05.27(月)
・梅雨を嘆いたりするが、雨がないと風土も空気も崩れてしまうのではないか。雨が降り、水が循環するからこそ、他の季節に美しい自然が育つ。
・日本では雰囲気が強い力を持ち、スペインではお節介が強い力を持つんだろうか。
・タバコを咥えながら重機を動かしている。
・スペインでは、醤油は塩気と甘味があるものという通説らしい。こちらの醤油は種類によって、ドロッとした甘辛い味のものがある。あれは醤油ではないぞ。
05.28(火)
・自分がそのまなざしに惹かれる人とは、その素直さを悪用しないというか。素直さはある意味で、「だって素直に思ったんだから何したってこちらの自由だ」という思考になってしまったりする。だけど、それは美しくなくて、そういう使い方をせずに、わからなさに留まる人は美しいなぁと思う。
・スペインのレストランは高すぎて、やっぱりあまり行きたくないな。確かに美味いのだけど、高すぎてテンションが下がる。この金額だったら色んなことができると思ってしまう。フィルムいくつ買えるねん。
・「SUITS」シーズン9(ファイナルシーズン)を観終わり、ようやくという感じだ。マイクが離脱したり、ハーヴィーが迷走したり、途中で長らく止まってしまったのだけど、なんだかんだで完走できてよかった。嫌なやつだったルイスが、どんどんアツい人物になっていき、ルイスがいたからこそのSUITSだったな。権力争いにより、事務所の名前が変わりすぎるので、離職率ヤバそうだと思った。後半はほぼ全ての会話が、喧嘩で終わるので、お互いに話聞きなよとか思ったが、意見はハッキリ言うというアメリカ文化を投影していたのだろうか。また見直すことはないだろうが、マイクとハーヴィーのコンビはやっぱり好きだったな。
05.29(水)
・Instagramで「All eyes on Rafah」というストーリーズが急に出回っていて、少し調べてみる。そもそも、今はニュースを一切見ていないから、ガザ侵攻のことも、ましてやウクライナ侵攻や能登半島地震のことも、ほんとにわかっていない。まとめられる出来事ではないけど。それが良くないことだとも、推奨されることだとも思っていない。だからこそ、こういうきっかけが回ってきたことで、少しずつ知っていくタイミングなのかもしれない。調べてみて賛同できそうだったので、自分もシェアしてみた。「戦争が」とただ遠くから言うだけのことに何の意味があるのかと思ったりもするが、意味を求めては大事なものを見失うだろうからやってみたい。
・たとえば、日本が戦争状態になって、侵攻されてもはや日本は日本ではなくなってしまったとして、兵士の募集があっても、その相手を倒すために志願することはないだろう。もちろん、日本がそうなってしまったことに怒りはするが、国のためになんて気持ちは1mmもない。だって国民の前に人であるから。どこかに逃げて、生き延びる道を選ぶだろうな。
・流石にそろそろMacを買い替えないといけないぐらい、色々とガタがきている。買い替えって、資本主義一直線って感じで嫌なんだよなぁ。無料で交換してほしい。ダメか。ダメですよね。
05.30(木)
・やっぱり自分は他者をジャッジしているところはある。何かを批評して、言及しても、それに対する判断は保留にしながら喋ることはできないだろうか。
・帰国して家をどうしようとやっぱり不安に思うが、以前書いた家の話のように、重量のある定住をするのだ。そして、家がある状態でどこかに行くことをしてみたい。アトリエみたいにもしたい。ホームを作るのだ。そうだ。その楽しみ一択だ。現実にできるとか、近隣の関係とかは、あまりどうでもいい。ただ、自分にとってのホームを作るだけだ。楽しくないことはしないぞ。
・ポートレートの撮影において、”私のまなざしであなたを写します”という姿勢を見せることが大事なんだろう。一緒に発見していく感じ。撮る側と撮られる側だけではなく、共同作業であること。自分にとっての発見ではあるが、撮られる人にとっても発見であるのだから。
