2024.09.23-09.29|雑記帳

09.23(月)

・ただ生き延びるために住む。そうだ、それだけでいいんだと思う。暮らすことが最優先だ。

・「溺れるものと救われるもの(プリーモ・レーヴィ)」を読み終わった。解説の小川洋子さんが書いていた文章が、まさに自分がこの本を読んで、考えていきたい部分だと思った。「明確な区分に安心を求めるのではなく、人間のありのままの混乱を受け入れ、〝灰色の領域〟でもがかなくては、真実は遠のいてしまう。整頓不可能な混沌に耐えることが、いかに人間の思考を豊かにするか、本書は教えてくれる。」重厚な体験、それは自身の体験であったり、誰かの体験談であったりは、「実際は難しい」という帰結になりがちだ。だけど、そこが終わりなのではなく、むしろ始まりであることとして語っていきたいと思えた。この本は「夜と霧(ヴィクトール・フランクル)」と同じく、人生で何度も読み返す本だろうな。

・誰かのことを「知識人」と呼ぶ場合は皮肉であるが、知性や教養は自身を変えて、新しいものを取り入れようと手を広げて世界を歓迎する態度であるならば、それは素晴らしいことだと思った。もちろん、「自分は知識人だ」と階級制度のように特別感を持つ場合は別だろうね。

・マイノリティ性を叫ぶ人が、実際にそこに位置しない人であったりする現象は、いわば当然のことなんだろうな。それが皮肉にも露呈することもあるし、だからといって全て悪いわけでもない。そういう人が革命を起こして何かが変わるなら良いこともあるだろう。

09.24(火)

・近年のサッカーを観ていて、若い選手は身体能力は当然として、スキルや判断能力までもベテランを凌いだりする。だが、過密日程やハードワークの代償として、削られたときに真っ向から立ち向かうせいで、重傷を負ったりする。メッシは怪我をしないところが凄かった。削られても、上手く避けている。そうなると、歳を取るにつれて学ぶことは、どこまで出るか、そして危ういときに引っ込むか、なのかもしれない。

・フィルムをやって良かったことは、撮る前によく観察するようになった。デジタルのみだったときは、後でレタッチするからと言って、余計なものを入れたり構図が雑に斜めだったりした。チャンスは逃すかもしれないけど、待つことができるようになってきたのは良いことだ。

・今日のヨーロッパがこれだけ国境をなくし、統一に向かおうとするのは、それだけ過去に隣同士でありながら自由に往来できなかった歴史があるからなんだろうか。

09.25(水)

・ある程度の集まりにおいて、個々の実存よりも立場が優先される状態はあるよね。だからこそ、”言ってしまうキャラ”にしておくことで、言いやすくなることは実際ある。

・日本が仏教や神道の影響下にあるという歴史によって、無意識ながらも個々の道徳心の形成に関わってきているんだろうな。そこは見逃せないポイントだ。

・「生成と消滅の精神史(下西風澄)」をしんどい思いをして読む進める。”見る”についての考察は興味深い。自分は書いたものを”見る”ことで考えているような。

09.26(木)

・絶望や途方に暮れることを通して、光を見るのではないか。

・感情を認知した上で、その後の選択肢は場合によって選択する。

・穏やかな時間は、その豊かさを実感することは少ない。もちろん、それを破られることはストレスで怖いことだが、今その瞬間の豊かさには目を向けたい。

・鍋で炊いたお米が芯まで炊けていたのが、地味に嬉しい。

09.27(金)

・東欧はウクライナ侵攻の影響で、全体的に物価が上がっているらしいな。それはそうだよな。物価は高いし、住む場所も少ないし、大変なんだよな。

・Kaliningrad(カリーニングラード)という、リトアニアとポーランドに挟まれたロシアの飛地があるみたい。ほんとはウクライナもロシアも行ってみたいよなぁ。

・購入したフィルムカメラが税関で止められている。対応はしたが、相手の対応が遅すぎて、おそらくこのまま返送されるだろうな。若干諦めている。タイミングじゃなかったのか。別の手立てを考えよう。

09.28(土)

・chatGPTの応用力の高さに、思わず感動した。

・飼い犬なのに、飼い主が見当たらない犬をよく見かける。

・フィルムは自然と共にあることに近い。露出はある程度天候によって決められる。もちろん、自身で調整したり、ラボで対応してもらったりできるが、だからこそ、自然を見るし,観察するんだろう。デジタルは結構コントロールできてしまうからな。それが良さでもあるわけだし。

09.29(日)

・自分の活動において、抽象的な主題やスタンスは、写真や文章を通して既に滲み出てしまっている。自分的にはテーマを決めて撮っていないのだが、それらをエンジニア的に集約させてみると、新たな見方が生まれてくる。だからこそ、そのときに関心のある問いを頼りに、ピンときた作品をブリコルール的にセレクトしてみる。そこから浮上してきたものをエンジニア的に組み立てていき、最終的にテーマのようなものとして打ち出していくやり方が合っていそう。プロセスを大事にするからこそ、テーマありきでやっていくのではなくて、その都度にプロセスからブリコラージュをして、エンジニアリングしてテーマを見出していく。

・思えば、リソグラフ印刷を金沢のアーティスト・イン・レジデンスでやってみたとき、不規則性の高い仕上がりになること、経年劣化していくことに良さを見出していた。そこがフィルムに再挑戦するきっかけの一つではあったのかもしれないな。色々と繋がっているよな。