01.06(月)
・早朝に響く教会の鐘の爆音は、こちらからなくせるものではないし、付き合っていくものだよなぁと思う。それは不安というものと付き合っていく過程と似ている。他の宿泊者に鐘の話をすると、「鐘の音やばいよね、自分も起きるよ」と言っていて、流石に誰でもそうだよなぁと思う。少し前だったら最悪だと思っていただろうけど、付き合い方だと思うと、諦めてからの気持ちが芽生えてきて、まあ大丈夫そうだと思えた。
・手続きが多いと感じる怠さ。だが、生活にはそういった手続きは付き物かもしれない。全くなくしていけたらいいが、どうやっても何かしらの面倒ごとは降ってくるわけだ。そこも付き合い方になってくるよなぁ。
・忙しさで必死になると、頭がグッと固まるような疲れがある。ほんとに疲れ切ってしまった。改めて、休み方って意外とわからないものだなぁと思う。
・違う人格になりたい人と、自分でしかあれない人。演技。漫才とコント。違う自分になるのが受け入れ難い。
01.07(火)
・ほんとに自分の状態次第で、受け取れていたものも受け取れなくなったりする。相手の内容ではなく、こちらの状態に左右されると思う。
・絶望を分かち合うことが希望であるとは言うが、だからこそ、書くことの尊さがある。書くまでに対話をすることはできるが、書いているときは1人でしか書けないのだから。
・傷付けようとして言ってくる人の言葉は、ほんとに聞く価値ないと思う。だけど、そうじゃなくて本人なりの違和感を伝えてくるならば、聞いても良いと思う。その判断ぐらいはできるさ。
・文章の領域において、ある一定の納得感を持てるまで、頑なに譲れない自分がいて、その力強さに自身で驚いてしまった。同時に頼もしく思えたというか、それだけ揺るぎないものとして文章があるのだと思った。自分の文章というよりは、「文章」自体を信じているんだろう。たくさんの文章に救われてきたし、自身が書くことでもそうだ。これだけ力が出るんだと思うと、なんだか勇気をもらえた感じだ。
01.08(水)
・宿に戻ると、ハウスキーパーのスタッフが、笑顔で腕をがっちり掴んできて引き止めてくる。見せてきた翻訳アプリには「ここに立っていてください」と表示されたが、俺はクレジットカード会社のカスタマーセンターが閉まる前に電話を掛ける必要があるのだ。「急いでるからごめん」と振り切って行く。フロントに制服を着た警官のような人たちがいて、何かがあったらしく、だから外にいなさいってことだったのだろうか。電話を終えて、何があったのかスタッフに聞くと、「消防点検だよ」と言われた。ただの点検だったのか。家宅捜索みたいなのが始まったのかと思ってた。入り口で止める必要性よ。話したかっただけなのかもしれない。友好的にしてくれるのは嬉しいけど。
・仕事って、お互いの状況を伝えて、今できることをやろうよって感じだと良いよね。
・「スーペルコパ(デ・エスパーニャ)」というカップ戦なのに、サウジアラビアで試合が開催される違和感。わざわざ異国でやるのは、オイルマネーで出資してもらえるからであって、お金のために魂を売ったとも言えるが、それだけスペインサッカーも生き残るためにできることをしたってことなんだろう。そう思うと尊いかもしれない。先週は「Life has seasons」という言葉を聞いたが、今のバルサもそうだ。今季あれだけスタートダッシュが凄まじくて、「もう優勝だな」と余裕で構えていたら、急ブレーキがあって今は3位になっている。だが、今日はカップ戦ではあるが、ビルバオ相手にガビとヤマルが決めて勝ったわけだし、そのうち春は来ると思っている。
01.09(木)
・他者ができる範囲って、実はとても少ないと思うのだけど、他者にしかできないことは確かにあるのかもね。
・遊びやユーモアって大事だよなぁ。遊びを忘れて、休み方がわからなくなっている。
・自分は安定をすごく求めている。外側だけ見るとそう見えないかもだが、安定したくて右往左往している状態であるからこそ、色々やったりするわけだ。本来は保守的で怖がりなのだ。だからこそ、その安定の外に出て、ヒヤヒヤするというのはたまにやりたいし、それこそ遊びなのではないか。
・通説を書くことのつまらなさ。通例の何が嫌なのかというと、サボっているところだという話を聞いて納得した。たとえ、着地点は一緒であれど、奥底にある感情は多彩であり、それを包んで通説にして留まることはサボりであるよな。それが休むってことだったりするのだろうか。
