日記的雑記帳「カイエ」|2025.03.24-03.30

03.24(月)

・Minolta CLEの露出計が不調すぎる。もう少し撮影でテストしてみて、修理に出すのか考えよう。木村伊兵衛の「僕とライカ」というエッセイ本を読んでいて、機械的にカメラを見て、科学的にフィルムを扱うようにはしていきたいと思っている。

・スペインのフィルムブランド「Hundred Film」が、4Hundred(ISO400)を出した矢先に、8Hundred(ISO800)の発売を決めたようで歓喜した。フィルムの選択肢が狭まっていく世の中で、これだけ新商品を出そうと頑張ってくれているのは、とても嬉しい。近々輸入して使いたい。いやーすごいことだ。この時代に。全力で応援したい。

・中古で本を買ったら、前の持ち主のメモが挟まっていた。妻から夫への伝言のようなメモ。妻は夫に対してかなり不満があるようだ。掃除をしてほしいということ、話を聞いてもらえないのが悲しいと、結構大変そうだ。特に「寝落ちするのにムダに起きておこうとするのはやめて下さい」は辛辣で思わず苦笑した。これを置かれた方は辛いし、これを書いておく方も辛い。こうして書くのは野暮だと思ったし、内容的に大変そうなんだけど、走り書きのメモとはいえ、文章を読み込むのは楽しいと思ってしまう。話を聞くという一見シンプルなことがどれだけ難しいことか。そういうことを考えてしまった。お互いに話を聞けたら良いなと思った。

03.25(火)

・友人の付き添いで内見をする。すごく素敵で大きい家だった。どうしようかと悩む人を目の前にすると、つい自分の姿を投影してしまった。自分は家を探している。では、移動生活から家を借りることになるとして、改めて自分は何をしたかったんだろうか。いや、「何がしたいのか」という問い方は一見クリティカルなようで、実は空虚なものではないだろうか。

・餃子を焼いて食卓を囲む。焼き上がって綺麗に円状に並べられた餃子に、ぶどうジュースを豪快にこぼし、「ほんっとにごめんなさい!」と精一杯謝っている友人は、ほんとにエンターテイナーだよなぁと笑った。餃子はぶどうジュースを掛けられようが、鉄壁の守りを発揮しており、ただただ美味しくて楽しかった。

03.26(水)

・マスクを忘れたとはいえ、薬をばっちり飲んでいたのに少し外に出ただけで、えげつない花粉の後遺症が残った。頭と鼻が重く、無限に鼻水が出てくる。これはとんでもない。

・勇気付けることって、とても大変なことだ。たとえ外からは穴が見えたとしても、それを指摘したところで、何かが成されるわけではなかったりする。でも、勇気付けるのは自分なのか。ひたすら聞いて、共に考えていくことが良いことなのか。ただ、そうした葛藤を前提にして、考えるようでありたい。そこをどちらかにスキップしてしまわないことだ。「何も進められていないんじゃないだろうか」と自身に問い続けて、そういった業務にあたることが、まさに仕事だと思うわけだしさ。

・ベトナムでのクレジットカードの紛失の件、保険が適用されたという連絡がようやく届いた。長い戦いだった。交渉も頑張った。今まではどうせ保険があるし、落としても大したことないと舐めていたが、海外だからというのもあってか、こんなにも面倒な事態になるとは思っていなかった。もうやりたくない。

03.27(木)

・渋谷駅のエスカレーターに乗っていて、ふと横を見ると、物凄く清潔だが誰もおらず何も置かれていない空間があり、そこにはオレンジ色のこちらも清潔な照明が、その空間に光を落としていた。人が住めるぐらいのスペースだが、都市はそれを許さないんだろう。電気を消耗して照らして、掃除をされていても、誰も使えない空間。これが都市の問題だ。何のための都市なのか、忘れられていくのだ。

・”意味”をすごく反映している作品も多いんだなぁと、いくつかの展示を見て思った。

03.28(金)

