10.28(月)
・悪夢三連発の超低品質の睡眠であった。昨日は穏やかな気分で良き日であったのに、どうしたのだろうか。
・「センスの哲学(千葉雅也)」を読了。自分の固有の偶然性の余らせ方を認める。秩序への足りなさを埋めようとするのではない。手持ちの技術と振り返ったら偶然やってしまっていたことこそが、自身の固有のものであると思う。そこに秩序を見出す感じだ。ルールに添えないことは「不足」ではなく、自分にとっての「過剰さ」と捉える。つまり、ある程度の秩序というラインは、これ以上はルールに添えませんというところ。それはやめたという捉え方ではなく、気付きの始まりである。既にある制限を発見する。それに対する身体的な逸脱があるわけで、だからこそ既にある制限を見出していくことで、秩序を設計するまでもないのか。
・倫理や善悪とかより、どこで仮固定するか、逸脱があっての秩序をどの辺に置くかに興味ある。
・部屋からの夕焼けに美しさを感じて、窓を開けて写真を撮っていると、下の階の屋根に猫(噛まれていない方)がスタスタと歩いており、目が合う。こちらをすごく気にする挙動が可愛くて、観察していると、窓枠に飛び乗ってきた。部屋の中に入られると困ると、急いで窓を閉める。「ニャーニャー」など言われるが、すまん、猫は触らないと決めたのでな。シルエットがかわいくて、何枚か写真を撮る。わりと長いこと居座るので、降りられないのかとそわそわしていると、自分でシュタッと降りて去っていった。ほんとにアイツは、かわいくておもしろいな。
10.29(火)
・なんだか、街へ出るだけで、とっても疲れてしまったようだ。睡眠の質がすこぶる低くて、今後の不安がなんだかんだ積み重なっている感じがする。まあそういう日もあるよね。
・トビリシのメトロ名物、深くて速度の早すぎるエスカレーターに乗ろうとすると停止してしまい、急に動き出すことを経過しながら、歩いて降りた。長かった。
・「Georgian Museum of Fine Arts」に行ってみる。30GELもするのかと一瞬萎えたが、とにかく作品数は多かった。原色を多く使う、Edmond Gabriel Kalandadzeというアーティストの作品が好きだった。なぜ人は原色に目が向くのだろうか。空いている美術館で、自分の歩く足音を聞きながら作品を見て回る時間は豊かだ。作品数が多いので、横並びでずらっと並んだ作品群を見ると、途中からリールをスワイプしているときのような虚無感があった。並び方の問題かもしれないし、今日は特に疲れているからだけかもしれない。歩きスマホで見回りをしたり、椅子に座ってスマホで動画を見続けたりする美術館のスタッフは、日本以外は定番の構図だね。これくらい適当に働けた方が良さそうだが、そういうものじゃないんだろうか。
・「ブラフマンの埋葬(小川洋子)」を読み終わる。あっさりとした終わり方。ぽつりぽつりと進んでいく物語は、フィクションとしては少々味気ないかもしれないが、現実としてはむしろ日々の歩みを見つめ返せるような発見がある。
10.30(水)
・勧められた「夜明けのすべて」を読む。するすると、小説の世界に没入する時間は豊かであった。朝や昼に時間を作って読書するルーティーン、いいな。続けてみよう。
・お茶飲んだり、小説に没頭したり、こういうことが豊かさを形成している。
・服と自分の身体性の掛け算によって、似合う服が決まりそう。そうなると、身体性は枠であり、枠があるからこそ身に付けていけるものを選別する観察力を養うことだろうか。
・罪悪感という言葉でよくまとめたりするが、そういう感覚は「負い目」みたい言葉の方がしっくり来るかもしれない。
・なんか真夜中なのに、空がうっすら赤くて明るい気がする。なんだろう。「世界が終わるのか?」と思ったら、大気の状態によっては明るくなることあるらしいね。知らなかった。
10.31(木)
・デリカシーっていうものを考えてみる。気付けない幸せ者にどう接していくか。
