05.15(月)
・バルサが念願のラ・リーガ優勝。守備が安定するバルサが見られるなんて。シャビありがとう。次はCL頼む。
・理解という具体に落とし込むためには、わかりやすさという普遍性に近付けて、言い換えをしていく必要があるのか。
・対話はコントロールなどできない。なってしまった流れをどう探求していくかなんじゃないか。
・言いたくなるのを見守るというのは、これから大事になってきそう。境界線を知って、お節介ギリギリのところで踏み留まる。
・顧客はどこで満足すれば良いのだろう。公共とどこまでやるか問題。お金を使わないことは、負担を押し付けることでいいのか。そういう考えを取っ払って許すことなのか。
・家は自分の存在の証明になるから必要と感じるのだろうか。
・小説を書きたいと思える日は来るのだろうか。
05.16(火)
・社会というものは、目の前の人との対話から始まると思うから、何度も試みるのだ。
・わかりにくいさ、曖昧さに耐えられるのは、結構慣れがいるのだろうな。でもこれから絶対大事だ。
・基本的に人に行動を制限される筋合いはないって思ってるっぽい。
・差異を認めるとは、最もセンスがなく考えない人々に向上を要求せず、自分ができる共存の折り合いのラインを探り続けることかもしれない。
・深めていくと、普遍性が見える時もある。それが井戸掘りの先なんだろう。
・自分の容量や位置を知る。限界を越えると誰かを蔑ろにする。
・文字を書くとは、外に向かうことなのか。
05.17(水)
・相談ではなく、「あなたはどう思うのか」をただ知りたい。葛藤も含めて、ただどうなのか意味づけをせずに。
・めんどくさい、人によるなど、ファイナルワードがある。それらを使わずに言葉を紡いでいくことは、苦しんで生きるようなことなのかもしれない。
・自分の孤独を形を捉えようとしている人は美しい。そういう人にしか根本的な興味はない。
・「どうして?」を使わずに、その人の考えたことをただ話してもらうには、どうやったらいいんだろう。
・愚痴ではなく、探究を。確かに還元するほどではないが、正しさを保持しているなら捉え直したいとも思う。だけども、抱くところは手放すつもりはない。
・自分の正当性を主張して、相手を貶すことへ抗うのが、いかに難しいか。油断するとそればかりになってしまう。他者を変えることはできない。何ひとつ要求などできない。苦しいよな。歩み寄ることは無理しないためにも難しいが、こういった苦しみの葛藤は大切な機会だったりするのだろう。
・物への執着、蔑ろにされたくない強い気持ち。伝わらないことへのもどかしさ。孤独を突きつけられること。
・「世界中で自分に関係のないことなんてないし(違国日記)」繋がっては消えていく。だからこそ、その輪郭を捉え直そうとする。
・構造ってあるけど、果たしてそれは1人の孤独を抱えた、生の人間を見つめることになるのだろうか。背景を想像することを構造は手助けしてくれるが、それでも対峙するのは同じく生の自分だ。もがいて苦しみ、なんとかおもしろさが表れてくるのをただ待っている、生の自分なのだと思う。
05.18(木)
・ボタンの掛け違い。おそらくそうではないのだけど、ほんとに他者は思い通りに動かず、仏頂面で何も考えてない場合もある。というか、考えていても言葉にならないのかも。そこを責めても仕方ないし、俺にできるのは生まれた感情を見ることだ。
・シェアの悪い面を見過ぎかな。いや、やっぱりそうなると人間の成熟がいるんだろうか。
・とはいえ、楽しもうとする姿勢を忘れすぎかもな。頑なになってる。でも疲れてるから仕方ないよな。それをわかってもらう必要もないのか。
・書くことは祈りのようなもの。何だって書けるからこそ、そのとき確かに存在した美しさを書き残すことを選んでいるのだ。
・実験として、どこかの地域に住んでみるのはおもしろいかもしれないと心底思った。実際の折り合いはどうなっていくのか。それを探る場所。
・書くときって、1人ではないような気がしてくる。孤独の輪郭を確かめられるように感じるからだろうか。
・どこに住もうが、寝付きが悪かろうが、人との関わりに疲弊しようが、必ず朝と夜は来るものだし、いつだってなんだってできて、探究心によってそれらを上回るほどのおもしろいものが発掘されるという確信だけはある。
05.19(金)
