好きではない路線ってある。なんか嫌な感じ。落ち着かない。

・どの本も全く異なる分野であるのに、ここ最近読んでいる本が精神科医の中井久夫さんに言及していることが多すぎて、中井さんの本を読むタイミングなのかと思った。本を読んでいると、こういう不思議な横断があったりして、やはり一定の文体の好みというのは、共通事項として存在するのかもしれない。

06.29(日)

・敬語で話すと、落ち着いて話せて良い気がする。

・定住のことで頭がいっぱいだが、色々な企画が進行中であることは素直に楽しみだと思う。なんとかなる。

・『西洋の語でも「寛容」にはどこか、じぶんとは考えや信念の違う人をしぶしぶ、つまりみずからの感情の自然に反してでも認める、というニュアンスがあるようだ(「透明」になんかされるものか 鷲田清一エッセイ集 / 鷲田清一)』寛容と許すということは別であるように確かに思う。人と共にいる上で、「渋々認める」みたいな状態は、結構豊かなことではないのかと思うのだ。マジかよ、うわ、みたいなものを通った上で、その対象を見つめるということ。