01.20(月)
・フィルムが好きになり、アートが好きになり、古着が好きになり、そういう好きなものが増えていくと、街に行きたくなる場所が増えていくのは、シンプルに豊かなことだと思った。
・そろそろ、ハンナ・アーレントの本を念入りに読みたくなってきた。自由について考える。自由は状態ではなく、感度だとすると腑に落ちるようなこともあった。
・いつも通る道にウェディングドレスのお店があるのだが、店頭にドクター・ストレンジのパネルがあって、通る度に目が合う。ドレスの後ろの部分とドクター・ストレンジのマント部分に共通点を見出しているのだろうか。
01.21(火)
・追記、ドクター・ストレンジに、<<75%OFF>>という吹き出しが付けられていた。
・体験したことの「楽しさ」を自ら探究していくことが、「遊び」なのではないかと思った。
・誰かの機嫌に引っ張られたとしても、見方を固定していると考えてみること、そして何よりも書くことで浄化されるものはある。それができるだけでも豊かなことだろうな。
01.22(水)
・今日のバイクタクシーの記録。乗り降りの際に、「気をつけてね」と初めて言われた。彼はジェントマンだった。運転はベトナム流で素早かった。女性ドライバーが初めて来た。もう何十回も乗っていて初めてで、街でも見かけないから、極めて男性率の高い職業なのだと思った。日光でスマホがオーバーヒートしないようにカバーを付ける人が多いのだが、傘やヘルメットの形をしたもの、帽子を上手に加工して紐で括り付けてカバーにしているもの、どれもおもしろい。バイクタクシーは、移動手段として発見ばかりでおもしろくて好きだ。
・ご近所掲示板みたいなスペースが、ベトナムの路上にもある。
・決めたことがある。機嫌の悪さを露骨に出す人と、テキストコミュニケーションに一定の親切さがない人とは、今後関わらないことにする。そうしてしまう人の人間性も加味して色々考えたけれど、今まで生きてきて、こういう人と関わっても良いことがなかった。そもそも、多くの人はこれらに当てはまらないわけで、自分のラインとしてこれらを超えてくる人は、よっぽど合わない人だ。だからこそ、これだけは決めた。
01.23(木)
・自由とは状態ではなく、感度だと捉えてみると腑に落ちるところがあった。これはほんとに考えてみたい。今までは自由に対して、どうせそんな状態は人間としてありえないから意味のない言葉ぐらいに思っていたけど、何をどう感じるのかという角度は、まさに自由を表しているように、直感的に思えた。直近の関心は「自由」だな。
・美術館がアオザイを着て自撮りをする謎スポットになっていた。若者が伝統衣装を着て、楽しげに美術館内で写真を撮っている。堅苦しい美術館のあり方は好きではないから、共感は全くできないものの「楽しそうでいいね〜」と思っていた。だが、どう見ても映えない廊下の椅子や薄暗い展示スペースで写真をどうにか撮ろうと工夫していて、彼らにとっての良い写真とは何なのだろうと思った。
・ホーチミンのアートカルチャーは、表層を漂っただけではあまり楽しむ余地がなかったなぁ。そもそも展示スペースが少なかった。タイのバンコクもそうであった。めっちゃ雑な肌感としては、ヨーロッパのアートはやっぱりすごかったし、文化として充実している。日本はアジアだけれど、美術館自体の数も多いし、アートに触れる機会が多いのは、改めて素晴らしいなと思った。ヨーロッパの美術館では、人々は作品をじっくり観ていた。タイやベトナムの美術館では、作品と自撮りしたり、友人やSNSにシェアするための場所である気がした。良し悪しではなく、これらの違いはどうして生まれるのだろうかと気になった。
01.24(金)
・小さく始めることの大事さを再認識した。
・忙しさで抱えている不安をかき消すことは、自己的な治療でもあるだろうが、果たしてそれでいいのだろうかと思う。「酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話(横道誠、松本俊彦)」を読みながら考えてみる。
・ホーチミンFCというサッカーチームの試合があったので、観に行ってみる。何人か誘ってみたが、「ベトナムサッカーは興味ない」と言われてしまい、1人で行った。バイクタクシーで到着した側から、ダフ屋のじいさんがすごい形相で迫ってきた。じいさんは食べかけの餃子のような食べ物が入ったプラスチックの容器を持っていて、じいさん本体よりその白いプラスチック容器からなぜか目が離せなくなり、プラスチック容器が本体ないんじゃないかと思えてきた。チケットカウンターが目の前にあるのに、少し安い価格で売ってくるのはどういうシステムなんだろう。そのプラスチック容器があまりにも付き纏ってくるが、払いのけてカウンターに進んで、正規のチケットを買った。ガリガリのプラスチック容器だったが、あの勢いだと怖くて買ってしまう人もいるだろうな。あれを買っていたら果たして中に入れていたのか。どこから利益を得ているのだろう。試合は勝ったけど、ビールを飲みながら友人と適当に見るものだと思った。バルサの試合が見たい。
01.25(土)
・ついにベトナムでは、テト(旧正月)の期間に入った。どこもかしこも閉まると聞いていたから、街中はどうなっているんだと思ったが、まだいくつかお店も空いているし、バイクタクシーも捕まるし、日本の年末年始でいうと、帰省ラッシュが始まった日ぐらいの感じかもしれない。
・調べ物が多いとそわそわする。前提知識がないことで損することは多いのに、調べすぎると動けなくなる。適度に決めたい。
01.26(日)
・テト(旧正月)期間で、街がどうなるか読めなくて、ずっとそわそわしている。とりあえず、最寄りの大型スーパーは本番の1月29日以外は空いているらしいので、食料はなんとかなるだろう。よく考えたら2年連続異国で年末年始を乗り越えているわけなのだけど、旧正月は馴染みがなさすぎる文化なので、結構不安の方が大きい。
・ここには物が溢れている。みんなどうやって生活しているのだろう。安く仕入れて、高く売っているサイクルなのだろうか。
・来週には日本にいるのか。実感がない。馴染めるのかなぁと思ってしまうが、きっとすぐに適応するのだろうし、今までのように思ったことを淡々と書いておこうと思った。