2024.08.19-08.25|雑記帳

08.19(月)

・腑に落ちたときは、きっと何かが変わるときだ。それまでは物語を読んでみよう。

・大型犬に健やかに育ってほしいという気持ちで。

・レタッチをする。デジタルもなかなか良い。

・流石にそろそろバイクに乗りたい。

・「疲れているから放っておいてくれない?」で、了承してくれるのって、日本独自のコミュニケーションなんだろうか。たとえば、英語圏では「疲れてる」「気分が良くない」と言い出した瞬間、「どうしたの?」と心配されて根掘り葉掘り聞かれる、または看病される感じがある。放っておかれる方が有難いという感覚は、あまり通じないような。むしろ、そこにも理由が求められてしまう。

08.20(火)

・朝7時から工事の音がうるさい。まあ今日は予定あるから早起きだし、どうせいつも騒がしい。隣の部屋(のアホ)が、「朝7時から工事なんて!」と嘆いていたが、こいつはほんとに天然なのだろうか。「自分がその工事並みにいつもうるさいんやで」って感じで、流石に笑ってしまった。

・どこも家賃が高騰してるよなぁ。

・努力じゃなくて、好奇心のチケットによって入れる場所は確かにある。でも好奇心すら萎むときはあるから、そのときはケアが必要なんだろう。

・間に合いそうになくて、間に合いそうになってハラハラする。どしっと流れに身を任せるという余裕がない。

・高速道路を通るバスが工事で徐行していく。工事の人がその道路の脇で立ちションをしてるのが、徐行のスピードでゆっくりと見えた。

・夜中にベランダで洗濯物を干していると、屋根を移動してパトロールしてた近所の猫と目が合う。いつもの仲良くなってきた子じゃない。じっと見つめられた。徐々に見えなくなる位置に移動して、柵から耳だけ出して見つめてきたり、今度は柵の間から顔だけこちら側に出して見つめてくるなど、行動がおもしろい。結局逃げられた。猫おもしろいな。

08.21(水)

・内面的な美を尊重する上で、絶対的な美を追求する矛盾こそが美のプロセスなんじゃないか。

・Malagaは好きな街かもしれない。良い街は直感で良いってなるし、良いことが続く気がする。単にテンション下がることが最初にあると好きじゃなくなるだけなのかな。

・「Museo Picasso Málaga」に行ってみる。ピカソの作品よりも、同時に行われていた「Joel Meyerowitz Europa 1966-1967」という写真展をじっくりと観ていた。Joel Meyerowit(ジョエル・マイヤーウィッツ)のことは知らなかったが、めっちゃ好きな作品だった。ストリートは騒がしい写真が多くなりがちだが、Joel Meyerowitの写真はどこか静けさがあり、そこがすごく好きだった。「うわ、こういう展示の仕方あるのか」というのがあり、悔しいというより「やりおる!」って感動があった。Vivian Maier(ヴィヴィアン・マイヤー)も好きだし、アメリカの1900年代前半のストリートフォトグラファーが好みなのだろうか。アメリカやヨーロッパのこの年代のフォトグラファーをもっと知っていきたい。

・ストリート写真においては、物語性と騒がしさをどのように扱うかがポイントになりそう。物語性を付与することは、ときに暴力的で一方的なものであり得るという前提から始めたいと思っている。それにどうしたって騒がしくなりがちなジャンルだからこそ、自分は静けさが伴うものが好きだし、撮っていきたいと思う。

・やっぱり写真集は作りたいし、写真展もまたやってみようと思えた。

08.22(木)

・「わかる」と思うときは、バランスがわかっている。となると、正しさの妄信という可能性もあるが、「ちょうど良い」が自分なりにあるということだったりするんだろうな。

・テラスで飯を食ってのんびりする頭を使わない休日が必要だ。

・光に照らされるところも美しいが、逆光の膜のようにじわっと光もまた美しい。膜というと、剥がした方が良いものに思えるが、じわっと広がり包み込むような膜もある。

・適切な保存とはいつなのか。写真で撮ることで、そのときを楽しめないことは確かにある。だが、撮らなかったら何も覚えていない。いつか見たときにそのときの記憶を追体験する。あるいは見直さなくても、何かのきっかけで蘇ってくる。保存のタイミングをいつにするか。当日よりも後日の方がより濃くなる気がして。この考察荒いからもう少し考えよう。

