2024.11.11-11.17|雑記帳

11.11(月)

・疲れてギスギスしていると、言葉をくるむ余裕がなくなってくるものだ。水が満杯で溢れそうな感じがある。

・生きていくために必要な手続きが多すぎて、嫌気が差してくる。死にたいとかは今のところないけど、怠惰は死に至る病かもしれない。そんな昔話がありそうだ。

・ダンボールが売ってない国ってなんやねーん。

11.12(火)

・荷物送るだけなのに、なぜこんなにも不毛なやり取りがあるのか。オンラインで予約をしてメールでも説明してあるのに。苛立ちもあったが、さすが海外、強気な対応をしてくるねぇと少し笑える余裕が出てきた。とりあえず、こちらの状況も開示して、対話を目指そうと思う。

・母国を出て暮らす大変さは、文化的な了解事項が把握できず、あらゆることが初めてになるから、たとえ小さなことでも大きなつまずきになることだ。日本だって初めてでわからないことはたくさんあるが、言語がわかっていることで対処しやすくなる。それができないので、文化と言語が二重に重くのしかかってくる。

・なぜ人は「マウンティング」をしたくなるのだろうね。改めて解明したい。

11.13(水)

・睡眠の質や時間によって、9時起きですら泣けるぐらいしんどくなるものだ。

・早口の英語が聞き取れないと、自分の英語力がもっとあればと思ったりするが、一方でよくよく確認してみると、実は相手は早口であるだけで、内容を完全に理解しているわけではないことがある。たとえ、ネイティブが聞いていたとしても、文法も単語も不完全であるから、何を言ってるのかわからないケースだってあるだろう。そうなると、コミュニケーションの輪郭がさらにわからなくなってくる。

・急ぎの用件を抱えたまま、大事なことを先にやる胆力って、なんて言葉にしようか。

11.14(木)

・「21世紀の楕円幻想論(平川克美)」を読み終わる。自分は、有縁ありきの世界のしがらみの怠さを知っている。とはいえ、縁を断ち切り、全てお金で解決しようにも、お金になる価値だけが認められる中でやっていく興味も体力もない。しがらみにまみれて、なあなあでやっていく世界は絶対に嫌だが、「有縁とは何であるのか」を紐解いてゆき、自身の態度を懐柔していくのは一つの道になりそうだ。

・満杯だった水を減らしてもらったような。「余裕がない」と伝えられることの大事さよ。

・夜中に「夜明けのすべて(瀬尾まい子)」が止まらなくなり、夜明けの時間のさらに前辺りに読み終わった。ちょうど、あまり余裕がなく、慢性的な倦怠感を抱えていたので、読めて良かった小説であった。夜明けは来るのか。そうかそうか。

11.15(金)

・いつのまに、地球人は全員ワイドパンツを履くようになったのだろうか。自分も好きだし、いいよなぁと思うのだけど、改めて思った。

・街で見かけるガソスタのスタッフやセキュリティは、ほぼ絶対にタバコを吸っている。日本のことを思い出す。日本だったら、問題になるんだろうなぁ。危ないことはしたくないが、働く人も、利用する人も楽に使えたらいいのにね。

11.16(土)

・都会に住みたい気持ちとはなんだろうか。田舎の方に行くほど、生活コストは下がりやすい。代わりに車の維持費などが掛かってくるんだけど。たとえば、新宿の防音完璧のタワマンが月1万で住めるならそちらに住むよな。人が多くて、コミュニティやサービスの選択肢が多いことは利点だろう。だとすると、田舎ではそういった利点が少ない分、人がいない、選択肢が少ないからこその部分に着目することは、田舎で生きる上で大事になりそうだ。

・目出し帽を被っている人を道で見かけた。あの両目と口だけ穴の空いた本格使用のやつ。え、あれって強盗専用服じゃないの? 普段着にしている人いるの? でも、普通に連れの人と会話して歩き去っていった。いや、流石に何かの何かだろう。

11.17(日)

・慢性的な疲れがあると、現代では休み方って、ほんとにわからなくなってくるよな。

・ガソスタのスタッフが笑顔を見せてくれた。海外に来て、しかめ面の雑な対応が当然になりすぎていて、笑顔でやり取りがなされると、驚き、とても嬉しい気持ちになる。中にはマイクロアグレッションもあるんだろうな。でも、そこで怒ったり、悲しんだりするのは疲れるわけで、たとえ今は感覚が麻痺してくる状態だとしても、それはそれで生きる術であるよなぁ。

・書くことは生きることであると同時に、書いても書いても終わることのない永遠である。生きるための手続きが怠くなっていくように、ずっと終わらないことを終わらせたいと願い続けるよりは、何かを背負っている状態でも、生き続ける胆力を育てていく方が良い気がする。今週は怠惰と向き合った。その辺は引き続き考えたいものだ。