2024.09.09-09.15|雑記帳

09.09(月)

・家が快適すぎて、ゴロゴロしちゃうね。久しぶりのシェアではない物件が嬉しすぎる。やる気がないわけではないが、今までの分を取り戻すようにリラックスしている。

・Rollei 35を復刻した、Rollei 35 AFの購入を検討する。思ったよりは良さそうだが、価格は11万ぐらいであるし、SSが500までなのと、フォーカスの音がわりとうるさいので、見送りかな。まあいつか試してみたいかもね。

・包丁の切れ味が良いのは豊かだ。

09.10(火)

・哲学書を読むときは、著者の思考をなぞるように読む。つまり、その概念が存在する”程”で読む。そこがそうだよなと思いつつ、読み方が一辺倒で苦痛だ。だが、それがあるよねって思いながら読むことで見えてくるものがあるんだろう。読みたいが、読むのむずいよなぁ。

・ある意味で文脈がわからない読書。それは忍耐がいるが、その先に見えてくるものがあるだろうな。

・文脈とは何を指すんだろう。

・「トークサバイバー!ラスト・オブ・ラフ」を観終わった。最終話はいまいちだったが、それまではたくさん笑ったな。

・「LITTLE NIGHTMARES -リトルナイトメア-」というおもしろそうなゲームを知り、久しぶりに「キヨ」の実況をずっと観ていた。観過ぎたぐらい観た。やっぱりおもしろいな。

09.11(水)

・組織が苦手なんじゃなくて、”ある一定の条件の組織”が苦手なのかもしれない。たとえば、軍事的であったり、目的意識強めであったり。

・何かが嫌いだと大きく括ると、可能性は減っていく。特定の条件のそれが嫌いであるだけなんだろう。

・ずっと”幸せ”って言葉に腑に落ちない感覚があった。思ったのは、”豊かである”という言葉の方が腑に落ちるし、言葉の余白があって良い感じだ。

・持続性とは、置き換えが可能であることかもしれない。

09.12(木)

・書いてみることで、頭の中を整理できたり、改めて自覚できたりする。ほんとに考えるために書いている。書きながらじゃないと考えられない。

・良いを求めると、影が濃くなるとはおもしろい。

・聞く側の都合の良くない部分が、”悩み”と括られるのではないか。

・爽やかなルールからの逸脱。いざというときに動けるように、ちょっとしたルールからの脱出の鍛錬を積んでおく。緩やかなアナキズム。

・傲慢さ(偉そうな態度)を潰した方がいいのは、そこから権力構図が生まれやすいからだ。

09.13(金)

・急に秋になった。ギリ半袖でいけたのに、夜の最低気温が6度って。家の中は寒くないからいいけど。

・対話が通じないと思う相手と接していく道はあるのだろうか。

・商品と作品の違いを探るのは1つの手だろうな。

・”作品制作だけで生きていきたい”という気持ちは、自分の中の奥の方にありそう。だが、それは絵に描いた餅を求め続けているのだろうか。たとえば、強力なパトロンが付いて、生活費や活動費を全て賄ってくれたとして、それで作品制作に集中できるかというと、動き続けはするんだろうけど、形にするかというとしないような気がする。やっぱり何か自身でお金を賄い、何かと繋がるような納得感のある”はたらくこと”があってこそ、作品制作が捗るんだと思う。

・どのような場所に置くか。置き方、つまり対外的な言葉で言うと、見せ方や伝え方は、誰かに任せてしまった方がいいんだろう。そこはほんとに苦手だし、熱中したいところではない。ほんとにそこを手伝ってくれる人を探して、協力してやっていきたいものだ。

・生きるのって大変だ。たまにはそう嘆いたっていいじゃないか。

09.14(土)

・小説ほど好き嫌いの幅がある分野もない。だからこそ、好きな小説または小説家がいて、それをシェアしあうのは、全く自分の範囲外のことに出会える機会になる気がする。

・ゴリラ思考。ある意味で野蛮で大胆だが、ときにはそういう勢いの良さに助けられることもある。「私めっちゃゴリラで〜」という話の入りが強者すぎた。

・創作における置き方として、コミュニティにおける距離感として、”文脈”という見方がある。内容を問わず、この人が言うこと自体に興味を持つというコア層がまずいる。その周辺には、既に文脈が共有されている内容に関しては興味を持つという層がある。ただ、そこでもある程度の属人性があり、個人への信頼はある。さらにその周りは未知なる読者である層だ。だからこそ、文脈を耕すことが大事になってくる。種を蒔くことで、層の段階によらず、置いたものは発見されやすくなる。そして地道に種を蒔くことで、未来の文脈の収穫に繋がるんだろう。

・文脈とは、過程の行為であり、プロセスだ。プロセスとは、それこそ螺旋である。「文脈の種を蒔かないといけない」だとテンションが上がらない。だから、螺旋であるプロセスを探求する行為だと思ってみる。それが結果的に文脈になって伝わったりするという流れになるのであれば、納得感があってやっていけそう。

09.15(日)

・最近の作品制作の悩みは、「どう置くか?どこに置くか?」なのだけど、置き方の問題じゃない可能性もある。では、置き方ではないのであれば、このまま続けていった先で置き方が定まってきたりするのだろうか。要は色々やってみると、勝手にどう見せるかが決まってくる。今はその色々やってみる段階なのかもしれないな。

・フィルム現像所を使った際のレタッチの扱いをどう捉えるか。フィルムカメラとフィルムの特性、撮影時の体験や撮り方がまず先にあり、それらによって結果は変わる。その最終調整としてレタッチがある。だからこそ、現像所はレタッチがされるから良くないと思うのではなく、むしろその事前にある部分をどう試行錯誤するかが大事であると思う。

・やっぱりいい仕事がしたいよね。