2024.10.07-10.13|雑記帳

10.07(月)

・朝の光は抜群に良い。中判で撮っていく。ようやく入手した水はミネラルウォーターじゃなくて、炭酸水だった。

・初日にベルリンの壁関連の写真展を見ておいてよかった。現在のベルリンは、やっぱり壁解放からの自由を継いでるのかな。この街から自由を尊重する意志を感じる。

・撮れなかったあの一瞬。駅のプラットフォームに入ってきた、黄色い電車に一瞬だけ光が照らされて、その前をタバコ吹かした人が通る瞬間は撮りたかった。

・Berlinische Galerieでの写真展、「Being, Seeing, Wandering(Akinbode Akinbiyi)」を見る。写真に写っているもの自体より、印刷や展示の方法がおもしろくて気になった。2階の「Embracing Modernism」でアートやベルリンの歴史を考える。ドイツの歴史は、やっぱりおもしろいな。ベルリンが生まれたときは、保守的で田舎の地方都市だったらしい。東西に分けられてからの解放があるからこそ、こうなったんだろうか。知りたい。

・表現主義?新即物主義?ダダ運動?モダニズム?アートおもしろいぞ。おもしろい。動きがある。好きなものも、あんまり好きじゃないものも、観察したらおもしろかった。リズムは確かにあるな。

・たとえば、移動して到着した初日は、全てが新鮮だからこそパッと撮りたい。AFだ。いく日か経って、環境になれてきたら、じっくり撮りたい。MFだ。ただ道に生えている草木が気になるのは、初日の新鮮さが消えて目が慣れてきたからこそ見えてくるのだろう。もちろん、初見であってもよく観察していれば、そういった”取るに足らないもの”も見つかる。新鮮なものを撮るから、旅の写真は旅の写真になりうるのか。初見なのに、旅の写真にならない人は確かにすごいな。そこにはリズムがあるのだろうな。

・Kunstquartier Bethanienのこじんまりした展示、「Once Upon a Now(tunnel19)」を見ていく。建物の前の公園で何かの集会が行われており、その熱狂の声が度々聞こえてくる中、静かなスペースで展示を見ていく時間が豊かだった。

・俺に対してではないと思うが、目の前のおばさんがこちら側に唾を吐いた。怒りよりも、心底ドキッとして怖かった。それは知らないことだったから。そんなことされる世界線で生きてなかったから。そういう世界線で生きていたことは自分が恵まれているわけでもなく、それで良いかとかじゃなくて、ただそうである。そこから改めてその相手の環境を想像してみると、それがあり得る世界線で生きてきたんだろうし、それに対して肯定も否定もしない。俺に対してそんな行為はもちろんされたくないが、それだけ人間は幅広いものであるんだろうな。

・想定外のことをされると怖い。想定内のことをされると怒る。目の前で巻き起こったものを見つめてみると、意外とシンプルな反応だったりするな。

・罪悪感や申し訳なさに帰結されると、人間抑えれなくなって爆発すると思うんだよな。

・寛容さは良いことだと思ってたけど、その文化に慣れるまでに戸惑う。雑で自分で守ることに精一杯のところから、親切にし合うことは難しいときがある。

・笑っちゃうぐらい今日は特に上手くいかない。これはほんとに愉快に思えてきている。初めての場所で、それはスムーズに事が進むはずはないよな。

10.08(火)

・ついにベルリンの交通機関の検査員と遭遇した。検査員はベスト着てるんだ。車両にバッて集まってきた。そのあと仲間内でめっちゃ喋っていて騒がしかった。改札がなくて、こうして検査員が巡回するシステムは、なんでこうなったんだろう。

・Neue Nationalgalerieに開場直後から行ってみる。「Extreme Tension. Art between Politics and Society」は、旧社会主義諸国の作品が展示されていた。油絵の荒々しい筆使いの絵は好きになりがちだな。

・ベルリンの壁が保存されている、East Side Galleryに行った。よい天気。あの有名なブレジネフとホーネッカーのキス(Bruderkuss)の絵画のところは、記念撮影の人で溢れかえっていた。一つひとつじっくり見ていった。

・いい感じの道を歩いていたら、物腰の柔らかい男性に「お金をくれないか」と言われた。「コイン数枚でいいから」と言われたが、このままユーロコインを持っていても持て余すので、「もうヨーロッパを出るから」と全部渡してみた。なんというか、モゾモゾする感じがあった。確かに自分の中に”良いことした感”を覚えたことに。とはいえ、初めてお金渡したわけで、それは特別なことになってしまうものだ。

・道で人が議論していたり、「ファック・ザ・ポリス」や「息ができない」という文字が書かれていたり、みんな生きるのに必死なんだ。この街において、自由であるという強い意志。そこにあるのは決して”空気”ではないのだけど、寛容でいられないときに理由が必要であるような感じ。それでもおもしろいね。生きるのが大変だという共通認識はあるような。別に特段親切ではないし、むしろ都会の見過ごして去る感じもありながら、その必死さへの理解だけはあるみたいな。俺は必死に生きている人、生き延びようとする人は好きだ。

・元々駅だった建物を改修した美術館、Hamburger Bahnhof – Nationalgalerie der Gegenwartに行ってみる。大きくて迷う。「Keep Walking(Mark Bradford)」には、作品の上を歩けるようになっていて、不思議な体験をした。