・基本的に生きることが楽になり、おもしろく思える方向で、物事を判断していたいと思った。

・臨床ではないが、何かの相談員とか、偉ぶったアドバイスをせずに、その人の持つ問いを共に考えるみたいなことは、タイミングがやってきたらやってみたいと思った。

・久しぶりに、「ONE PIECE」のアラバスタ編と空島編を読んだが、やっぱりすこぶるおもしろい。ついでに当時連載を追っていた「ReLIFE」も読み返していい気分。読んだ漫画を読み返すのは、時間を消費しているように最初は思ったが、遊びとしていいじゃないかと思えた。また読んだっていい。

03.29(土)

・子どもっておもしろい。同じ空間にいるのに隠れてしまい、こちらが背を向けると、顔だけ出してチラチラと様子を伺っていた。「名前は?」と聞くと答えないので、「秘密ってことね」と言うと、うんうんと頷いていた。別れ際に「バイバイ」というと、こちらに対して、絶妙な角度で半身になりながらも、「バイバイ」とリアクションしてくれた。たとえば、ぐいぐい話し掛けたり、こうしなさいと言ったりすることはできるが、そもそも人に対して強制はできない。でも大人は、大人に対してはしないようなことを子どもに対して平気でしてしまったりする。そういうことを考えた。また会う機会はありそうなので、お互いのペースでゆっくり仲良くなれたらいいなと思った。

・自分宛ではないが、知人宛の匿名の批判を目にしてしまった。いわゆるクソリプだ。批判について考える。知らない人のえぐるような批判は、強い言葉であったりするので、一見うげぇっとなる。だが、そもそも受け取るセンスのないように見受けられる人の意見は、果たして信頼に値するのだろうか。同時に、自分がその元になった知人の意見を受け止められているのは、ある程度その人の文脈を受け取ってきた蓄積があるからだろう。そうなると、文脈とは、技術とは関係がなく形成されていくもので、それらの蓄積がない状態で物を見ることの難しさがそもそもあるわけだ。そして、批判した人はその蓄積がない上で、何か自身の気持ちが整理できなくて、そういう強い反発の言葉を発した。正直、知人を傷付けた可能性がある時点でどっかいけと思うし、センスはなさそうだし、アホちゃうかと思っているのはある。でも、匿名でわざわざ自身のざわつきを発信したその人は、どのような人であったのか。批判に耳を傾けるか、無視するかの二択ではなくて、ただただその人のことを想像してみることは、小林秀雄が岡潔との対談本「人間の建設」で言っていた、「批評」に繋がるんじゃないかと思った。その人の身になってみると言葉が出てこないのだが、その上で言葉を見つけていくことが批評だと。そういう態度はあらゆる道に繋がると思うから。

・思いがけず、「B-RAPハイスクール」のことを思い出してしまった。軟式globe、チゲ&カルビ、MUSIA、アンコtheKANCREWとか好きだった。でも、自分が子どもすぎて、元ネタのアーティストをそもそも知らなかったなぁ。あの人たちは芸人だったのだろうか。芸人じゃないとしたらおもしろすぎるだろ。

03.30(日)

・既に素材は膨大にあるわけで、日々作ってしまうのだから、それらを編集する視点をどのように育てるのか次第な気がしてきた。

・「マユリカのうなげろりん!!」の最新回を聞いて、腹を抱えて笑う。純粋な気持ちで終始泣いている中谷さんの声を聞くと、どうしても堪えきれないぐらい笑けてしまう。あんなに泣いてておもしろい人はいないだろう。はあ笑った。

・自分自身で思っている以上に、自分には「生きることが楽でおもしろくあってほしい」という軸があるようだった。だからこそ、「仕方ない」「難しい」というような、狭間で考えることを放棄する態度には、嫌悪感を抱くのだろうか。挫折や苦しさは全然良くて、むしろそれらに素直であってほしいのだが、どうせならそこで止まらずにその先へ行ってみたいと思うのだ。