・おもしろくないから雑談はいらないというと、閉ざしてしまっているよなぁ。もっとやりようはあると信じたい。
05.31(金)
・何かを失っても、不在の在は感じられることができるのが、人間の美しさでもあるのだと思う。
・日記文学に少なくない人が惹かれているのは、人の生活は意外とありきたりであることに気付き、自身の生活を観察し直すことができる点にあるんだと思う。だとすると、このカイエはそういう要素は少ないと思っていて、また日記文学とは違う位置にあるのかもしれないな。
・ピクミンの実況動画が見たくなった。
・初めての中判フィルムの現像が終わった。思った以上に良い出来で、ほんと楽しい。多重露光になってしまった写真もあって、味わい深い。もっと撮りたい。
06.01(土)
・自分の理解の範疇から越えるのが他者であり、変化することでもあるのかもしれない。
・新しく解禁されたバスルームのシャワーを使うと、廊下に大量の水が流れていき、大惨事になる。普通にシャワー使っただけなのに。ホストにどうしたの!と言われたが、こういうとき、絶対に俺のせいではないから怒られたくないと思ってしまう。ホストがぷりぷりしている間に、原因を探してみると、排水溝が詰まっていたからだった。前の人が詰まるような洗剤を使っていたらしい。後ほど迷惑かけてごめんねと言われたが、はあ疲れた。意見を表明するのって大変ね。怒っている人は冷静じゃないから、問題を解決しようとしても、目の前のことで頭がいっぱいになるの勘弁してほしい。廊下に水が漏れるバスルームってどんなんやねん。
・サッカーにおいて、利き足にぴったりパスが来るのは、やっぱりラ・リーガだからだし、でもだからといって、粗いパスでも点が決まりそうになることはあるのか。
・CL決勝のドルトムント対レアル・マドリードをライブ配信で観る。もちろん、バルサファンとして何も知らないドルトムントを応援する。前半はすごく良かった。パスが粗くても、チャンスは作れるものだ。そこで出す?というような、ラ・リーガでは見られないようなギリギリのパスもあった。改めて、ラ・リーガのチームは止めて蹴るが上手いんだなぁと実感。後半で2点入ったところで観るのをやめた。レアルが喜んでいるところをなんで見なあかんねん。レアルはなんかズルしたと思う。CL出禁にしよう。はあ。来年はバルサ強くなってほしいなぁ。
06.02(日)
・人が同じ空間にいて、沈黙を共にできたのなら。おそらく長らくそういうことをしたかったが、それが排除されることに繋がるとわかっていたからできなかった。でも人間は慣れるもので、その沈黙に焦りではなく、居心地の良さを感じられるようになっていけるだろう。
・寛大であると同時に、批判者として話をすることの大事さ。
・「人類学とは何か(ティム・インゴルド)」社会的と生物学的アプローチの対立。どちらも部分的には説明になっているが、全体像を得るには二つを一つにする。インゴルドの言う、「相補理論」という歩み寄り。そして、社会関係と有機体であることは二つの面ではなく同じ一つのものであるという話。二元論をやめるとか、両面を見るとかあるが、一つの面として歩み寄り見てみること。共存もそうだ。岡本太郎の対極主義から共存と結び付いたが、はなから対立する全体で合わせようとするより、どちらも部分的であることを認めて、歩み寄ることの視点。これすごくハッとした。インゴルドの言うように、生はあらかじめ与えられるものではなく、絶えず作り出されるものであるのだろう。
・自分は雑談をなめているんだろうか。確かに出来事を共有するって、よっぽどの人かAIじゃないとしないな。こうして出来事を書いたりするが、公開する文章は絞ってる。感情を話すことは多いけどな。出来事を話すことは、相手につまらないと思われる、否定されるんじゃないかという恐怖もあるかもしれない。