2024.09.02-09.08|雑記帳

09.02(月)

・スペインで暮らせて幸せだったな。それは確実にそうだ。おもしろいこと、そして次に進むために確実に必要なことであったと今は思える。

・いつか必ずロンドンに数ヶ月は住むぞ。

・「守るものがある」と聞いたりするが、「どうせ守れない」というところから始まる出発点もある。

・「YOU ー君がすべてー」シーズン4(最新シーズン)の最終話まで観終わる。こんなにハマるとはね。シーズン4は「ファイト・クラブ」を予習しておいたおかげで、さらに楽しめた。フィクションにおいて、解離性障害のように自己が分離しているキャラクターは、それが悪いことで、たとえば普段の自分ならしないようなことをしてしまったとき、必ず罪の意識からその人格を消し去ろうとする。だが、どちらも自分であり、対話していくという道が描かれることはフィクションではないような。そこが気になった。「YOU」は全体的に、愛についてもだし、誰かを心配することの結果について考えるドラマだったな。最終シーズンも楽しみだ。

09.03(火)

・Vitoria-Gasteizは、確かに小さくてやることはあまりないが、住むにはいい街だろうな。公共交通機関が整っていて、街も綺麗めだった。

・Renfeで隣の席だった兄ちゃんにiPhoneのケーブルを貸す。長い移動で、「こういうときiPadあったら執筆が捗るだろうなぁ」と妄想するが、ないからこそ、ポッドキャストを聴く時間になったり、本を読んで考え込んだりできる。制限されていることで、思いがけずできることをしていくのが、ブリコラージュして生きるということかもしれない。

・そういう場所に行かないのもあるが、スペインでスーツ姿の人を見かけたのは数えるほどだったな。マドリードの特定のエリアなどは割といたが、ほんとに他ではほとんど見ない。平日にスーツ人間が溢れかえっている日本の環境がいかに特殊か。

・「贈与」という捉え方より、「経済圏」と呼ぶ方がしっくりくる。贈与とかなると堅苦しくて、そんなもんじゃないとなる。だが、小さな経済圏で回していく感覚はあるし、自分も思わず渡してしまうことが、経済圏では発生するからさ。

09.04(水)

・スペイン暮らしの締めくくりとして、最後にBarcelonaへと戻ってきた。住んでいたときはほとんど雨は降らなかったが、朝から豪雨だ。そういうときもある。ずっとBarcelonaに憧れてきて、数年前に滞在してからもある種の幻想のように良い街だと思い込んでやってきた。だが、実際に住んでみてスペイン各地を回ってみると、”そんなに好きじゃない”と思った。だが、こうして最後に来てみると、”意外と悪くない”とも思った。たまに来るからいいのだろうか。

・いつでも行けるけど、いつでも行かなくていいというのが、暮らしの難しさかもな。

・行ってみて、離れて、また行ってみる。何度も行って街を知るというのもありかもしれないね。

・今日は予定をとにかく済まし、人とも話して、てんこ盛りでバルセロナを楽しんだのではないだろうか。

09.05(木)

・ああ、ついにスペインを去るのか。心置きなくとはいかず、どこか余韻が残る。どうだろう。でも、やれることはやり切ったような気もする。

・悪口というか、批評とは自身の言葉を探すための旅だ。「結局は」「普通は」といった言葉に巻き取られずに考え続けるためのものでもあるんだろう。

・自分的には、批評はエンパワーメントというか、力こそパワーのような陶酔ではなくて、ふつふつとした気持ちを湧き上がらせてくれるものだ。良し悪しではない世界線。どちらでもない気持ち。楽しいものであると思う。豊かでもあり、そして豊かではない状態のときに、豊かさを取り戻す運動かもしれない。行為というか運動かもな。

・まさかの着陸拍手で笑った。全然揺れてなかったけどな。初めてのブルガリアにそわそわ。空港の駅でババア集団に自分のチケット分でキセルをされたりと洗礼はあったが、Sofiaの街並みや雰囲気は好きになれそう。

・アメリカの女優「Jessica Lange」の写真展「Masters of photography 16th edition Jessica Lange Photographs」が、ブルガリア国立美術館でやっていた。知らずに入ったが、とても良かった。旅のストリートフォトグラフィ。構図がいいのはじっくり構えたからなのかな。女優として見られ方を知っているからこその、人間が心地よく感じる構図を直感的に理解しているのかもしれない。

09.06(金)

・ふとその辺のガードレールを見ると、ブルガリアの国旗カラー(白・緑・赤)だったのが、能天気感あって好き。

・「違和感」とは「嫌だ」という感覚以外にも、「おっなんだこれ」みたいな発見でもあるんだよな。

・「それらは別軸の話なのに、どうして同列で語ってしまうのか」と思うことが割とある。

・「〜してはいけない」思考がどうして良くないかというと、それこそ自己が破滅するからなんだよなぁ。

・知性または理性とは、各自が武器を持ちたがる中で、武器を持たずにやってみようという試みなんだろう。

・「街場の親子論(内田樹・内田るん)」がおもしろすぎて、サクサク読んでしまった。言葉には言い落としがある。確かに真実のみで構成して表すが、そこに言い落としがあるために、必ずしも本当の自分ではなくなることはある。だがそれでいいのではないかという帰結は好きだった。”本当の自分”というものにこだわるよりかは、それでも手を伸ばすこと自体が豊かなことであるように思う。

09.07(土)

・ほんとに何もしない休日はきっと必要だし、夜のリラックスする時間も大事なんだけど、たくさん休んでしまうと、そのあと溜まったものを”処理する”みたいな認識になってしまって、苦痛になりやすい。続けるものは、毎日少しでも手をつけるのが、良い折り合いなのかもな。

・プロセスは大切なものであると強く認識しているが、プロセスを経ずに見たままを捉えるということも、時にはちょうど良い行為だと言えそう。

・わかんないけど、今思えば、やっぱりスペインでは「スペイン語喋れない言うても、簡単な単語ぐらいはわかるやろ」的な態度の人が多かったような。世界的にはスペイン語は全くメジャーじゃないのに、南米などで話されているからか、そういう驕りがあるように思う。ブルガリアは首都と観光地だからか、英語で対応しようとしてくれるもんな。この辺は一概には言えない話ではあるけどね。

09.08(日)

・Olympus XAの蓋が閉まらなくなり、「テープとかで止めなよ」と言われ、「そんな野蛮な!」と思ったが、すぐに修理できるわけでもないし、テープで問題なかった。

・勢いの良さに助けられることがある。逆に言えば、勢いさえ出せばいいのに、そこを躊躇って問題が根深くなることって結構あったな。

・人も世の中もどうせ変わっていく。変わらなきゃ困るのだから。だからなんとかなるみたいなね。