2024.11.18-11.24|雑記帳

11.18(月)

・「都会」と「田舎」という分け方ではなく、「街」という単位で場所を見たくなってきた。たとえば、東京という「都会」が好きなのではなくて、東京という「街」が好きなのだ。

・小さな場所で始めていくことに尽きる。手続きのしんどさに着目すると、永遠の虚無感に押し潰される。だが、小さい場所でやっていくことで、永遠の部分よりも、今自身が立っている場所で生きていくことを見つめられるのではないか。

・ショッピングモールに行かない人生のまま死にたいぐらい、あの空間は疲れる。

・音声入力の言語設定が英語になっており、「そもそも」を「So nice」と受け取られた。

・「どうせわかってもらえない」となるよりは、そういう着眼点を持っていたとき、きっと自分だからこその役割であるんじゃないかと思っていたいものだ。

11.19(火)

・夢で餃子をテイクアウトしている状態から始まり、そこからさらに違う店の餃子を買うか迷っているうちに目が覚めた。ついに夢で餃子を買うまでになったか。でも、餃子を美味しく食べるとかじゃなくて、買うかどうか迷うってなんだ。

・何をもって大きいか小さいか。全力か脱力か。どこにいるかによって、どちらの見方もできてしまう。だとすると、そういう目線を脱した状態から始まる営みをしていたいのだろう。

・素直に受け取り、応答してやっていきたいなって思った。知のダークサイドというか、そこに落ちて社会を敵とするより、確かに他者の言い分を全て聞き入れるのは違うが、むしろ、社会を友人として迎えることが応答に繋がるんだろう。

・今やることは、わりとシンプルだったのかも。いつだって戸惑うものではあるさ。

11.20(水)

・自分は知らないことも多い。強くあらねばならない見方をしたくない。誰かに答えを教えることはできないけど、一緒に考えることはできる。そうだ、そういうベースを持ちたい。友達だってそういう関係だろう。仕事として、馴れ馴れしくしすぎない友達のように、わからないときは一緒に調べて、やりたいって言ったことにはどうやれるかを整理していきたい。「戸惑い」を発見する仕事をしたいんだろう。教えるのではなく、見出して「これよくない?」と一緒に喜ぶような仕事を。

・「オムライスラヂオ」の「【帰ってきたKJ】ポスト・トゥルースに向き合う」回を聞きながら考える。政治や思想の話は、あまりにも遠い気がして興味を持てなかったのだけど、この回では色々と受け取ることがあったな。まず、誰がリベラルか保守かなんてどうだって良いし、そんなところで争いたくないと常々思っていた。知性とは、喧嘩をしないための術であるのかもしれない。

・社会をドロドロした壁だとみると、やる気なくなっちゃうよね。ほんとにそう思う。それでやめちゃうのが、人生で最もつまらないことだ。プリーモ・レーヴィが言うように、きっと「灰色の領域」があるはずなのだから。

・良い文章の文字というのは、何か違ったものを持つ。文字が浮いているようだ。それは字と字の隙間に、間(あわい)がある。行間があるのだ。間を持つような文章は確かに存在していると思った。

11.21(木)

・「仕事とは、生きるため、生き延びるためのネットワークをつくることだ」とは、まさにそうだと思った。それは満たされなさとも言えるが、生き延びるための行為が仕事でもあるのだ。

・思えば、今年ははたらくことへの納得感の布石っていう時期だった。

・少しずつ、社会を「壁」じゃなくて、「友達」として捉えたい。

・「生きるのがめんどくさい〜」が、「生きるのがたのしい〜」になったりするのかな。わりと紙一重な気がするんだよなー。自分はめんどくさいの方が勝りがちなんだけど。

11.22(金)

