12.23(月)
・とにかく今は心がギュッとなって焦っている。未知が怖い。それは仕方がない。怖いもんは怖いし、不安なもんは不安だ。その勢いだけ借りて、やっていきたい。
・父性について考える。相手の話に耳を傾けつつ、穏やかだが簡単に共感するわけではなく、自分の中にスッと芯を持っている。性別に関わらず、そういう態度を「父性」と呼ぶのではないか。自分の好きな人は、どこかこういう父性を持ち得ているような気がする。
・漫才はほんとにアートだな。色んな見方がある上で、どこにおもしろさを発見するかになってくる。
12.24(火)
・今後の不安ばかりだ。近年の自分に対して、何も積み上げてこなかったんじゃないかと思うときがある。何をしても手遅れなんてことはないのにね。ただ、積み上げてきたものはあるはずで、それは自身にとって当然であるから見過ごしているということがあるんだろう。もう仕方ないものは仕方ない。これから帰る家を作るのだ。
・駅のホームに立つと、隙間から見えるビルの中で、忙しくなく動く誰かの足元だけが見えている。おそらく、ビルの中はガラス張りのジムが入っており、ランニングマシーンで走る人の足元だけが、角度的に見えていたのだと、後から理解する。ガラス張りのジムでランニングマシーンを使う人たちを見ると、なぜかディストピアの世界にいるように思えるときがある。健康で綺麗な身体であらねばならない社会。啓蒙したいわけでもなく、ただ何となくそう思うのだ。
・学び続けないと損することが多いことに、社会に対する理不尽さを感じる。でも思った。自分にとって、学ぶことは楽しいことではなかったか。知らない仕組みを知っていく過程は、案外悪いものではなかった。確かに、立ち塞がってくるときには、自身の積み重ねの現在地がゼロ地点に思えて途方に暮れてしまうが、ただ続けていくだけで良かったりするものだ。
・創作や活動、さらに広げれば「はたらくこと」は、現状のある意味で「旧体制」を自身がいつのまにか盲信していることはあったりするんだろう。
12.25(水)
・問い続けるのは当然とするが、たとえば螺旋に入りすぎてぐるぐると苦しくなったときは、その状態でやれることをやってしまうのが良いんだろうな。仮で一度出しておくみたいな。問い続けるだけも、問いを捨ててしまうのも違うと思うから。
・スペインにいた当時は、「なんともなんねぇなぁ」という気持ちで歩いていた記憶が多かったりするのだが、それでもよく生きた思い出は確かだ。
・「やり抜く」みたいな言葉で、しっくりくる言葉を考えたい。「しっかり」「きちんと」「徹底的」のような言葉には息苦しさのようなものがあって、使いたくないと思っている。そうだ、「念入りに」という言葉が良さそうだ。そう言い換えよう。
・わりと久しぶりに通話した、英語話者の友人の日本語が上達していて驚いた。英語ではかなりフランクに話すものだから、日本語では穏やかというか、優しいような口調に思えて意外であった。まあ日本で働いている接客業だから、丁寧な物言いになるのだろうけど、話す言語によって変わる印象ってあるのだと思った。
12.26(木)
・誰かの物語に触れると、その重厚さに自身の重さとの釣り合いが取れなくなりそうに思えるときがある。一見、釣り合う必要はなさそうだが、天秤のように重さに対するバランスというものがあるのだと思っている。おそらく、自身の重さを体感していることが、受け取れるか、こぼしてしまうかの差を生むのだろう。その重さこそ、比較できるものではない。質量は人によって異なるもので、だからこそ、自身の重さを過信せず、でも過小だと思わず捉えることが、物語に触れる前提に置くものであるのだろう。
・皆さん、2025年より他者へのアドバイス行為は禁止されます。もう人間は他者からのアドバイスによって学ばないと、歴史で証明されています。現在の世界には、他者にアドバイスしたくてたまらない自己欺瞞の人が多すぎます。本質はそこには存在しません。誰かにアドバイスする前に、自身がなぜそう感じたのか深掘りをするところに着目してください。自身の発見を通すことが学びなのですから、アドバイスはいらないのです。これからは法でアドバイスは禁止されるようになるでしょう。そういう小説を書いてみたいと、ふと思い付いた。
