02.03(月)
・たとえレタスを手で千切るだけでも、生活は始まるのだ。
・せっかくの日本で色々と物資を補給したい気持ちはあるが、今必要なものだけ買う、数日分以上の買いだめはしない、あるものを使い切ってから買うなど、余計な買い物を避けようと思った。あった方が助かるけどこっちにはないからと、しばらくはブリコラージュして生きてきたわけで、案外何かがなくても何とかなると学んできたのだから。
・鍋ではなく炊飯器で白米を炊いて、こたつに入り、追い焚きの風呂に入る生活が、日常にあるのはすごいことだ。
02.04(火)
・薄暗さの中で過ごす、穏やかさを知っている。
・気合いと根性はサッカーの中だけで良いし、さらに言えば、サッカー漫画(アオアシとGIANT KILLING)の中だけで良い。
・やはり幸せとは、今を見つめる行為であることに限るのだろう。未来の想像と過去の捉え直しをしていては、幸せは成立しない。つまり、幸せとは極めて幻想的な感覚ではあるが、だからといって意味がないわけではなく、そういう行為を時たまして、生きることの本筋である、未来と過去の狭間に入っていくことが、生活に纏わる一連のプロセスなんだろうと思った。
・穏やかに構えることをしていたいと思う。
02.05(水)
・当然のように納豆を毎日食べている。当然のように売り場に並んでいる納豆をまとめ買いしたからだ。納豆が入っているパックは、納豆でしか見ない。たまにカップに入った納豆も見るが、このパックに入った納豆でなければ、納豆を食べている気分にならないだろう。だとすると、自分は納豆を食べているのか、納豆の雰囲気を食べているのか。
・こたつに入りながらクリスマスソングを聞くのが良い感じ。
・応援というものについて考える。
・不安はある。でも生きる燈を燃やすのだ。
02.06(木)
・個人の歴史を知ろうとすることで、どのような積み重ねを経て、目の前に言葉がやってきたのかに直面する良さがある。とはいえ、そうした背景を知らないと対話できないわけでもない。なぜなら、むしろ知らなくとも、深く応答していく姿勢次第で、話し合えるものではないのか。それを今までやってきた気がする。
・ずっと行きたかった「NAOT」の店舗に行って、ついに「DIRECTOR(Black Madras)」を贈ってもらった。ほんとに歩くのが楽しくなって、寄る予定の場所をすっ飛ばして、ぶらぶらとそのまま歩き始めてしまった。革靴なんて歩きにくくて、スーツみたいで嫌だとずっと思ってきたのだけど、NAOTの革靴は歩きやすさがすごいと聞いて、半信半疑で横目で眺めていたのだが、めきめきと影響されて、手に入れるまでになってしまった。革靴を毛嫌いしていた自分が変容して、その変化を楽しめていること自体がとっても豊かに思えた。これからたくさん歩いていくぞ。
・往復の電車で「ホームレスでいること 見えるものと見えないもののあいだ(いちむらみさこ)」を読み終わる。読めて良かった。存在すること自体を他者から追い立てられることの辛さは、よく考えるとすごく身近にある話だと思うのだけど、多くの人は見過ごしている気がする。移動生活をしていると、なぜか「旅している人」と多くは肯定的な意味合いで、「自分とは違う人」と一方的にカテゴライズされるのだけど、いつもどうして切り分けようとするのか不思議に思っている。
02.07(金)
・創作においてたまに言われたりする通説、本人が幸せな状況にあると作るものがつまらなくなるという話。幸せになると、つまらないものが出力されるのではなくて、幸せだからこそ、起こった出来事に対して、今までのような洞察をする必要がなくなったりするからこそ、結果的に周囲から見るとつまらなく思えるのではないか。その中でも静かに洞察することを念入りに行えば、つまらなくなることはないんだと思ったけどなぁ。
・台所の電子レンジへと差し込んでくる光と陰翳を自分は撮っていたいと思う。
・ほんとに距離感を考えるよな。付かず離れず。迎合せずに、でも変化を受け入れるみたいな。
02.08(土)
・初対面に会う機会が増えていくと、肩書きや自分を説明する言葉が、簡潔ではなく複雑性を持っていることに悩ましくなる。だが、複雑なものは複雑なままにしておきたい。なるべく何してるかよくわからない人でありたいとも思う。
・「星の王子さま(サン=テグジュペリ)」を読み返してみる。絆を結ぶのは責任を持つことかもしれないとも思う。責任という言葉は、長らく嫌いであったが、形を変えて捉えてみることで、受け取れるようになってきた。
・苦悩という捉え方。安心したい自分と、それを支えて問いを投げる自分がいる。
02.09(日)
・数年振りの再会で、いきなり楽天モバイルの話をされるのが、可笑しくて楽しい。持参したメープルウォーター(メープルシロップの元になる液体)を、「ヨーグルトの上に出てくる水分みたい」と言われた。あれは「乳清」と言うらしいよ。
・今の自分は「家を探している」と思っているけど、「自分が本当に探しているものはなんだろう」と思った。
・安心したいと思うが、安心というものは状態であるのだろうか。だが、決して安心が幻想であっても、そう思う自分も抱えていたいと思う。同時に、安心に対する感度を探ろうと問い掛ける自分も確かにいると思う。
・たくさんのコンパッションをもらった気がする。なんだか持ち直した。楽しい出来事があり、コンパッションをもらい、クールダウンをして、文章を書き、不機嫌にならず、素晴らしいのではないか。