・言葉を大事にする人たちだけに囲まれて、事切れたいが、どうやらそうではない世界みたいだから、どうにかこうにかもがき苦しんで生きていくのだと思う。
・とりあえずその場にいてみるという空間。関わらなくてもいいし、関わってもいい。
・一言も発したくないと頑なになるより、まあ挨拶ぐらいはカウントしない、軽い雑談は適当にぐらいの心持ちが良い気がする。頑なは怖いよね。
・人を見るより、探究のためという物でもない、概念のようなものを目指すのが自分には合っていそう。
・素直でいるのって苦しいことだ。だけども、それは生き抜くことを何ひとつくじかないのだと思う。
・なるようになる流れというものは存在していて、そこに紫の火花のようなとっておきたくなる確信は共存している。流れは全部ではなく、確信以外はまあまあやってこうよって感じ。
・関係性は獲得するものではなく、ただそうであったものなのかもしれない。
05.20(土)
・穏やかな風が吹いて、静かな場所で静寂があり、繋がろうと思えば人と話せる。それだけで幸せなのに、なぜ時には難しいんだろう。
・話すことって自分だけの言葉じゃなくて、相手の言葉が混ざり合って出来上がっていく。書くときは自分の言葉で書ける。
・生活に人生を奪われてたまるかよという気持ち。きっと家を決めるということは、まだしばらく面倒だ。だからこそ、それ以外のことに時間を割いてやっていくぞ。
・自分の生活を自分で作りたい。しがらみが多すぎる。ただ穏やかに暮らしたいだけなのに。
・毎日めちゃくちゃ苦しい。でもどうしようもなく幸せな気分のときもある。家族の愛が欲しかったし、何かを体得することが容易で欲しかったし、何も考えず人と話せる性質でありたかった。だから必死で生き抜くしかなかった。切実だった。ほんとに必死で生きてきた。だから苦しんで生きたいって心底思えて嬉しかったんだよ。
05.21(日)
・静寂を守っても開いてると感じる時がある。混ざり合うというか。心は開いてる。人と居ても閉じたりする。
・空虚さで人と繋がろうとする寂しさ。
・闇雲に誰かで寂しさの埋め合わせをすると、それだけで人生終わってしまう。探求したいのに。
・すとんとそこにいてしまった。途方に暮れている。
・普遍的で苦しみもある生活を恐れている気持ちはなんだろう。
・この世界に生きる隙間を見つけていくのが役割であると思う。それは誰かのためになるような気もするが、自分だけのためでもなくて、でも確かに自分を救うためでもある。
・文通のように書いた文章に文章が返ってくるのって、めっちゃおもしろいよな。
・料理はあるものでなんとかするらしい。既存をアレンジするとか。
・自他が混ざり合う。自分の変化と他者の発見。
・存在の偶然性。自分はその人であった可能性を考慮してみる。
・自分のしたことは、何ひとつ他者を変えることはできないのかもしれないという態度。
・利他が何か探るよりも、人に何かしたくなった時、その境界を越えることを自覚する。そしてそれでもお節介をするなら、それに返答がない覚悟をするみたいな捉え方がいい。
・歴史を見ると、自分が受けた呪いを未来に受け継がせないためにしたことが、また呪いになっていく。きっと呪いが発動することは受け取り手によるんだけど、それでも呪いを祓おうとすることをやめたくはない。
・公共性において、そこに置いておくという態度。意思の外部であっても、探ることで苦しむことなんだと思う。
・「見つめた先にあったものは、大抵、私の内にある恐れだった。それは本当に頻繁に、頻繁に現れた。例えば何かに腹が立った日、その感情をずっと見つめ、解体し続けると、最後に現れるのは恐れなのだった。怒りや苛立ちなど、一見、恐れから遠いような感情に見えたとしても、それは必ずと言っていいほど、恐れから端を発していた。(中略)長らく私の体に寄生し、私の感情の発端となってきた恐れは、私自身が作ったものだった。私は恐れの母であり、父であり、友だった。私は恐れを抱きしめた。私が作り、長らく私を苦しめてきたこの恐れを、私は今こそ自分の、このたった一人の自分のものとして、抱きしめなければならなかった。(くもをさがす)」抱えている恐れは、決して排除するようなものではない。静寂を守れないと感じるとき、恐れはただそこに存在することを知った。抱きしめなければならないと確かに感じるときもあるのだ。