・近所を徘徊する犬たちに吠えられにくくなったし、新しい道を通って、ここへ来て初めての無目的な散歩をしようじゃないかと歩み始めてみる。すると、びっくりするほど全方向から犬に吠えられて威嚇された。道にたむろしている人たちにもジロジロ見られて気分も良くないし、すぐに心が折れた。いつもの道の犬は、自分に慣れていただけだったのだろうか。怖かった。行きたかった道もGoogleマップ上では通れるのに、そこに道はなかった。4Dで吠えられながら引き返すと、「どうしたの。何か助けはいる?」と先ほどの人たちに声をかけられた。てっきり差別的な目線かと思ったけど、違ったのか。ほんの少しの時間なのに、めっちゃ疲れた。はぁ犬怖い。
・M-1の3回戦動画を見続ける。めちゃくちゃおもしろいのに、全然落ちる人たちがいる。レベル高いんだなぁ。日本のお笑いはハイコンテクストで、やっぱり楽しい。
11.01(金)
・「今死んだら後悔するのか」という問いを人から触発されて考えてみる。今はするだろうなぁ。だけど、以前から「これを達成するまでは死ねない」という気持ちは減ってきたような。
・流石にそろそろと、帰国後の家のことを考えたり、調べたりしてみる。
・家電量販店でボタン電池を買うが、スタッフは何やらPCで入力し始め、別の場所へ支払いをしに行くと、名前を聞かれて、契約書のようなA4の紙をもらい、それをまた最初のスタッフに渡すとようやく商品を受け取れた。なんだこの無駄なシステム。別フロアの家電量販店では、商品はスカスカで、レジにスタッフはおらず、ボイコットかってぐらい人がいなかったのに開いていた。ジョージアわからん。
11.02(土)
・「文体に変化があった」というフィードバックをもらって、どういう文体がしっくりくるのか考えてみる。素直に思ったことを書いていく。ただ、その切実さによって、説教しているような文体になるのは嫌だ。ある意味で”熱”のような部分を保ちながらも、無味な部分があるような両立の方向性に歩いていきたい。
・「アガサ・オール・アロング」の最終話を見終わる。脚本の厚みはすごかったと思うのだが、なんだかハマりきらなかった。思ったのだが、自分はどれだけ脚本が良くても、登場人物が魅力的に思えなければ、しっくりこないのかもしれない。たとえば、「ロキ」ではとにかく”ロキ”という人物に興味を持てたが、”アガサ”には全くそれがなかった。
・シャワルマ(ドネルケバブ)というこの辺発祥の料理をWoltで頼むと、Lサイズにしたのだが、想像の3倍のサイズが届いた。全長が長すぎて、配達員の兄ちゃんに「これめっちゃデカいね」と言われる。めちゃくちゃ美味しかった。また頼みたい。でも、次はMサイズで頼む。
11.03(日)
・なんか目の前のことに素直に感動して立ち会うってときに、写真を撮れたらいいよね。「これは撮ったらいい感じだぞ」という予測をするというより、ただじっくりと見つめてみて、「うん撮ろうか」みたいなプロセス。
・トビリシの街中で、フードを被ったままにしている人が明らかに多い。あんまり他の国では見ないような。雨が降ってきたり、風が強くなってきたりしたときに被っている人が増えるのはあったけど、ここでは常時そうだ。最初はつい怪しんでしまったのだけど、めっちゃいるんだもの。
・日本のスーパーマーケットは、ほんとに品揃え豊富で優秀だよなぁとしみじみ思う。大きくて品揃えが良いとされるスーパーマーケットに行ってみたけど、全然であった。他のスーパーよりはマシだけど。
・バレンシアの洪水のことを知る。あれだけ降ったら対策しててもどうしようもないかもしれないけど、そもそも災害を心配するような国じゃないから、ダメージは大きいだろうな。トビリシも地下のお店が多いけど、大雨降ったらどうするんだって感じの構造をしている。そういえば、Carmencita Film Labはバレンシア本社だし、数日インスタの更新がないので、被害があったのかもしれない。心配だ。