11.25(月)
・忙しいとき、苦しいとき、同時並行で問い続けることは、ほんとに大変だったりする。とにかく今をこなすことに迫られるから。だからこそ、そういう問いを自身で潰してしまわないようにしたい。
・大変であっても、その合間に一息つき、考えることはできる。書くことだってできる。それはどれだけ救いになるだろうか。
・誰かのために書いてはいないが、きっと誰か読んでくれるはずという祈りは持っているんだと思った。
11.26(火)
・英語のCEFRのレベルは、B1とB2の間ぐらいだろうな。講師からの評価も自己評価もそんな感じだ。準上級に差し掛かっている中級。穴埋めで喋っている感じだもんな。もどかしさを感じるが、上々でもある気がする。
・Tbilisiの古着屋はほとんど全て回ったんじゃないかというぐらいだが、良いと思って買えたものは2つだけだった。探すのに疲れていたのだけど、たまたま知ったポッドキャスト「夫婦で古着のラジオ」で、2人が穏やかに楽しそうに古着の話をしているのを聞くと、アウターは何か買いたかったし、最後にもう一度行ってみるかと思えた。そして、何度目かの古着屋に行ってみると、めっちゃ良い服に出会えた。古着なのにサイズがぴったりすぎる長袖シャツ。それに合う青いジャケット。古着は探すことも含めて古着だろうし(なぜならデザインはともかく着られるサイズに出会う確率は高くはない)、少し楽しいと思えたのは良かった。
11.27(水)
・ほんとにどこを見るかだ。現状の大変さはあるが、話せる人がいて、色々と活動があって、どうしたって書けるのは、どれだけ豊かなことだろうか。
・あるものについてもそうだが、ないものが何かについて語ることは、すごくおもしろい観点かもしれない。
・寒い。寒すぎる。10月から寒かったけど、まださらに寒くなるとはね。
・ジョージアでは交通機関で電話している人は少ないよな。スペインはとにかく多かった。
・完璧な幸せなどないんだなぁ。
11.28(木)
・暖房が効いている冬の家にいると最初はすごく嬉しいのに、段々当たり前になってくる。暖房器具の不調に苛立つこともある。では、使わない時間を増やしてみるのが良いのだろうか。快適さを手放すことが怖いのに、慣れると飽きる。
・Googleカレンダーがようやくダークモードに対応した。サービスごとに時差があるのはなぜなんだろう。
・おもしろかったM-1の動画を送る。画面を見てニヤける顔を見て、気分が良くなる。
・教科書的なものを見て、みんなで文句を言っていく遊びは結構おもしろいかもしれない。
・「”ファッションしている人”が嫌」という話を聞いて、なんかわかると思った。街に溶け込めるぐらいの「秩序」がある。その中でどう「逸脱」するのかが、良いバランスだと思う。だから、”ファッションしている”というのは、ある程度の「秩序」がなされていないんだろうね。
11.29(金)
・自分は「迷惑をかける」という感覚が、実はあまりよくわからないかもしれない。
・害はなさそうだが、かなり大きめの野良犬を見かける。別の白い野良犬がその犬を見かけると、さっと遠ざかり、三度見するぐらい怯えながら逃げていった。犬もあんなに振り返って怖いって顔するんだな。
・ジョージアの野良犬は、完全に野生化したわけでもなく、人混みの中に馴染んで生きていく力を持っている。
・隣がパーティーなのか深夜まで盛り上がっているのは、うるさくて嫌だが、耐えられないほどではないと思えたのが、少し嬉しい。掛け声みたいなのしてたけど、なんかの集会なのか。人は集い、語らうんだなぁ。
11.30(土)
・終わりよければ全てよしって気持ちだ。
・たまたま知った、日本人オーナーの日本食レストランに行く。行って良かった。日本食ってほんとに美味しいよな。肉じゃがと味噌汁、コロッケを頼む。味噌と出汁って素晴らしいね。ほとんど日本の食材と調味料らしい。お米も日本産。まともな日本食は1年以上食べていなかったから、ほんとに泣きそうになるぐらい美味しかった。
・ジョージアの人は頑固なところがあり、仕事を教えても自分なりにやろうとするらしい。質の高い仕事をしていくと考えると、それはダメなことになるんだろうが、それによって仕事がしんどく厳しいものになるのは、果たして良いことなのか。はたらきやすさと質を考える。日本は質重視というか、当然という傾向がある気がする。それによって、あれだけ便利で素晴らしいものがたくさんあるのだけど、幸せはそこにあるのだろうか。日本食や日本のサービスは、たくさんの犠牲の上に成り立っているんじゃないかと思う。
・個人事業主としてやってきたが、このままやっていけたらいいなと改めて思う。はたらくことは生きることであると、最近は色々と思う。
12.01(日)
・今のように、たとえ1年ちょっとであっても、「海外に住む」という実感があった。一生住んでもその場所の全てを知られるわけではないのだし、住むという感覚に年数は関係ないと思っていた。だけど、改めて「俺はほんとにどの場所のことも何も知らないんだなぁ」と夜の街を眺めていて実感した。スペインのことも特にそうだ。何も知らずに出てきてしまったんだなぁと腑に落ちた。だが、それが妙に心地よかった。知らないことを知るというのは、豊かなことなのかもしれない。
・ジョージアの出国審査も、タイの入国審査も、何一つ質問されずに、言葉を交わさずに通過できた。
・待ち時間にブルーピリオドの最新刊を読む。自分が納得できる地獄を選ぶことか。ブルーピリオドはいつも良い言葉をもらうなぁ。
・インド経由の便で、たくさんのインド系の人たちと一緒になる。ほんとに騒がしかった。インドの騒がしさ。それは亀が他の亀に踏まれたりしても気にするそぶりがないように、もはや人を物体として認識するようになること。だからインドにハマる人が多いのだろうか。全てがどうでもよくなるというか。いちいち反応してたら身が持たないからこそという境地になることが、反転して心地よくなるのかもね。おもしろい。マジで騒がしかったけど。機内で立ち話したり、後ろを向きっぱなしで盛り上がったりしてた。ハードな移動であった。
・インドの空港のトイレで、指で歯を磨いてる人いて笑った。歯磨きとは清潔さを気に掛けることであるのに、歯ブラシがないから手を使うという不潔になるという矛盾のおかしさ。そんなことあるか。個人なのか文化なのか。ああ、人間は幅広いのねと痛感した。
・タイへやってきて、ついにヨーロッパを出てアジアに来たという感じだ。見た目で自分という存在が目立たない環境というのをすぐに実感した。Googleマップ上で、現在地と日本の距離を見て、うわぁ近くなったなぁと思う。ついにアジアへ来たのだ。