06.10(月)
・基本的な文章の添削や編集は、AIに任せることもできるのか。使い方次第だなぁ。
・サイコパスや独裁者は、敬意を示して指示に従う限りは、親切に振る舞う。そうして、人を操るんだろうな。
・アートについて考えてみる。とある個人の表現をせざるを得ないものが、おそらく社会の役に立たないもの=アートであると追いやられている気がする。そういう役に立たない無駄なものこそアートで素晴らしいと言えるのだろうか。自分のせざるを得ないものが、役に立つ・立たないの目線から解放されている前提で、でも誰かを助けてしまうことが、個人の表現にはあると信じておきたい。
06.11(火)
・不眠は頭が目覚めていることにあるんだろう。だが、ここ数日は、頭は休みたいのに、不調な身体が寝させてはくれない。意識は失ったのに、眠れている感触がない。
・マユリカのYouTubeが初のライブ配信ということで途中から見に行ったら、いきなりパンイチの2人が大写しで、ほんとに期待を裏切らない2人だと思った。中谷のパンツの色を当てるという流れがあり、視聴者は飼い慣らされすぎている。何を見せられているのかと思いつつ、最後まで観る。
・不安をなくしたいとか思っちゃうけど、それはそうだよな。不安にもなるよ。不安になって当然だ。打ちひしがれて当然だ。不安があることに、そりゃそうだと思うところから始めようかな。
・また真夜中に天窓を開けてみる。虫の声が聞こえて、うっすらひんやりで、街は眠るために静かだ。やっぱり静かなの最高だよ。そういったアジールで力を蓄えたい。
06.12(水)
・”家さえあれば”という考えは、家を手に入れた後、きっと切実な日々のタスクに置き換わっていくのだろう。だとしても、その変化を受け止めたいからこそ、固定の家に住みたい。
・いつの間にか「THE FIRST SLAM DUNK」がNetflixで観られるようになってた。山王戦は、ほんとに何回読んで観ても泣けるな。
・何かを見せながら説明するように話す人って、新鮮だ。そういえば、自分はそういうことはしないな。
・褒め合ったり、オーバー気味に思える好意的なリアクションしたりする場は、どうして引っ掛かりを覚えるのだろう。嘘っぽいからかな。まあほんとに思っている人もいるのか。でも、静かに好意を示す場の方がいいなぁ。
06.13(木)
・雑談、主に音声配信における雑談について、数日ずっとぐるぐると考えている。聴くことを前提にすると、雑談を聴きにいこうとは思えないんじゃないかと思ってしまう。だけど、こうして毎日書いているカイエ(雑記帳)に目線を移すとどうだろう。この文章だって、誰に読まれなくても、ここに置いておくことが大事だと続けてきた。そう思うと、雑談を配信することと似ている気がする。だとすると、音声を残しておくことは、立派な”置くこと”ではないか。
・コミュニティに属人性よりも、内容に重きを置くこと。それは少し横暴な態度だったような。属人性のない対話の良さもありつつ、人を知った上で対話できてもいいのかもしれない。そう思うと、人を知り、判断しない道もあるのではないか。
・人を貶して閉じていくより、人を歓待して楽しむほうがいいわ。コミュニティの人も距離は大事だが、無下にしても何も始まらない。
06.14(金)
・軸足を乗せたまま、片足を外に出すことか。やはり帰る場所、避難する場所があってこそ、外へ出て行き、見て回れるのはあるよな。
・安心にすがるのは良くないとか思ったが、アジールを作ってもいいか。そうやってやっていけるなら、そういう生き方もありだ。
・「勉強してる」を「便器してる」と真剣に間違えた日本語学習者に、どんな返しをしようか悩んでいる。
・罪悪感なのか。常々抱くこの気持ちは。解き明かしたい。そんなギルティー的な観点ではないかもしれない。
・外に出ると、なぜか目がしょぼしょぼしてきて、うっすらと涙が出てくる状態がずっと続いた。お酒を飲むと、普段より速攻で酔いが回る感じがあった。肌荒れもある。いつも以上に英語のフレーズが出てこない。何かのアレルギーなのだろうか。流石にコンディションが悪すぎる。こういうときに過度にそのことに言及したりしてこない人の有り難さ。どうしても新鮮な空気を吸いたかったので、こうして出掛けられて良かった。
06.15(土)
・自宅という枠を手作りすることは、安心にすがることでもあると思ったりした。だが、そもそもずっと内側へ引き篭もるために作るわけじゃない。むしろ、アジールがないことの恐ろしさが身に沁みたからこそ、家を置いて、それがある状態で外に出ていくことを試したいわけだ。そう思うと、アジールを、ホームを求めることへの納得感が生まれるだろうか。
・Substackでニュースレターというか、連載をそこで書くのはありだな。やっぱり、往復書簡のように定期的に書きたい欲がある。誰か誘ってもいいな。
・窓を開けて、外の空気を入れること。フィジカルとしても、メタファーとしても。新鮮な外の空気を入れることで、道が出来てゆく。窓はその媒介となる。
・思えば、俺はスペインでは人種的にマイノリティと言えるのか。そのことをよく忘れる。確かに見た目が明らかに違う人々といることを実感はするが、やっぱり人種という枠はしっくりこない。何を勝手に分けとんねんという感じ。
・ふつふつとした文章。素晴らしい、おもしろいというより、このふつふつと気持ちが動くような感覚。そうとしか言えない。そういった文章に触れると、自分も書きたくなる。
06.16(日)
・移住やローカルの文脈において語られがちな、”街”という言葉。そもそも街と関わりたいという気持ちがよくわからない。関わるのは、目の前にいる固有の人だ。この辺まだ不明瞭だが、とてもモヤモヤする。
・どこに住むか決めるのは難しい。そうだよな。シンプルな問いを忘れてたかもな。
・各自どうぞ好きにやってくださいという気持ちで。だけど、自分はこう思っているという気持ちは持っておく。穏やかに問う態度でいたいものだ。