・「INSIDE」というゲームを実況動画で知る。少し前に同じく実況動画でハマった、「リトルナイトメア」シリーズに似ている雰囲気がある。「LIMBO」というゲームの続編らしい。謎が多く言葉が少ないゲームは、アートのようにどこに発見を見出せるのか探ってしまうおもしろみがある。
12.27(金)
・何かをできないと感じるとき、できない自分の観察日記をつけるというアイデアは良さそうだ。きっとこうして雑記を書き続けることもそうだ。メタ認知というか、できないことの苦しさをむしろ観察し切ってしまうというのは、そもそも切り分けできるものではないという前提に立つのならば、むしろ出発点として進む方向感覚となるだろう。
・たくさんの古着、といってもセカンドハンド(中古)の衣類が大量に集められている市場を歩いていて、これだけ世の中に服が溢れていると、もう中古だけで全人類の服は賄えるんじゃないかと思った。同時に、投げ売りのように乱雑に並べられている服を見てもあまり見る気になれなかった。店主の文脈が感じられる古着屋(ヴィンテージショップ)で服を選びたいという、自身の気持ちに気が付いた。文脈を含めて服を受け取りたいと思っているのだろうか。でも、安く服を買える選択肢があるのは、服が権威的なものになってしまう歯止めになるようで、大事な循環であるようにも思う。
・適切な距離を保つための編集。どこに出すか、置くかの話だ。素晴らしいものを作ってしまった、これから作り出せるというのは前提にあるのだから、社会の穴を見つけて、それにハマるように編集することに対して真剣になってみようか。
12.28(土)
・12月のタイは確かに暑すぎない。日中は32度で夜は22度ぐらい。たくさん歩くと、流石に暑くて汗をかく感じだ。夜は肌寒くは全くないけど、暑すぎはしない感じか。
・今日のバイクタクシーのドライバーは、なんだか運転が不安定で、すり抜け中に道に置いてある工事用のコーンをかすめていった。コーンは後ろの車に飛んでいった。
・古着屋の階段を降りるときに、何かに滑って転び、思いっきり腰を打った。構ってくれると期待顔で待機していた、店で飼われているブルドッグが、一目散に逃げ出していった。打撲で済んで良かったが、腰が痛すぎる。怒りとか恥ずかしさとかは不思議とあまりなく、足をバタバタさせてびっくりしていたブルドッグのイメージだけが頭に残っている。
・更新された「マユリカのうなげろりん!!」を早速聞いていると、急に阪本さんの結婚発表があり、動揺した中谷さんが即大泣きしながら終始驚きまくっていて、その様子を声で聞くだけで、流石にこちらも笑い泣きしてしまった。ほんとにおもしろすぎる人間たちだよ。
・AIに頼る行為を「ガイドを頼む」と呼びたい。
12.29(日)
・ベトナムに着いた。ここのバイカーはヘルメットを被っている。タイとは違うんだな。ほんとにバイクが多い。空港から宿へ向かうGrabのドライバーは腰が低いのに、クラクションを30秒ごとに鳴らしていた。日常がここにはある。
・宿の入り口の門が閉じられていたので、警備員を探して、サンダルがある部屋に向かって声をかけると、そこが当直室だったらしく、シャワー中の警備員がひょこっと顔だけだして、「ちょっと待ってて」的な感じでニコッと合図してきた。
・近場に信号がなく、車とバイクが一切途切れずに道路を埋めるので、どう考えても道路を渡れない。フィリピンは歩行者優先で、横切ろうとすると止まってくれた。でもベトナムはそんな感じがしない。「ベトナム 道路 渡り方」で調べる。絶対に止まらず、走らず、常に彼らの動向を見てアイコンタクトをおくると渡れるらしい。勇気を出してやってみる。ほんとにみんな器用に避けてくれる。そろりそろりと移動して渡り切った。すごい達成感があった。コンフォートゾーンを抜けた体験であった。道路を渡るのも命懸けな世界線。
・クレカを紛失して、不正利用されてしまった。今までこういうミスしなかったのになぁ。そしてエアコンから水漏れがあり、部屋を移動するもWiFiが使えない。こんなにも色々と重なるものか。なんだか、ほんとに日本への帰るタイミングが来たんだろうなと思った。色々やることがある。たいへん!