日記的雑記帳「カイエ」|2025.05.12-05.18

05.12(月)

・体力の回復に充てた日。頭の中では体力ゲージが表示されていて、身体を休めていると、ゲージが徐々に満タンに近付いていく感じがあった。昨日のクラシコでバルサが圧勝したため、調子に乗ってお酒を飲みすぎた。身体の疲れもあったのか、久しぶりに二日酔い気味。そして、身体の回復をスキップしようとは思わないのは、まるでゲームのように、体力ゲージが回復していないと、したくてもできない行動があると、実感しているからだろう。ほんとにここ最近は、身体性への腑に落ち方がすごい。

・ふと思ったのは、もうスペインへ行ってしまったということだ。「もう行ってしまった」ということは、今後誰からも奪われることがないのだ。それってすごいことだ。

05.13(火)

・社会には穴が空いており、それを埋めるのが仕事だとするならば、仕事に自身の理想はなんだと求め続けるのは、確かに幻想的で、満足感の底がないと思う。そうなると、問われているのは、生きる態度なのかもしれない。たまたま穴があったら埋めていた、という認識の仕事であったとしても、何かしらの個人的な発見を見出すという態度であれば、職種や興味を問わないんじゃないか。発見の喜びは誰からも奪われないだろう。

・発見の喜びは誰からも奪われないって、改めてすごいことだと思った。

05.14(水)

・人に対してあれこれ口出しするより、見守るということが良かったりするんだろうな。

・準備をすることが良いことだと思ってきた節はあるが、待つということの豊かさを再認識している。

・生きることは途上であることなのだ。そう腑に落ちてきた気がする。

05.15(木)

・暇であっても、テキパキと仕事する方が自分は好きなんだと気付いた。

・問いへの応答として、「良い」「大事」という言葉を使ってきたが、そこで示したかったニュアンスは、「豊かである」ということだったような。

・なめらかであることが求められる環境。大衆とはそうであるのかもしれない。自分はどうしても、なめらかさを前提とした環境への不快感を感じる。それに尽きるのだと思った。

・バルセロナとエスパニョールの試合。今日勝てばバルサはリーグ優勝。なんだか全体的に噛み合わない試合運びだったが、ヤマルとフェルミンのゴラッソで勝利。優勝だ。妥当だと思う。今シーズンは良すぎたもの。アウェイであり、試合前に事件もあったようで、選手たちは試合後すぐに引っ込んでしまい、優勝の実感をあまり味わえなかった。

05.16(金)

・自分はわからなさに対してフェアである。だからこそ、「そんなわけないだろう」という切り口から入りやすいのではないか。ある意味、念入りに毎回そこから問えるということだ。

・ビール1杯で気分が悪くなった。今まではそんなことなかったのに。身体がお酒を受け付けなくなっているのは、疲労と睡眠不足からだろうか。

05.17(土)

・もうずっと身体は疲れ切っていて、寝付きも悪いし、寝起きなんてこの世の終わりの気分だ。体力回復のためにしている昼寝をしない方が良いのだろうか。睡眠についての簡単な知識はあるが、知っているからといって、睡眠が改善されるわけではないのが難しいところだ。人類が睡眠を攻略できる日は来るのだろうか。身体とはコントロールしようとするものではないと思いつつ、そう思ってしまう。

・スペインのラ・コルーニャ(A Coruña)にいたのが、もう1年前なのか。感慨深い。

05.18(日)

・「AIみたいですね」という言葉は、もはや褒め言葉になってきているのでは。

・不合理に見えて、到底理解できないと思える人の挙動を見ていると、自身の見方をほぐすきっかけになると実感した。

・優勝者がネタバレされてしまう前に、「THE SECOND 2025」の配信を急いで観た。前年までは漫才のネタをやりつつも、アドリブの多い大会というイメージがあったけど、今年はネタとして普通にめちゃめちゃおもしろいものばかりだった気がする。おもしろかった。賞レースはやっぱり楽しい。