・フィルムの現像所にレタッチを任せるのは、AIの力を使うようなものだ。既にLightroomにはAIは組み込まれているし、そもそもパラメータの設定はレタッチソフト任せだ。それらを使ってレタッチをしたものは、果たして自分だけの結果と言えるのだろうか。プロンプトを組むように、現像所には指示を出して、その上結果に対するフィードバックを細やかにしているのだし、手を動かす部分を頼んでいるだけで、仕上がりは自分のものと言えるのではないか。デジタルと同じように。

08.23(金)

・バス停でおじいちゃんが「ほら、バスが来たよ」的なことを言ってくれた。まあ見たらわかるけど、ありがとよ。

・なぜか急激にラランドにハマっている。ラジオも聴き始めて、YouTubeも観ている。こんなに下ネタがおもしろいとは思わなかった。それに、ニシダが意外とちゃんとつっこむし、それを思わず少し笑いながらもボケを重ねるサーヤのやり取りがおもしろい。コンビ間のやり取りがおもしろい芸人が好きなのかな。

・空港はやっぱり嫌いだ。謎に待つし。全部混んでいるし。

・バスク地方の街、Vitoria-Gasteizへ辿り着く。着いてすぐに素敵なおばあちゃんとニコニコ会話する機会があり、スペインのバスの運転手は死ぬほど無愛想という偏見を超えて、めちゃ物腰が柔らかく親切なバスの運転手に対応してもらう。トラムの駅でバスカードを購入しようとまごついていると、ヒゲのおじさんが買い方を教えてくれた。デカいスーツケース片手だったからだろうな。正直、お金をせびられるパターンのおじさんだと警戒心マックスの渋い顔をしていたのだが、請求されることもなく、ただの親切なセニョールだった。怪しんですまぬ、ほんとにありがとう。街も綺麗で、なんだか意外とこの街が好きになれるかもしれないぞといい気分。

08.24(土)

・スペインは南よりも北の方が合っているかもしれない。

・愛しのプリングルスのケチャップ味が売っていた。6年前にスペインへ来たときに見かけていたのに、今は全く見なくなったから廃盤になったのかと。

・いい街はたまたま人に親切にされたり、快適なことがあったり、近所のスーパーの品揃えが良かったり、そんなことがある。逆にいうと、そのぐらい些細なものの積み重ねが、良い環境の根拠であったりするのかもしれない。

・昨日まで40度近い暑さだったのに、こちらでは曇りで20度を下回り、真夏なのに半袖ハーパンは寒い。

08.25(日)

・ぶらぶらと美術館に寄る。日曜日でも空いているのは地方では珍しいような。現代アートを見る。この一見、意味不明なアートを作った人は、テンションが上がってたのだろうか。いいもんできたわーとか。やっぱ気持ちが気になる。どのようにものを考え、何を感じて、どんな気持ちで作ったのか。作品だけそこに置かれても、文脈があるでしょうにと思う。何かを感じ取れと言われても、作った人は文脈から逃れられない。そこから逃れようとトライした結果ならいいが、文脈ありきで作ってるのにそれを見せないのはなんだか釈然としない。

・あんまりだなって思うストリートフォトグラファーの写真は常に騒がしいよな。好きなのは、どこかに静けさがある。騒がしいものになりがちなストリートだからこその静けさだ。この静けさとはどんなものか、もっと探求してみたい。

・自分にとって何がいい街なのかを考える。街に期待をしすぎると飽きやすいんだろうか。自分の内的な気持ちや作るものがあれば、あまり場所を問わないものかもしれない。