2024.12.30-12.31|雑記帳

12.30(月)

・4時台に大鐘を鳴らす隣の教会。いやぁ、世界って容赦ないなぁ。流れに身を任せてみようとするも、世界はデカすぎた。宗教家は早起きしすぎだよ、寝なさい。

・宿に電子レンジとフライパンはないが鍋はあるので、昨日Grabで頼んだ焼きそばを鍋に入れて、朝食用に焼き温める。焼き温めるという表現になる。麺がたくさん底にこびりついたが、こうしてあるものでつぎはぎして生きている。まさにブリコラージュ的に生きている実感を持った。

・現状、やることや決めることは多すぎるのだが、年末年始はそこをグッと抱えたまま、振り返りに時間を使おうと思う。余裕がないと後回しにしてしまうことで、これだけというものがあったりするから。

12.31(火)

・ここ数年で、書くことを「好きでおもしろい」と思ってきた。だが、どうやらその裏にある、「大変でめんどくさい」という気持ちを無意識に封印していたような気がした。決して「好きだからそう思ってはいけない」などと思っていたわけではない。ただ、なんとなく書けなかったときに、「タイミングじゃなかった」と思ってきたのだが、それはどうやら違っていたようだと思ったのだ。思ったのは、「大変でめんどくさい」気持ちを抱えたままにしてみると、それが「好き」の根底を覆すわけではなく、むしろ「それはそうか」という納得感が残った。そして、特に何を書くか決めずに書き始めてみると、思ってもみなかったことを書き始めていて、自分は書きながら考えているのだろうと強く思う。同時に、書くことは救いであり、魔法のようでもあると思えたのだった。

・突っ伏したまま、鼻歌を歌い、すぐにため息をつく生物を見るのはおもしろい。

・全部これからなんだなぁと思う。「いいじゃないかそれで」と少し思えた。たとえば、何かを始めるとき、既に積み重ねがなされているように見える人を見たりすると、「うわぁそこまでスキップしてぇな」と思うことがある。これからを考えると、めんどくさいからだ。自身の出発点の何もなさに途方に暮れる。だが、振り返ると、確かに積み重ねたものは、そこにあったりするのだった。ある意味で絶望を簡単にしてしまうのは、その自身の歩みを見つめず、これからの道のりを想像して先に疲れてしまっている状態なんだろう。一旦は疲れても良いのだけど、出発点に立つことは0地点ではないのだと、年の瀬に学んだのかもしれない。重りとして胸に留まっていた塊が、一旦は溶け出していった気がしている。良いお年を!