2024.09.30-10.06|雑記帳

09.30(月)

・「生成と消滅の精神史(下西風澄)」は、自分にとって不思議な本だった。”平熱”と言える状態。今の自分には難しく、読むタイミングではなかったとも言えるけど、確実に読んで良かった。熱狂的に好きなわけでもなく、決してつまらなくもない。時が来たら読み返せるかもしれない。それは著者が、淡々と平易な文体で整理して書いてくれているからだろう。日本に舞台を移した後のおもしろさはあった。「見る」についての言及が全体的に興味を惹かれた。写真に関連している。見たものを観るのが人間だ。万葉集における「見る」について。「煙立つ」をあえて「煙立つ見ゆ」と書くこと。見ることによって、世界を存在させること。それは”我思う故に我あり”に近いようで違うんだろう。自分も書いたものを見ることで考えられる。撮ることで見るよなぁと思う。

・哲学を学ぶ意義が、少しだけ腑に落ちたかもしれない。哲学は文学のように美しい瞬間がある。それはその人が言ったことを受け取り、パーソナルな部分に自身も同時に開かれていくことだ。

・本を読む流れは、やはり「はじめに」と「あとがき」を読んで、そのあとに「本文」に入る。それだけで、随分と流れを掴みやすくなるし、印象も変わる。

・翻訳されたものを受け取る。受け取ったものを受け取る。

10.01(火)

・生活できたらいいんだよ。そうだよ。

・自身を深掘りすることで、結果的に他者に開かれていく。最初から啓蒙しようというわけではなく。

・「大事だ」っていうか、「そこから始まると思う」って言い回しをしていきたい。

・コンテクストは自分で作るか。そうか、作っていけば良いのか。

・「洗い物しといて〜」みたいに、「脱構築しといて〜」って言うだけで、ほんとに洗い物を洗うかの如く気楽に脱構築の論理を汲み取って考察を進めてくれる、chatGPT o1-previewに感動している。そして、脱構築を繰り返していくと、やり過ぎると議論が行き詰まる可能性があり、他の視点が必要だと、さらっと釘を刺してくるのおもしろい。

10.02(水)

・誤読によって、他者の自立性に気付く。解釈によって、自他の境界を引く。

・親友がなぜ親友であるかというと、権力構造のなさと透明性の高さにより、悪口に至らず、批評になり、それに耐え得る関係性があるからなのか。

・リーダーになると、集団の中での透明性を確保するの難しいよな。権力構造にならないようにするのもさ。

・何を”真実”と置くのか。本音であればいいのか。そもそも本音を求める心とは。自分は、何が真実で本音であるかの話に、実は興味ないのかもしれない。というか、それよりも先ほどの知性や豊かさ、言葉を探すことに関心がある。どうしてかはわからん。だっておもしろいからという直感。あと、相手が真実を言っているかどうかは、予測もできるし当たっているなと思うことは多いけど、マジでほんとのところはわかるはずがない。それが自他の境界線であり、そう捉えているのが自身の解釈であるから。さらに言うと、自身の中にある他者性だってあるわけで、自分でも自分がわからないので、そこを探求したい。ある意味で、真理なんてないと思いつつ、それを探求したいとは思っていそう。それが知性や豊かさ、言葉を探すことなんだろうな。

・胃腸がムカムカするから、なんとなく落ち着かないのか。大変なやること多いから、胃腸に影響があるのか。体調が良くないから、自身を労わりたい。

10.03(木)

・権力構造の解体について。指摘し合える関係性の透明性。悪口を生みにくい。本音で言うのいいという話とは違うんだよな。透明性の話で。だが、何でも言っていいからねとリーダーが言っても、言いにくいこともある。言葉としてそう口にするより、ほんとに積み重ねというか、ほんとに毎日の実践だよな。

・本人がそう思いたいのならば、それにしがみついているように見えても、その方向性を一緒に見るのでいいのかもな。

・自身の読みはある程度固まっていて、それは限界でもあるからこそ書いておく。

・「実はこうだったんだぜ」っていうのは、ほんとに”小さな和解”って感じだね。”小さな和解”って、意外と簡単にできる。

・いよいよプロレスを観たくなってきた。「極悪女王」はそのうち観るか。プロレスって、ブック(脚本)があると思っている派と思っていない派があるの?

