04.07(月)
・腑に落ちた言葉は、自身の確信として持っておいて良いと思う。だけど、その確信があまりにもすっぽりと掌に収まってしまうと、余白がなくなって揺れ動きが止まっていく。だからこそ、確信は変わり得るという余白を残しておいた方が、むしろ苦しみは軽減できるかもしれない。
・自分は「回復したい」という大きなテーマがあるような。回復とは治ることではなく、苦しみを抱えた上で生きていく道だとすると、「慢性的な苦しみとどのように付き合っていくか」とも言い換えられそうだ。
・今日のオンライン英会話の講師は、穏やかにさっぱりとレッスンを進めてくれるので、なんか良かった。やる気ゼロだったのだけど、おかげで元気に話せた。
・エアーダスターを使うとき、人は誇らしげな顔になる。MacBook Proのファンがうるさいので、裏蓋を外して清掃しようとしたのだ。だけど、結局諦めた。
・Vivian Maierの写真集「Vivian Maier」が、BOOK AND SONSで再入荷したというお知らせが来たので、ついに手に入れてしまった。ずっしりと重くて、値段も重量級だ。写真集って不思議な存在で、どれだけ好きな写真を撮る人であっても、写真集を買うまでに至る場合は少ない。「欲しいけど、うーん」みたいな渋り方をするので、ケチなだけかもしれないけど。大体はいいお値段するわけだし。その中で、Vivian Maierの写真集は、どうしても手元に置きたかった。この写真集はどこも在庫切れであったので、諦めていたのだけど、入荷のお知らせが来て、今手に入れるタイミングだと思った。
04.08(火)
・またしても次のことが決まらずに落ち込む。筋トレなのか。やってきたものをすぐに打ち返す筋力を養うための。
・Adobeのフォトプランが値上げするようだ。今年1月には決まっていたらしいけど、更新のタイミングなのか、今日通知が来た。「どこもかしこも値上げか」とぼやいてみる。サブスクが値下げするって、自分は聞いたことがなくて、そんな未来が来たらいいなぁと妄想する。
・人の日記を読むのは好きだが、同時に腰をよいしょと上げないと読むモードに入らなかったりする。だからといって、無理に好きと言っているわけではなく、自分にとっての日記文学にはそういった複雑性が内包されている。実際、読み始めてみると、「ほぉこんな生活があるんだ」と知らないことを知っていく楽しさを覚える。そして、そこから触発されて、今までの自信の習慣にはなかった、新しい道が形作られていくおもしろさがあるのだ。そうだ、道の開拓ということが、日記文学の良さかもしれない。
04.09(水)
・胸の奥がグッと重くて苦しい状態が続いている。これは緊張状態にあると言えそうだ。最初は早く取り除いてしまいたかった。周りに気持ちを全て打ち明けて処理してしまいたかった。だが、一時的に解消しても、同じものはまたやってくるだろう。そうなると、緊張状態を乗りこなすというか、そうなっているからこそ、集中して物事を進められたりするタイミングだと捉えてみると、少しだけおもしろく思えてきたのは確かであった。マッチョな思考ではなく、どこまでも自身の気持ちを見つめることは続けてみたいと思ったのだ。
・そうは言っても、ひと段落したところで、オンライン英会話の講師をやっている友人に「つらい〜」と授業のついでに話してしまった。「上手くいかなくて落ち込むのは当然のことだよ。あなたは海外で色んな場面を生き延びてきたじゃない。だからまた明日からやっていけば大丈夫」と励まされて、素直に勇気付けられた。説教は嫌だが、そうではなく、受け止めた上で励まされるのは嬉しいものだった。同時に、今ここにいる自分を自身で信じてあげるみたいなことが、大事なのかもしれないと思った。ついでに、ポッドキャストや読書会など、話を聞くという営みを探求してきて、アドバイスよりも共に考えるみたいな聞き方をしてきたのだが、「いや、全然あなたならできるよ」と背中を押す、というシンプルなやりとりが良かったりすることもあるんだよなぁと実感した。
・こうして日記的な雑記を書いてはいるが、そもそも毎日のように膨大な雑記を走り書きしているので、その中から編集して選んだものを公開するというプロセスになっている。だからこそ、もし日記ありきで、しかもそれを公開することが先にあったとしたら、全く続いていなかっただろうなと思った。どうせ、誰にも見せなくても文字は生成しているのだから、お裾分けではないが、いくつか公開しておこうみたいな気持ちだろうなと改めて思った。
04.10(木)
