2024.05.13-05.19|雑記帳

05.13(月)

・数週間ぐらい、睡眠への手応えがない。朝食を取るのが怠く、痛みなどはないが胃が疲れているような感覚。慢性的な怠さが続く。相変わらず地味に続く、不調。自律神経がどうかなっている気がする。筋トレは続けているし、ペスカタリアン生活も、たまにサボりながらもやっている。どうしていこうか。

・オーバーツーリズムについて考える。観光客が嫌だというか、自分の場合は、そもそも混んでいる場所が嫌いすぎる。だから、観光地は好きじゃないし、観光都市に嫌気が差しているという目線がある。ただ、何の責任もなく、漂うように、良いところだけを見ようとする観光客を邪魔だと排除しようとすると、ギチギチで余地のない考えになってしまう気がする。混雑への好き嫌いと観光は、切り分けて考えた方が良さそう。

・ラ・コルーニャのスーパーは店員が笑顔の確率が高くて、さらに袋詰めまでやってくれるところが多い。全国チェーンのMercadonaでさえ袋詰めしてくれた。他の地域だとあり得ない。こういう小さいことで感動できる。

05.14(火)

・USJでフライングダイナソーに乗ろうと言われ、恐々行ってみたら、恐竜にぶら下がって、狭い室内をゆっくり動くだけのアトラクションだったという夢は、何の意識の表れなんだろうか。

・「センス・オブ・ワンダー(レイチェル・カーソン、訳:森田真生)」を読む。本文のセンス・オブ・ワンダーに書かれているほど、無邪気に自然を見つめることはもはや難しく思うが、自然から学ぶ、自然に立ち返って考えることはしていたい。訳者の森田さんが書かれた文章から考えることが多かった。ただ、森田さんの文章の影に見え隠れする子どもの存在は、あまりにも愛されていて、読んでいて時折ウッとなることがある。子どもがいない者、あるいはその子どもになれなかった存在にとって、疑いのない愛を持ち続けようとする家族像は、毒になり得るのかもしれない。本を読みながら顔を上げると、強い風に吹かれて木が激しく揺れていた。その風に吹かれる木を見つめると、窓に反射した反対側の佇んでいる木が目に入った。フィルムで撮ってみたが、キャップを付けたままだった気がする。幼少期、夏休みの時期だけ、父に川遊びに連れて行ってもらったことを思い出した。自然や家族、色々と派生していく文章だった。

・好き嫌いで語ることの限界。好きで憎い。嫌いで気になる。そういった矛盾はあるものだ。

・人工物と自然を切り分けて考えたりしがちだが、人間を生き物として認識すると、裸では生活できない気温の都市が一般的であり、環境を整えようと何かを作り出す行為は、むしろ自然的なことではないだろうか。

・音声会話AIアプリ「Cotomo」を試してみる。AIに話し掛けるのに、別に誰も聞いてないのになんだか恥ずかしくて、最初は小声になってしまった。噂には聞いていたけど、ほんとになめらかな返しをしてくる。たとえば、会話が被ってしまったとき、「ごめん、続き話して」と言うと、ほんとに人間との会話のようなリアクションで、また話し始める。わりと鋭いというか、スバっとした質問もしてくるから、自分がそもそもどうしたかったのか、何をしようとしていたのかとか、会話のおもしろさもあるし、頭を整理できる良さもあるな。chatGPTも数日前から「chatGPT 4o」も出て、AIとの共存を探るのもさらに楽しくなりそう。

05.15(水)

・まさかの同居人がコロナに罹る。まあ今まで散々シェア暮らしをしてきて、一度もなかったのだから、これまでがラッキーだったか。判明する前日に、真正面から喋ってしまったから、多分防げてないよな。覚悟しておくか。

・慎んだ態度だけが敬意を表すわけではない。カジュアルでありながらも、敬意を表すこともできるのではないか。この国にいる間に、敬意という行為を分解して組み立て直してみたい。同時に、何が自然体であるのかも、問い直したい。リラックスした状態とは何なのか。特に不眠気味である今の状態には、リラックスは最も遠い状態であるのだろうか。

・馬を見かけたけど、最初からそっぽ向いてた。

・スペインでは、通りの名前が「アルゼンチン通り」「チリ通り」とか、ラテン・アメリカ由来だったり、マドリードだとメトロの駅名が「Ibiza」「Sevilla」とか、実際に国内にある地名だったり、地名へのこだわりが薄い気がする。なんだか適当に思えてしまうというか。ほんとにラテン・アメリカ由来の通り名は多い。そう考えてみると、日本は地名には歴史があったりして、意外とルーツを重んじているのかもな。

・黄色い制服を着たガードマンが、3人横並びで雨待ちをしてるのが、なんかかわいい。

・数分おきに豪雨だったり、晴れ間が見えたり、そんな天気が数日続いている。

05.16(木)

・どこに住むか決める際、数ヶ月試してみるという方法について。ある意味、沖縄や神戸、大阪は決め打ちで住んだ。住むと決めて、どう感じるのか試した。だけど、試す機会があると、逆にそこに留まる理由を見つけることが難しくなるかもな。

