2024.12.09-12.15|雑記帳

12.09(月)

・文章を書く時間を取るために、7時起きをしてみる。起き上がるまでしんどいが、起きてしまえば、いつもとあまり変わらない。睡眠時間は少ないはずなのに。朝の光の柔らかさは素晴らしい。

・ここに備え付けの箸はあるのだが、箸の必要性がわからんくなってきた。フォークかスプーンでよくねぇか。

・自分も知らずに背負っている「責任」とかあったりするんだろうか。

・コンビニのレジに並んでいると、後から来たおじいちゃんが、ドンっとビールをカウンターに置いた。「うわぁ横入りか〜まぁこういうとき指摘しても、結局こっちも気分悪くなるし、まぁいいか」と受け流そうとした。レジが空き、一応アイコンタクトをしてみると、にっこりと微笑んで「どうぞ」と言ってくれた。「何がなんでも先に!!」という人じゃなかったのか。おじいちゃんに心を翻弄されたよ。先に並んでいたけれど、すごく素敵なかわいい笑顔だったから、良いことあった気分だ。

・今の芸人って楽しそうだなぁ。

12.10(火)

・タイに到着したばかりだが、タイは楽しいな。バンコクは大体何でもあるし、物価も上がったとはいえまだ日本よりは安いし、カオスでもありながら便利さがある。不便でも気楽に過ごせるのは、結構すごいバランスだ。

・タイの人は、日本で暮らす人のように、別れ際やお礼などで頭を上下させる仕草をするみたいだ。おもしろい。

・文章の領域における肩書きは、改めて「オーサー」にした。英語ではそのまま「オーサー(Author)」で、「作家」や「書く人」という意味合いで伝わるので良かったのだが、日本語にしっくりくるものがなかった。だが、まだ日本語では伝わりにくいかもしれないが、説明はできるし、「オーサー」がやっぱり良いなと思った。なんか気持ちも上がってきた。

12.11(水)

・日本は相互監視の目が強すぎるって、ほんとにそうだよな。どうしたらいいんだろうね。

・自分は写真をやっているから、インスタのアカウントを持つことは自然なことであったけど、普段から写真を撮ったりしない人は、アカウントを持つ理由がなかったりするのか。気付かなかったな。

・改めて自己紹介するという場面があった。素直に自己紹介してみるのも良いものだな。今こう思っているという自身の中での発見があった。素直にできる場合に限られるから、基本的には自己紹介とかしたくないけどね。

12.12(木)

・ベッドに寝転がって、猫のようにただ床を見ながらボーッとポッドキャストを聴いてみると、なんかリラックスできた。

・韓国風のチキンが美味しい。このサクサク感がすごく好きなんだけど、何がそうさせているのか全くわからない。なんか日本の唐揚げやフライドチキンと衣が違うんだよな。

・あえて文字にすると、「信頼される人」は必ず返礼というか、こちらから何かを受け取ったときに返してくる。「信頼されない人」というのは、それが成されていないということだろう。でも、疑問だ。仕組みとしては感覚としてわかるのだが、そうやって利他的に振る舞うのは、間違いのない「ライフハック」なのだけど、そうしないと信頼が成されにくいのは、何でなんだろうか。人間が生きていて、自然と信頼関係が結ばれることは稀なのだろうか。つまり、自分にとって全く苦痛でもない自然な振る舞いが、結果的にそういう渡すことに繋がったりする方が良いと思ってしまうんだけどな。

12.13(金)

・言葉を忘れることなどできるのだろうか。

・バンコクにドンキがあり、日本のスーパーのように日本の商品や惣菜が売りに売っていた。ここはもう日本だ。このまま、日本の便利さの有り難みが薄れていくのが少し怖い。ジョージアで1年越しに食べた日本食の感動は、既に過ぎ去ってしまった。買ってみた牛丼と緑茶は、記憶通りの美味しさを保っていた。

・他者の言動に意見を述べたくなるとき、そこには評価や自身との比較の気持ちが残っている。むしろ、それらをしなければしないほど、他者は全く別の存在として、「この人はこういうことを考えているのか」「なるほど、そう思うのはおもろい」と、おもしろがれるのではないだろうか。たとえば、ファッションでは多くの人の服装を、ゆったりと「あぁいいじゃん」と思える。確かに「自分はそういう服装はしないなぁ」「自分が着たとしても合わないだろうなぁ」と思うこともある。だけど、ファッションは服と身体性の掛け算であるという下地があり、身体性という部分が入ることで、他者の服装と自分を別の存在として捉えて見られる。では、人の言動も同じではないか。その内容はセンスでもあるだろうが、そこにはその人の身体性が宿る。「その考えはなくない?」となるのではなく、あくまでそれはその人の身体性という器に乗っかった言葉であるわけで、つまりは自身と別の存在であるってことだ。好き嫌いはもちろんあるけれど、それに左右されるものではなさそうだ。

12.14(土)

・今日のオンライン英会話で、講師が「いつから学習を始めたのか」「普段どのように学んでいるのか」「現状の課題はあるか」とゆるりと確認してからレッスンに入ってくれたのだけど、すごく満足感があった。何かを教えるとき、最初にすり合わせをすることって大事なんだろうな。

・英語のスピーキングは、なんというか、日本語の対話力でなんとか養えている気がする。思ったけど、現状の自分に必要なのは、リスニングなのかもしれない。話すことはどうにかするとしても、相手の話の筋が掴めていないと、その手前で話が成立しなかったりする。穴埋めのように推測する状態は多いからなぁ。

・今日はほんとに疲れてしまった。心底疲れた。絶望やしんどさではなく、ただあまり起き上がる気になれなかった。自身の状態を言葉で括らず、複雑なものを複雑なままにしておいてみた。

12.15(日)

・ベランダで鳥が巣を作ってた。卵が落下していたのだけど、巣はどうみても作りかけなのに、どうしてそこで産んでしまったのだろうか。植物の枝や金網のような紐状の金属などが散らばっている。ちょうど、「家の哲学(エマヌエーレ・コッチャ)」を読んでいたので、動物はこうして家を作るんだなぁと感心した。

・古着の市場を散策した。服の似合う似合わないという見方において、特定の服が悪いのではなく、身体との相性や他の服との組み合わせとかで、合わないときがあるだけという考えがしっくりきている。

・思ったことをカプセルに入れて、それを相手に渡すだけで全て伝わればいいのにねとか思い付く。