・帰国してから、ずっと続きを読みたかった、「山學ノオト4(青木真兵、青木海青子)」を読み進める。やっぱりおもしろい。青木さんたちの「Lucha Libro」という活動を知り、この日記本シリーズに辿り着いて、おそらくそこから日記本に興味を持つようになったのだ。原点はやはり良い。
・AIにディープリサーチを頼んでいると、もっと深く網羅的に情報を収集してほしいと思ってしまったのだが、何でもかんでもAIに情報を収集されるようになる世界は、監視社会みたいなものかもしれない。
・部屋にアロマディフューザーを導入してみたが、慣れてくるといい感じだ。「心がほっとする」という香りのアロマにしてみたのだが、めっちゃオレンジの香りで最初は好みじゃないと思ったが、慣れてくるとその中にも、なんだか落ち着くような香りが混ざっていることに気付いた。ただ、「穏やかな気持ちに」というアロマもあり、違いがよくわからない。
04.11(金)
・スタンドに着くと、運転していたバイクの後輪がパンクしている夢を見た。なぜか自分のGSX250Rではなく、一度も乗ったことのない、ボバー型のバイクに乗っていた。次はボバーに乗りたいのだろうか。乗りたいかといえば、乗りたい。違う場面では、人がたくさんいてそれぞれと自分には人間関係があったようだが、これは最近の作品をつくる人たちに触れ続けたことの果てしなさを表していたのだろうか。
・不安を消すために動く、というのは、ある意味で理にかなっている気がした。
・苦しみは共にいる仲間である。その仲間と、そうだけどそうじゃない部分を共に探究し続けると思えたら、果てしない空虚さは、むしろ居心地が良くなるかもしれない。
04.12(土)
・友人の依頼で、草刈りをする。人生で初。草刈機の使い方を教わってやっていく。あっという間の5時間ぐらい。何か考えながらやろうかと思っていたが、目の前の草をいかにして根っこから刈り取るかに夢中になっていた。途中パイセン(隣の畑のおじいちゃん)にコツを教えてもらった。「これだけやったんならよくやってるよ〜」と労われた。「今でも勉強することあるよ」とポツリと言っていたのが、頭に残った。運動不足の身体はバキバキだが、終わった後の達成感はすごかった。草刈りといえば、早朝にどこかからブイーンと騒音が聞こえてくる不快なものという印象があったのだが、今は全草刈り人に尊敬の念を抱いている。大変なことしてたんだなぁ。楽しかったけど疲れた。疲れたけど楽しかった。
・草刈りが終わった後も、右から左へと草を刈っていく残像が消えない。草刈機の刃は反時計回りに回るので、それを意識してやり続けていたからか、目の前のものをブインと右から左へと刈り取る想像を所々でしてしまうのだ。何かでウサギのキャラクターの人形の写真を見たのだが、根本から右から左へと刈る想像をしてしまった。あらゆるものが刈る対象に見えてしまうのは今だけだろうが、人間の認知の揺らぎがちょっとおもしろい。
・スーパーに納豆用の薬味が売っていて、ほんとに日本は何かに掛けるものが充実している国だと思った。
・今週の「マユリカのうなげろりん!!」も中谷さんの泣き回。3週連続。もう笑いすぎてつらい。境遇を想像して当たったら泣くというシステムが、意味わからなくて笑った。泣き芸として新たな面が開花しまくっているな。来週も楽しみ。
04.13(日)
・昨日の草刈りの後遺症が。しっかり筋肉痛。お腹と背中の両方が痛いから、座ったり立ち上がったりするたびに、ウゴッってなる。
・chatGPT版のディープリサーチが気に入っているので、残り回数を気にしながら使っている。制限が来たら、他の無料版のAIに移行すればいいのだけど。リサーチで思ったのは、今のところAIは素材があるからこそ、レポートとしてまとめることができるということだ。つまり、編集の部分を担ってくれている。そうなると、編集がなされる前の素材をたくさん持っておくことは、これからは大事になっていくのかもしれない。
・今は無くなってしまった「BOOKS f3」という書店をされていた方が、短い雑記を書いていて、たまたま読んでしまった。”読んでしまった”と言えるぐらい、引きつけられてしまう文章というものが稀にあるのだと実感する。ほんとに短い文章であったが、グッときてしまった。「私の愛おしい場所 BOOKS f3の日々」というZINEを数年前に出しているようで、読んでみたくなった。ただ、chatGPTに探してもらったけど、どこも売り切れみたい。いつか読んでみたいなぁ。
・わからないことだらけだ。人生まだわからん。先日の草刈りのとき、隣のおじいちゃんが「この年になってもね、毎日勉強だよ」とポツリとつぶやいたのが、まだ頭に残っている。それは一見果てしなさの苦しさを思い出すが、とはいえなんだか救われたと思えるぐらい、「そうか、そうだよなぁ」と納得のある言葉であった。