・「対話は突然始まるのではない。まずだれかへの語りかけがあって、それにだれかが応えるというところから始まる。そういう応答が生まれるためには、いっしょに考えてくれませんかという、相手への敬意がその言葉には含まれていなければならない(濃霧の中の方向感覚)」良き対話がなされたと思うとき、そこには「応答」があるからだと思っていたが、「語りかけ」があるからこそ、「応答」がある。対話は相互的なものなのだから。そして、「戸惑い」とは「語りかけ」だ。だからこそ、その「戸惑い」を発見したとき、「一緒に考えてみないか?」と「応答」したくなるのだろう。

・仕事の文脈における「実績」について考えてみる。なぜ実績が大事だと言われるのかというと、誰かに仕事を頼むには、相手に何かしらの信頼をする必要がある。だから、特に初めての場合は、その相手を知らないわけだから、過去に仕事をした内容や相手で判断することになりやすい。逆に顔見知りだからと頼まれる場合は、既に知っているという部分で信頼が形成されている。つまり、実績が大事というわけではなくて、その信頼をどう形成するかが先にあるわけだ。直接的な信頼じゃなくても、流れの中で信頼のようなものが形成されることもある。たとえば、出先のスーパーで買い物をするようなときは、品揃えや値段の安さとかではなく、たまたま目の前に「スーパー」と書かれた建物があったから入る。でも、小さな商店だったら入らないかもしれない。逆に入りたくなる人もいる。タイミング良くそこにあり、使ってみようとなるのは、無意識に信頼が形成されているからであるし、そういう設計もできるのだろうな。

・「こうしろ」とか、「こうしなきゃ」じゃなくて、そういう自分と出会う。知らない自分に出会う。

・モヤっとしたときは、一歩踏み込むことだ。少しばかりの不快感というパンチをかわして、ボクサーのように一歩前に踏み出すことで、問いが広がったり、小さな和解がなされたりする。

11.23(土)

・夢で部屋探しをしている。どうやら内見中らしいのだが、なぜか船に乗っていて激しく揺れている。でも、窓の外を見ると、ここは内向きの建物の設定らしく、隣のマンションしか見えなくて、いい物件がないなぁと思いながら内見の説明を聞いていた。帰国後の家をどうするかの悩みが出ているな。

・紙の質感を説明するときに、「折ろうと思えば折れる」って言っていた、あなたのゴリラ思考がおもしろい。

・フィルムはまだまだ知らないことだらけだ。仕上がった現像結果を見て、露出ミスやカメラの不調があったのだが、それを完全になくしたいと思うのは、余白を削ってしまうような気がする。とはいえ、もっともっと試してみたいことはある。

・バルサのアウェーでのセルタ戦。早々に2点を取り、ゆるっと勝ちそうだと余裕で構えていたら、カサドが退場して、クンデの致命的なミスから失点。さらにまた失点で、まさかの引き分けだった。クンデがこういうミスしたのは初めて見たかもしれない。勝てると思っていたら、1つの綻びからあっけなく崩れていった。こういうことあるから、サッカーってほんとにわからないものだ。今季は余裕かと思ったが、いやー最近は厳しいね。

11.24(日)

・RPGってモンスターや敵陣営が襲ってきたりするけど、仲間や無害な住人がいたりするにしても、基本的に周りが敵だらけで襲ってくるって、なんという悪夢だ。

・慢性的な苦しみと焦り。それと向き合っている。

・夕方になると部屋の中に漏れてくる光は、やっぱり美しい。この光を見ていて、今日の気持ちを考える。うっすらと漂う苦しみ。今後に対しての不安と焦りもあるのだろう。慢性的な苦しみは絶望まではいかないが、じわじわと心を蝕むように思える。窓から見える道に視点を移すと、そこに差しこむ光を見て、心が安らいだ。そこに美しさを見出せることが、どれだけ豊かなことだろうか。

・社会と友好関係を築くのもあるが、部屋に差し込むこの光を美しいと思い続けるために、どうしてもこの光をとっておきたいと思うからこそ、腑に落ちる”はたらくこと”をしていたい。そういう小さな決意をしてみた。