2025.03.03-03.09|雑記帳

03.03(月)

・こうしてカイエ(雑記)を日々書いているが、長い文章を書く時間をまとめて作ってみようかと思った。たとえば、1日1時間と決めてみるなど。そう思ってやってみた。今日はあまり良い感じの文章を書けたわけではないが、書けたこと自体を豊かだと思えた。

・清掃のために、カメラのレンズを分解していく練習をしているが、思うように進まなくてもどかしい。たまにレンズをぶん投げたくなる。だが、こういう物が相手の作業においては、できないことを憂いても、焦っても何も解決しないのだった。まずは、とにかく時間が掛かることを理解する。そして、よく観察する。何か1つでも進んだら良いし、進まなかったらその要因を探ることの繰り返しだ。時間の感覚を捉え直す意味でも、良い訓練になっている。

・未来を考えると不安になる。そういうときは、未来のことを考えている自分をただ認知するみたいな感じにしてみると良かった。

03.04(火)

・家(拠点)に誰かが遊びに来てくれることは、改めてすごいことだと思ったし、来てもらえる場所を作り、待つということの豊かさを体感した気がする。

・体内に「豆ゲージ」があり、一定量の豆を摂取するとゲージが満タンになってそれ以上食べられなくなるという話を聞く。自分の中には「何ゲージ」があるんだろう。

・雪が降り積もっていて、雪に馴染みのない暮らしをし続けていたから、楽しくなった。だが、慣れている人にとっては、ただの厄介な悪天候であり、「生活がここにはあるんだなぁ」という感動を助手席で1人で味わうのみであった。

・気持ちが沈むなぁ。未来のこと考えると不安ばかりだからね。

03.05(水)

・朝、カーテンを開けると雪景色で、思わずフィルムで写真を撮る。モノクロフィルムを入れていたのが、ちょうど良かったかもしれない。雪ゲージが高まった。

・心がじんわりと温かくなる言葉というものがある。実際に体温も上がった気がしておもしろい。

・写真のセレクトをしていると、自分の写真は「どこに目が向いていたのか」がわかりやすい写真だと気付いた。なんだかそれでいいのかなぁと最初は思った。なんだかよくわからない写真を撮ってみたいという謎の憧れが湧いてきたりした。だが、裏を返せば、目の前の対象と静かに対話した体験が素直に表れているということなんだろう。セレクトすると、自分の写真の全体像を見直せておもしろいものだ。

・同時に、セレクトする写真の大概は、いつも選びがちなお気に入りのものばかりだった。どこかに載せるのには「間違いのない」出来のもので、それ以外の無数の写真たちは、ほとんどどこにも出さないことになる。見せないと意味がないという話は散々特大否定してきたが、毎回「間違いのない」ものを選ぼうとするのは、なんだか面白みに欠ける。そういう写真だけ集めてみようか。これも勇気なのだろうか。間違いのないもの以外も出してみる勇気。

・放置していた「罪と罰(ドストエフスキー)」を再開する気力(再開ゲージ)が高まった。やはり読書会は良い。読んでないのに参加して、読む気力を養うという参加方法になってしまった。読んでなくても、それを受け止めてくれる人たちがいるのは、とっても嬉しかった。罪と罰おもしろそうだなぁ。ラスコーリニコフの荒れっぷりはどうなっていくのだろうか。罪は過去の不安で、罰は未来の不安なんだろうか。読みたい。読みたい。読みます。

03.06(木)

・採血をされるために、電気を動力にしているらしい四角い箱の中で揺られながら、早朝の光を浴びる。注射は嫌いだ。嫌いというか怖すぎるのだ。怖くて眠れなかった。四角い箱の中で、「今まで採血された人たちは、どのような気持ちでその当日を迎えたのだろう」と思いを馳せた。ほんとうに怖い。血を抜くって悪魔の所業じゃないか。「新しいことに挑戦する喜びなんだこれはと思ってみよう」などと足掻いた。不安は未来のことを考えるからと最近思えているからか、本を集中して読んでいたら怖さはなくなってきた。採血は普通に痛かった。腕が細くて綺麗すぎて血管が見つかりにくいらしく、「痛いところに刺しちゃってごめんね」と看護師に謝られた。採血は全然二度とやりたくない。血管がわかりやすい毛深い太腕たちが妬ましい。駅に向かう途中に細長身スーツの金髪マッシュがいたので、絶対に真空ジェシカのガクだと思ったら、ガクじゃなかった。ガクも見られず悪魔に血を抜かれただけか。