・罪悪感、倫理と言い換えてもいいかもしれないが、そこを人に求めていくと、人はそもそも耐えられない。いかにひどくあっても、そこへの抵抗からひどいことをした側も認められなくなる。だからこの良し悪しではなく、観察してただそうであったと見ることから始まることは無数にあるんだろう。

10.09(水)

・メトロのカジュアルな格好の検査員は、検査後に他の仲間に指笛で合図して降りて行った。

・出国審査も入国審査も久しぶりすぎて、結構緊張した。EU圏内って、改めてすごい仕組みだよなと思う。

・トビリシの宿に到着するも、まさかの断水で水が出なくてシャワーを浴びれない。人生で初めてウェットティッシュで身体を拭いた。意外と綺麗になるもんだ。風呂ってめんどくさいけど、毎日入らないと結構嫌なものだな。色々と考える出来事だった。

・出会った現象や出来事は、あくまで全て個別ケースである。一般化できないものだろう。だからこそ、パターンの収集をしていきたい。

10.10(木)

・近所の路上で、たくさんの犬が寝ている。飼い犬っぽいが、外で飼っているのね。東南アジアの犬みたいに大人しくなくて、結構怖い。

・「ミネラルウォーター」って書いてあったのに、間違えて炭酸水買ってしまった。スペインでは一度も間違えなかったのになぁ。

・暮らすのっていいことばかりじゃない。だから一口に「良い」とは言えないのか。旅じゃなくて暮らしてるもの。

10.11(金)

・やることが多いのだけど、「あぁ今は豊かだな」とふと思った。とりあえず生きている。特段の脅威はない。本を読んで飯食って寝よう。制作もね。

・吠えて威嚇する犬が真後ろに着いてきて、超怖かった。そのまま歩いてみると何も無かったが、あの道はもう通りたくない。といっても、近所の全道路に犬は初期配置されてるんだよなぁ。走らず無視するしかなさそう。

・また断水するんかい。

・生き続けることが一つの大きな達成か。

10.12(土)

・俺はケバブ屋になりたいのかもしれない。日銭を稼ぐことは、特に食材もこだわらず、”出店で食べ物を焼けば大体そこそこ美味いでしょ”精神で、適当にはたらけるものであったらいいんだろう。適当とは投げやりでもなく、ときに楽しくも真剣にもなるが、気晴らしとしてできるものを指す。創作のみで食っていくのは、そもそも自身の創作が捗らなくなったりするんだよな。ケバブ屋はメタファーであり、それに該当するものであったらいいのだけど。

・英語に関して、”英語力”という漠然とした存在で捉える罠がある。人は、習慣や文化を掴むまでには慣れが必要になってくる。たとえば、海外での暮らしで掴むのに苦労するのは、店では挨拶はどのようにするのかとか、どういうシステムで会計をするのか、普段の振る舞いはどういうものであるのかとかだ。そもそも日本語であっても把握が難しいものがあったりする。それに、人種やコミュニティ、環境によってスタンダードな英語は変わるから、ネイティブだってわからない場合があるわけで。だとすると、何を学ぶかだよな。習慣を掴むのはまた別軸だから、土台みたいなものを向上できたらいいのだけど。

・今いる宿の1階でよく見かける飼い猫というか、半分野良みたいな猫が寄ってきたので撫でてみると、しばらく気持ちよさそうにしていたのに、急に態度が変わって噛まれて引っ掻かれた。最悪だ。やってしまった。海外暮らしで最も怠いシチュエーションである、狂犬病ワクチンのやつだ。傷も浅いし放置したかったけど、検索してみると、どのサイトにも「念のため病院に」としか書かれていない。さらに探してみると、ちょうどワクチンの打てる病院について書かれた日本人のブログが見つかり、そこで処置をしてもらえそう。ありがたい。一応、自分で行く前に常駐スタッフに報告してみると、すごく心配してくれた。どうやらほとんど宿にいないオーナーの猫らしく、狂犬病ワクチンや検査などは受けている猫らしい。だけど、念のために病院に行ったほうがいいと、タクシー代を出して呼んでくれた。病院の医師は親切で英語が通じたので、不安を聞いてもらう。とりあえず、10日ぐらい様子を見て何もなければ大丈夫とのことだった。帰ってスタッフに報告すると、「もうあの猫は入れないようにする」と言ってくれた。お茶とお菓子をもらった。こうやって助けてもらえると、すごく嬉しいものだと実感した。悪化しないといいな。

・噛まれた後は、「最悪だ。なんで触ったんだろう」と後悔と不安がすごかった。だが、ある程度経つと、「もういいや。狂犬病ワクチン打つ」と覚悟を決めてからは(実際はそのワクチンは打たなくて良かったのだが)、”海外で注射を打つ”という実績解除になるとフラットに思えたのは良かった。

10.13(日)

・ジョージアの名物ヒンカリって、餃子か小籠包の圧倒的な下位互換だよな。食べられない部分あるしさ。みんなは良いって言うけどさ、餃子か小籠包あったらそっち食べるでしょって思った。

・バターはデリカシーのない味がするから嫌いだね。

・意図せずに刺してしまったとき、素直に「ごめん」と言えることか。

・習慣を掴むとは、慣れるまでの日数というより、環境や関係性は時間の掛かるもので、すぐに判断できないものだと深く実感している状態のことかもしれない。