・「思考から自由になることは、いっそう思考にまみれることだった(生成と消滅の精神史)」問い続けることと、退避や気晴らしなどは、一見矛盾して、これらの間で心を引き裂かれるか、どちらかに振り切る。だが、それでも続けることは自由になることであり、それは考え続けてしまうことを受け止めることだ。

10.04(金)

・「TAKRAM RADIO」の永井玲衣さんゲスト回を聞く。問いは詩のような言葉だと言っていたが、そうであるような、ないような。拡大ではなく増殖。取るに足らない部分を増殖する。小さくではなく。

・石畳でボコボコの道をスーツケース片手に無理やり突破する。道中でゴミ箱に花が捨てられており、その前の家の門の隙間から、子猫がちょこんと座ってこちらを見ていた。

・本音か建前かのどちらに重心を置くかとかより、本気で話すみたいな。「マジで言うてまっせ」みたいな感じ。話そうぜっていう心持ちから対話が始まるような。

・ものづくりにおける、意味が生まれる前の材料集めの段階ってある。というか、撮ることだって材料集めの段階だ。そのあと自己で鑑賞して、テーマになったりする。

・「センスの哲学(千葉雅也)」を読み進める。ヘタウマの話がおもしろい。動きが先にあるもの。究極的に再現することは上手さなのか。写真でもその瞬間を残すとはいうが、空気感まで綺麗に残ってしまったら、それはなんなのか。残せないからこそ、そのいびつさや動きに惹かれるのではないか。「センスがない」じゃなくて、「センスのない段階」という言い方がいいね。問いになる。

・泊まっているマンションの入り口で、めっちゃ大きな声で男2人に激しく何かを言われた。英語が通じなかった。怒られたのか。怒られてないのか。その状況下では怖かったし、悪気ないことで怒られている困惑があった。ただの差別の可能性もあるにしても、何かを伝えたかったんだろうな。一方で、立ち寄った惣菜屋のおばちゃんは声がガスガスで英語も通じなさそうだったが、注文してみると、英語ですごく丁寧に応じてくれた。あのおばちゃんはいい人。あのジャガイモ男たちは嫌なやつ。関わった時間は数分なのに、この両者への印象の違いがある。やり取りが良好だと良い印象。一方的なものだと悪い印象って感じだ。こうやって観察すると、怒りだけじゃなくなっておもしろい。

10.05(土)

・アートのステイトメントにおいて、帰結に一般的な善悪の話が待っているものに対して、「なんでそこを問わないんだろう?」と思うようになってしまった。

・陰影のある絵がやっぱ好きだ。暗いところの方が光もよく見えるしさ。

・やっぱり乱雑なスナップは自他共に嫌だな。撮れたら何でもいい感じが嫌だ。落ち着いて撮りたい。それでいいんじゃないか。目の前に転がってきたときにしっとりと撮る。

・旧ソ連の影響下にあった、旧共産主義(社会主義)系の国の雰囲気が、なんか気になる。過去の遺産で、現状なんとか街を成立させていて、寂れている感じはなんか好きかも。

・解釈ではなく議論をしたいのだと言う声。解釈の結果が写真であるとするとどうなるのか。議論か。やりとりはそう言えるのかな。

・AirPods Proのイヤーチップ(シリコン部分)が破れた。めちゃくちゃ困る。

・「センスの哲学(千葉雅也)」を読んでいく。食べ物の旨みはポップに好きだと語れる。そこには熱がある。だが、そこには味のリズムがあり、それ自体の運動は無味で感情や熱とは離れているもの。それは何かを鑑賞したときの「ふーん」みたいな体験と根本は同じなのかな。そうなると、食べるようにほうほうと楽しめるのだろうか。運動を見るって、おもしろいもんな実は。飛行機が着陸体制に入り、差し込んでいた光が窓の外に流れていく。その運動を見るのはおもしろかった。そういう単純な運動はアートにもあるし、色々なことに見出せそう。熱や好き嫌いだけで終わる話じゃないもの。

10.06(日)

・フィルムをやっていて、気付いたこと。明るい場所でぼかして撮るのは難しい。なぜなら明るければ、全体を見ることができる。だが、デジタルの高速シャッタースピードにより、昼間でもボカせるようになった。暗いところでは何とか光を写せる。まさにそうだ。光を見出すことは簡単だ。だが、明るいところから暗い部分を見つけるのは難しい。晴れの日に、雨の日を見つけられないように。

・世界は豊かであると同時に、恐怖でもある。となると、恐怖を感じやすいからこそ、豊かさにも気付きやすいのではないだろうか。

・チェックインで預け荷物が重量オーバーだったのに、追加料金がなかった。ゆるすぎんか。ありがとよ。ベルリンに着いてみると、全てが新鮮で楽しい。

・「Mauerpark Flea Market」という公園でやっているフリマに行ってみる。人々が楽しそうで良いね。カメラや古着を見た。いつかフリマの出店とかやってみたいな。

・Museum für Fotografie(Helmut Newton Foundtion)に行く。「Berlin, Berlin」をじっくりと見る。複数のフォトグラファーの作品が集まっていて、見応えがあった。常設展の「Helmut Newton’s Private Property」は、Helmut Newton自体の作品にはそこまで惹かれなかったが、妻のJune Newtonの作品が良かった。夫婦で撮りあっている作品おもしろかった。

・近くのC/O Berlinに行く。「Dream On – Berlin, the 90s」は、ベルリンの壁が崩壊した直後を写した作品群。とてもよい。ベルリンの歴史が気になってきた。この街の風土を掴んでいきたい。

・初めての本場のカリーヴルストは、想像を一切超えない味だったけど、想像通りに美味すぎた。