2024.07.22-07.28|雑記帳

07.22(月)

・コミュニティは実験の場所としておきたい。彼岸と此岸を行ったり来たりすること。恩送りをすること。沈黙と共にあること。わりと極端であっても、普段難しいと思えることをやってみて、どうなるか持ち寄る場所としたい。

・居心地良くて集っていくというより、人との関わりを捉え直す場所にし続けるために耕しておく感じだ。

・共同アトリエを作りたい。それもクラファンでやるんじゃなくて、自宅を開く感じにして。

・ムルシアでは、夜にみんなベンチで喋ってたりする。昼間は暑すぎるんだよなぁ。

・「Oasis」が好きだったけど、Noelのソロ活動の曲は数曲聞いたことある程度だった。「Noel Gallagher’s High Flying Birds」と言うらしい。名前ながって感じだが、結構好きな曲多かった。あれだけ破天荒そうなのに、繊細な曲を書いて、歌えるんだな。声はLiamより好きかもしれん。

07.23(火)

・「武器としての土着思考(青木真兵)」を読んでいく。近代の原理が、全てを商品化してしまっているという指摘は、まさに忘れてしまいがちなことだよな。そして、個人の固有の物語が何度も語られることは、本筋とされる原理の外に出てみることになるんだろう。

・対話が刺激的すぎた。いやぁおもしろい。たのしいなぁ。なんだかスポーツで汗かいたような清々しさがある。笑顔が弾けているのが、自分でわかる。頭がぐるぐると動きすぎて、PCのファンが回っている状態みたいだ。クールダウンがいる。

・こういった清々しい楽しさが、肩の力をゆるめるのかもしれない。

・話半分に聞くこと。それは文脈をゆっくりとひとつずつ知っていくからこそ、構成される態度であるように思う。

07.24(水)

・新しく買ったフィルムカメラ、Olympus XAが届くはずなので、宅配業者を待っていた。だが、家にいたのに不在にされた。噂のやつだ。スペインではあるあると聞いてたやつ。やっぱり業者によって信用度がかなり変わる。萎えたが、保管先が近所だったので、無事にスムーズに回収できたので良かった。

・ムルシアで昼間(14時以降)に店が閉まるの、いよいよしんどくなってきた。行く場所ないやん。

・実体よりも影を見てしまうな。木々だったら葉っぱを見ないまま、影だけ見つけて美しいなと思っている。

07.25(木)

・目当てのバス停がどう見ても存在していなくて、仕方なく次のバス停まで行こうかと彷徨っていたが、ちょうどバスが来てしまったので、乗せてくれアピールをしたら乗せてくれた。

・デカデカと「Guess」って書いてあるTシャツを着てる人がいた。「思います!」みたいなことかな。

・なぜ嫌いで、許せないのか。そこを考えてみると、自身をより深く探求できそうだ。むしろ共存とは、嫌いであっても仲良くできる道を作り、許せないことを許せないまま捉えてみることなのかもしれない。

・作品単体で見るのと、コンテクストを含めてその相手の全体の流れを掴むのでは、受ける印象は大きく変わるんだろうな。

・おもしろさって発見の喜びだ。

07.26(金)

・街の中心部へ向かうための家から少し離れたバス停では、番号が同じなのに、家の方向へ戻るバスもあったらしい。間違えて乗ってしまい、スマホを見ていたので気付かなかったが、慌てて降りようとする人がいて顔を上げると間違いに気付き、一緒に降りる。おっちゃん助かったぜ。同じ間違いをしたっぽい、そのおっちゃんが駆け出し、クソ暑いのに、自分も駆け出して元のバス停へ帰る。本来乗りたかったバスには乗れた。ムルシアのバスとは相性が悪い。というか、この街と相性が悪い。というか、気付いたけどムルシア楽しくねぇな。

・スペイン人は、ムルシアのことを”スペインのフライパン(Sartén de España)”と言うらしいが、フライパンは調理器具であって、そこに食材がなければ、空腹は満たせない。ここは食材がない街だ。だからつまんねぇんだろうな。何かを炒めるならば、自身で持ち込む必要があるんだろう。

・現代アートの”ぽさ”ってなんだろう。どの国のアーティストであっても、現代アートの作品はなんか似ているような。

・フィルムカメラは写りというか、撮る際の体験が重要なのだろうか。プロセスが良いものであるほど、満足度は高い。もしかしたら鈍さに良さを見出しているのか。ある種の鈍さをある程度含んでいる方が良さそう。鈍さがここに繋がった。

・夕陽が好きだが、夕陽に照らされる大地の色合いの方が好きだ。ここでも光自体ではなく、影が生み出す陰影に着目しているようだ。立体感でもあるのか。中判フィルムの立体感への良さは、そういった陰影の重なりが関係しているのかな。

07.27(土)

・英語っていいよなぁ。違う国の人たちと繋がれるツールだ。だからこそ、英語でもっと喋りたいし、身につけることが人間性を立ち上げることでもあると思う。

・啓蒙主義という言葉があるのか。理性による人間本来の自立を促すこと。主義という言葉は嫌いだが、日々考えていることはこの言葉とわりと近しいことかもしれない。

・共感という病が蔓延してる。嫌いだけど仲良くできるというのは、理解できない相手をそのままに、そういった自分も損なわないままに、プロレスを仕掛けることなのかもしれない。

・クリエイティブとのバランスは必須だろうな。休むことを覚えたい。落ち着く場所に出向いて、本を読んで思索にふける日が定期的に必要だ。さらに、頭を空っぽに爽快な清々しさを感じる日も必要だろう。出掛けた翌日の家ほど気持ちの良いものはない。

・差異はある一定のラインを超えるまでは、もどかしく激しい拒否反応を抱くが、そこを超えてしまうと、可笑しみが生まれてくる。それこそ笑いであり、ユーモアだ。

・「こいつ嫌いやなぁハハハ」と思えると、ちょうど差異がユーモラスに思えてくるラインに乗っかってくる感じがある。

・話半分に聞くって、マジで真理なんじゃないかと思い始めた。

07.28(日)

・「え、なんでそれしてしまうん?」という出来事に遭遇する。咄嗟に嫌悪感が沸いてきたが、そもそもどういった部分が受け付けなかったのか、今だにわからない。手に負えない出来事というものがあると知る。

・突然PCが固まり、書いていた文章が消えた。もうほんとにムカついた。自動保存されていないプラットフォームにも腹が立つ。取り乱した。なんとか少しだけ思い出して書き直す。目つきが悪くなる。

・今日は上手くいかない日だ。こういう日は、あらゆることが神経に触る感じがある。書くのは諦めて、散歩してみる。特に何かあったわけではないが、一息つけて良かった。