04.28(月)
・信頼している人と話すと、ほんとに穏やかな気分になっていくものだ。
・螺旋を描きながら残された作品と対峙するのは、「出会ってしまった」という感じだ。本人が「思ってしまったこと」に出会えることが、残す良さなのかもしれない。
・どうしても読んでみたかった、「私の愛おしい場所 BOOKS f3の日々(小倉快子)」が手に入って嬉しい気分。もうどこにも在庫はなさそう。日記形式なので、ゆっくり読んでいこうと思った。
・書くことができるだけで、どれほど幸福だろうか。
・令和ロマンのくるまが自粛から復帰していて、とても嬉しい。全然個人でやっていけるでしょう。ポッドキャストもYouTubeも楽しみだ。
04.29(火)
・態度のひどい人が、明らかに制裁的な措置を受けていて良かったと思うのと同時に、いわゆる仕事ができないと言われてしまう人も含めて、容易に「ダメな人」と扱われて終わるのは、なんだか世知辛いなぁと見ていて思った。仕事って何なのだろう。
・キレている人に「何をそんな怒ることがあるの?」と聞いてみるのが、意外とおもしろかった。完全にひとつのことしか見えなくなっている状態であった。引っ込みがつかないというのは、自分も含めてあるものだ。だが、他者の怒りに晒されることを許容するつもりは一切ないし、はっきりとこれからも言っていこうと思った。同時に、人間自体の生き方や仕事観との折り合いが、こういうときには発生するんだと思った。
・思ったのは、自分は気楽に楽しく働けることを良しとする前提がある。だから、ずっと真面目ではないと思ってきたのだが、実はそうではなく、協力して仕事を終わらせること自体はそれなりに楽しく行えるようだった。ただ、仕事は作業だけではなく、人と行うので、そこで生き方や仕事観とのぶつかりがあって、そちらがめんどうだと思ってしまうのだ。日本だと「仕事=きちんとするもの」という価値観がわりとあるのわからないが、人間が仕事をするのだし、ヒューマンエラーは起きるし、体力の消耗もあるし、好き嫌いはあるものという前提が自分にはある。だから、その部分で言えば、仕事なんて必死になるようなものじゃないと思っている。そのような感じのことを思っていたのだと少しずつ知っていけるのは、結構良いものだなと思った。
04.30(水)
・自身の仕事観の周縁が、内部で語り直されていく感覚がある。
・迷惑が掛かるって感覚が希薄なのか、違う捉え方をしているのか。人はブリコラージュして生きていくものだと思っているから、何かが完遂しなくても、結局何とかするようにできているのだと信じている節はある。
05.01(木)
・悪夢を見た。それにしても悪夢だった。
・ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を読み直したい気分だ。
・人間はやることが増えると多忙状態になり、余裕がなくなってイライラしてくる。それで悪循環が生まれてくる。これは人間の欠陥なのだろうか。なんとかならないものだろうか。
・たとえ、自分の意見が伝わらなかったとしても、素直に思って”しまった”ことを身を投じることで、開かれていくものがあるんじゃないか。自分が身を投じなかったら、そのあとの言葉は反対意見だろうが出てこなかったわけで。そうなると、素直に何かを作ることは、そうした開いていくきっかけを作り出せるところがあったりするものなんだろう。
05.02(金)
・職場で働くって人間関係なんだなぁと実感。久しぶりだ。問題に対処しても、また新たな問題が生まれてくる。あまり嬉しくない連鎖がある。何よりも自分がその一部に組み込まれていること自体に嫌気が差して、何もかも面倒に思えて、疲れてしまうときがある。
・手持ちの食料が尽きた。大雨だが、仕方がないのでコンビニへ向かう。服も靴も大変なことになったが、川沿いを歩いていると、対岸の景色として山々があり、それらと雨の調和が成されていて、美しいなと思った。雨の散歩などめんどうで普段は絶対に行かないので、行ってみて良かった。ほんとに全身大変なことになったけど。
05.03(土)
・ここは喫煙率が高い。みんな吸わないとやってられないのだろうか。吸いたいとは思わないけど、身体の疲労で、食べ物以外の何かを摂取したくなり、自販機で「ぶどうスカッシュ」を定期的に買うようになってしまった。自販機なんて浪費じゃないかとずっと思ってきたし、ましてやジュースなんてほぼ飲まなくなった。でも、酒やエナドリに頼るよりはいいかなと思ったのだ。もし、ぶどうスカッシュの味がしなくなってきたから、色々と限界だろうという基準を設けておいた。今はまだ、全然美味しい。
・「You 君がすべて」のシーズン5が、どんどんクライマックスに近付いている。ジョーは計算高く、何でもそつなくこなすのに、興味の対象の女性が現れると、「本当の愛がここにあった」と必ず語り出す。これまで様々な関係性を同じようなパターンで繰り返してきたのにも関わらず、驚くほど実直に思うのがすごい。でも、自分はどうしてもジョーの味方をしていたくなってしまう。彼を猟奇的だと言うことは簡単だが、果たしてその言葉を誰かに投げかけるとき、自他をどのように見ることになるのか。問い返しがあるのではないか。そういうことを思う。最終話がそろそろだけど、早く見たいけど終わらせたくないなぁ。
05.04(日)
・昼からぶどうジュースをキメてしまった。
・身体の振る舞い方を学びたい。身体論みたいな。
・今までの自分からすると貴重な経験をしている渦中だが、きっとこの経験も終わっていくと同時に薄れていくものなのだろう。帰国後すぐに感じていた様々な感覚は、既になくなっている。そうなると、経験を重視するよりも、どのような環境にいて、そしてそれを耕し続けるかなんじゃないかと思った。知っても仕方のない世界線はある。そこに踏み込んでしまったとき、どのように退却していくか。そして退却後の環境を耕すことだ。