・意外と人々は適当にわかったふりして働いているし、生きているんだなぁと思った。むしろそれは気楽に思えて良いなと思った。

・がじゅまるさんの「完全理解夫婦」を読み終わる。帰国して良かったことは、こうして好きな文章を書く人たちのZINEを買って読めるということだ。読みながら、生きていくことの困難さを追体験していくと、ほんとにどうしたらいいんだろうねと途方に暮れる気持ちにもなった。ただ、それでも生活が目の前にあることの救いを改めて確認できた気がする。文体の良さとは別に、文章自体がすごく整っていたので、編集者がいるのかと思ったが、自身で推敲したらしく驚いた。自分のZINE制作の気力(ZINEゲージ)が高まった。

03.07(金)

・家探しは大変だけど、ヨーロッパと比べたら、とんでもなくイージーだよな。こういうときだけ比較して、今の豊かさを再確認してみる。

・旗揚げすることだよなぁ。アドバイスをしないでいられる空間の設計は必要になってくる気がした。

・日向坂46のYouTubeに上がっていた、数日前のライブ配信のアーカイブを見る。ひたすら餃子を食べて、わちゃわちゃと喋っていた。日向坂に触れると、ほんとに元気が出るのだけど、それはどうしてなんだろうか。うるさくない明るさというか、見ていて素直に楽しくなることって意外とない気がして、だからこそ、元気をもらえるのかもしれない。

・1日が過ぎるのが早い。あっと間に時間が過ぎるので、焦ることが増えた。

03.08(土)

・ラランドの制作チームの一員である夢を見た。なぜかスペインのスーパーが舞台であった。YouTubeを見過ぎているからなのか。

・やるか、やらないかで分ける世界は、アホみたいなクソな世界だと思う。とはいえ、目の前に転がってきたものに手出ししないように見える人がいると、もどかしく感じるのは確かだ。ただ、その辺りは設計でなんとかできるんじゃないか。狭間に滞留するものをおもしろがって、待つことのできる世界で生きていたい。

・シャンタンを入れた炒飯が美味しい。昔、好きだった炒飯用の粉と同じ味がする。どこのスーパーにもあったのに、いつの間にかなくなっていたあの粉。たっぷり作れて幸せだった。

・「R-1グランプリ2025」の決勝を見る。数年前にたまたまライブで見かけた、友田オレはダントツにおもしろかったので、YouTubeのネタを見たりしていた。でも、最終決戦の3組のネタはどれもウケておらず、1本目のネタの出来での審査だったんじゃないかと思った。

03.09(日)

・FCバルセロナの試合を見るために、午前5時に穏やかなアラームで起きる。シュタッと布団を抜け出して、ヒーターを付ける。サイトを開くと、「試合は延期されました」と画面に表示される。詳細を調べると、バルサのチームドクターが試合直前に急死したらしく、試合が取り消しになったようだった。もう10年以上ラ・リーガを見てきたが、パンデミック以外で試合の延期なんて初めてだ。そんなことあるんだ。

・前回のM-1でのネタが好きだったので、「スタミナパンのラジオとかあったら聞いてみたいな〜」と思い立って探してみた。すると、Spotifyで聞ける『芸人お試しラジオ「デドコロ」』の週替わりパーソナリティをやっていた。地上波のラジオに出ている芸人って、基本的に芸人の収入だけで食えている人たちばかりで、過去の貧乏エピソードを聞くことはあるけど、現役で「金ないよ」という話を聞けるのは新鮮だったし、応援したくなった。個人事業主として、芸人は他人事とは思えない。商売して生きていくのって大変よね。2人のやり取りは安心して聞ける感じで、ずっと聞いてしまった。地上波でレギュラーやってほしいなぁ。好きなラジオが増えるのは豊かだ。

・ZINEの制作を進めた。なぜ夜中に始めてしまうのか。ようやく流れの全貌が掴みかけてきた。とはいえ、サイズの変更をする可能性があるから、またやり直すかもしれない。物を扱うことには、時間が掛かるものだ。時間との付き合い方の訓練になっている気がする。同時に、早く完成させたいという想いは持っておく。