01.10(金)
・英語圏における、俳句と短歌の話を聞く。ルールや捉え方の違いがおもしろかった。五・七・五のルールって何て説明したら良いのかと思ったが、「音節(syllable)」と言うようだ。日本語はシンプルだが、英語は単語によって音節は変わる。たとえば、「flower」は「flo・wer」で2語とするが、「spring」は1語となる。その判断が全然できなくて、発音の勉強は全然やってないなぁと実感する。俳句は日本と同様に季語を入れないといけないが、わりと自由に解釈して良くて、決まった季語はないらしい。俳句は一旦やめてしまったのだけど、俳句や短歌関連の積読している本がたくさんあるので、少しずつ読んで再開するタイミングが来るのを待ちたい。
・排気ガスの影響なのか、昼なのに夕方のようなオレンジ色の光が差してきている。
・タイやベトナムで、日本の中高生のジャージが出回りすぎてやしないか。ホーチミンの古着屋に緒方と中嶋のジャージが置いてあったぞ。カッコよく言うと、緒方と中嶋のトラックスーツな。
・問題解決をするのが趣味な人の心強さ。批判や改善点を挙げることを楽しむ姿勢を学んだ。おもしろいと思うから、楽しくなる。そうか、改善するのって楽しいのか。そうなると、仕事って本来は楽しいのかもしれない。
01.11(土)
・ざっくり見た感じだが、ベトナムのバイク乗りは両手でハンドルを握りながら、左手の親指はクラクションのボタンに常に指を乗せていて、いつでもクラクションを鳴らせるようにしている人が多かった。ここではクラクションが、自分の存在を周囲に知らせるための生存装置になっているのだ。
・今抱えているものを洗い出して、優先順位をchatGPTと相談して決めなければ、流石にキャパオーバーになってしまいそうだ。これから始める新しい企画は楽しみなのだが、それだけでは飯は食えなくて、生きるのって悩ましいのねって思う。人が楽しさを感じると、政府から自動で口座に金額が振り込まれるようになってほしい。さあ、社会主義の超監視社会の始まりだ。
・誰かがやっていることに対して、そんなことする意味がわからないとか、俺はできないなと思ったりするとする。だが、そういう状況になって初めて、そうならざるを得なかったということがある。それを学んだ。今さらに思えるが学んだ。ほんとに特大反省案件だ。
01.12(日)
・ベトナムには地下鉄がなかったのだが、ホーチミンに初めてできたのが先月であるらしく、試しに乗ってみようと駅へ行くと、改札までとんでもない列ができていて激混みだった。アプリを入れたら無料で改札を通れた。「地下鉄に乗る」というのが人生で初めてという人も多いんだろうな。通路や券売機の前で自撮りをしている人も多かった。そうなると、もうアクティビティだ。ようやく車内に乗り込むと、座りながら吊り革に掴まる人やポジション取りにおろおろする人など、見慣れない光景を目撃した。大都会の静岡生まれとして、地下鉄とか慣れてますよって顔をしておいた。
・ここではほんとにみんなバイクを持っていて、バイク移動をしているんだなぁ。
・自分は誰かに向けて書くことが難しい。仕事に関しても正直そうかもしれない。目の前の誰かを通して、自身が考えて発見することをしている。いつだって、自分で自分に聞くように書いているし、生きている。誰かのためと思える生き方は、わりと諦めている。だが、目の前の誰かを通して念入りに自身で考えることは、その見方や生き方をすることで、誰かが困っているときに助けられる可能性があると、なんとか信じてみようとは思っているところだ。
・スーペルコパの決勝でクラシコ。早速バルサに春が来た。早かった。ハイライン戦法が通じなくても、退場者が出ても、守備が強固であったのは今後の希望になる。大敗して悔しそうなレアル陣に対して、嘲る気持ちよりも、「この人たちもこんなに大敗すると悔しいものなんだな」と思えるぐらいには大人になった。ここ数年のバルサの出来を見てきて、実際にスペインで俺がバルサファンだと知ると、ジョークとして色々と言ってくるレアルファンがいたりしたけど、「そうだね、バルサは今は厳しい時期だよ」と素直に負けを認めてきた。だから、ほんとにバルサがおもしろい試合ができるような、本来の姿に戻ってきたのがとても嬉しい。この調子でリーグ戦も頼む。