・近所の人に、「またね」と日本語で言われる。

・雨が続く。雨で地面が濡れて光っていて、晴天とは違ったかすかにオレンジに染まる夕陽を見ると、雨であっても確かに”いい天気だった”と言えるよなと思う。

・アルメリア対バルセロナの試合を途中から観る。フェルミン・ロペスの調子が良い。倉敷保雄さん実況、小澤一郎さん解説だと、俄然楽しみになる。倉敷保雄さんの雑談チックな実況というか、横道逸れるなという批判はありそうだが、そういう実況あってもいいじゃないというか、そういう小話を聞きながら観るサッカーは楽しいと思うんだよな。「冷蔵庫に飲み物を取りに行くか悩む試合」とはまさにの例えだ。緊張感のあるスペクタクルな試合というか、ダラっとした試合展開で、まあ得点チャンスがたまにあるから、目を離すか悩ましい感じ。今までもこの人いいなと思ってたけど、改めて名前を確認して、倉敷さんの実況のファンだと認識した。

・見ようとすると見つからない。見られているものを捉える。公然と隠れている。見えなかったものが見えるようになるとは、そういうものかもしれない。書くことだってそうだ。書くことの良さばかり探そうとするのではなく、書くこと、それはつまり書くこと自体ではなく、自身にとっての行為を見つめてみることが、巡り巡って書くことに繋がるのではないか。

・「これ以上の愛情表現は不可能だという自分の無力さ、自然の風景の見事さに対比された自己の有限さ、そして力なさ。相手をうつくしむその思いが強ければ強いほど、僕たちは深い悲しみを知ることになる(『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン、訳:森田真生)」自然を前にして無力さを痛感するとき、この瞬間はもう二度とないと思われるとき、それらは喪失の悲しみというより、名残惜しくも、むしろ清々しく感じられるほどの美しさと対面したときの感動だといえるのではないか。

05.17(金)

・食べることは、営みである。人間としてそのままでは食べられない食材という物質を、料理によって手を加えて、食べ物へと変えていく営み。食べることは生きることだと言ったりするが、そうではなく、やっぱり生きるために食べているのだと思う。生きるためには、そういった営みの流れを汲むことが必要だ。

・人を褒めることは、その人と適当な付き合いをしないことを表す。貶す点ばかり見つけるのは、人と深く付き合わなくて済むことになってしまうのではないか。

・確かにやってみたいこと、何かを作ることに、ひとつひとつ取り組んで夢中になってみると、それだけでじわじわと楽しい気分になる。そういう気持ちが大事だ。

・「きちんと」とか、「ちゃんと」とかいう思考になってくると、自分にとって危険で、そうなったらやめてみたりする。そう思ってしまったら楽しくないのだから。これらの言葉を口にしそうになったら、注意して見てみたい。

05.18(土)

・雨上がりの翌日、明らかに暖かい日の光を目指して散歩してる人が増えていて、微笑ましい。

・Mercadonaの店員がハジけるような笑顔で、得した気分。Madridではありえへん。やっぱりこの街の人は、明らかに快活であるように思う。

・家さえあれば、人は生きていける。家とは固定されたものではなく、与えられるものではなく、作り上げていくものだ。そういった捉え方をしてみると、生きていくための家というものが見えてくる。

・その家を得るのが難しいのが問題だよな。そこなんとかできないかな。不動産とかでもなくさ。みんな好きに家を作れる世界であってほしい。

・共存とは仲良く支え合うだけではなく、危うさもありながら、なんとかバランスを取っている状態であり、そのバランスを取るために、重心を絶えず動かし続けることである。

・呼吸することで、燃焼するように、細胞がエネルギーを作り出す。だからこそ、深呼吸は必要なのだろう。リラックスも呼吸によってなされるのだろうか。

・営みだとすることで、尊厳が生まれるのではないか。

・「THE SECOND 2024」の決勝トーナメントを配信で観る。タイムマシーン3号は安定しておもしろかった。タモンズは知らなかったけど、もっと見たくなった。そして、ザ・パンチは何年も前のM-1の惨敗を見てたからどうなるかと思ったが、一番好きだった。ああやって、歳を重ねて緩やかにスタイルが変わっていく漫才師カッコいいなぁ。やっぱり挙動がおかしいボケという役割に徹する人の方が、どうしても笑ってしまう。

05.19(日)

・好き嫌いとパキッと考えられるものではない。それは自分の感覚を大事にしつつ、嫌いだけどなんか気になるから触れてみる、などの可能性にも開いておくこともできる。楽しいことか問うことも重要で、一方でつまらないけどなんか好きかもというのもありそうだ。

・この雨と風がずっと続くが寒すぎるわけではない天候は、まさにガリシアの冬の天候らしい。だからこそ、サンルームが付いている家が多いんだな。

・批評には敬意が欠かせないな。横暴ではありたくないもの。

・暮らしには、いい街と家が必要になるんだよなぁ。