2023.05.08-05.14|雑記帳

05.08(月)

・私情を挟まないと、はたらけないよな。

・夢中になる(楽しむ)=写真を撮らないではない。楽しんでいると撮らないのではという意識が入ってしまうなら、何も考えず気になったものを撮ってみるというのがしっくりくる。

・適度な距離感への罪悪感がある。付き合えるのに付き合わないことを選択しているから。どうしてだろうか。

・静寂を守るという表現。守りたい静けさを想像してみる。

・既にあるものに気付くには、発掘するという感覚。

・人を大切にしたいから、人が好きだからこそ、これだけエネルギーを使ってしまうのかもな。

・「芸術はくたびれをなおすもので、くたびれさせるものではないのです。(人間の建設)」ただそこにあるものとして表現されたものは、触れていて疲れることがないんだろうな。

・自我という領域ではない感覚。そういったものが、無明を抑えたものなのでは。ひとりでも複数人でもない。

・詩は活字で読みたい。音ではなく。今のところ。

05.09(火)

・考えないこととお節介。繋がっているような気がしないでもない。

・聞かれるから話す。対話によって引き出される。

・日本は狭いよな。確かに広い国に住んでみたい。

・静寂を守る。人とつながることは容易にできるようになったけど、静けさを抱いて、海に潜るように深くまで自己との対話をしたいときがある。

・参加しないことに理由が必要ない場所というのが、公共性や居場所を考える上で重要になってきそう。「なんで?」と聞きたいけど、それは理由の開示を強要することにもなる。だからすとんとそこにいて、来たら聞くし、離れたら見守るぐらいの態度で。

・「これ美味しいよねぇ」と声を掛けてくれる、コンビニ店員のおばあちゃん。コンビニの冷凍食品のレベルは高いという話をする。人が働いていると実感した。なんだか嬉しい気持ち。

05.10(水)

・見せる、作り出すのではなく、物を生かす、物を見るということ。そこから後から生まれてくる。

・人間として扱わないと、素直さが出ない。言葉を崩したいのはそういうこと。

・音楽に関わる人のエッセイ読みたい。

・最初から「思い付いたから人に見せたい」ってなるのどうなんだろう。

・衣食住の全部をシェアしたいわけじゃない。どこを公共物にしたら自分は納得できるのだろうか。

・人がわかるとその文章はおもしろくなると「人間の建設」を読んでいて納得。

・他者の関係についてもどかしく感じてしまう。それでもただ見守ることなんだろうな。お互いがよければ、他者が口を挟めることなど何一つないのかもしれない。

・拾い集めたものが、また散らばってしまった感覚。言葉が紡げない。もどかしい。

05.11(木)

・塩梅を知るには、やはり振り切ることが必要なんだろうか。

・対話のもどかしさも慣れるような気がする。”もどかしさ”を”もどかしいまま”抱けるような。

・せっかくなら素直さを見ながら苦しんで生きたいね。ほんとにそう思った。

・多分、素直さを隠して、寂しさの埋め合いをして生きるのはもう良くて、あとは生まれてきたものを公共物としてそっと場に出していくことで生き抜きたい。

・槙生ちゃん(違国日記)の態度から受け取るものがある。相手を考えない相手として扱うのではなく、わかりあえない相手として、同時に悩むというか。すとんとそこに存在するような。

・心地よさを感じないという感覚の先にあるもの。

・窓、ソファ、何か作りたくなる机。生活には大事なものが多いな。

・語られなかったことが語られたり、蔑ろにしたくないものを知ったりするのは、とても美しい。そんな瞬間が見たいから、語り得ぬものをなかったことにしたくないのだ。

・人間として、「人生をこう渡っている」という確信を書くこと。

・chatGPTやAIがどうなろうが、どうでもいいじゃないか。振り返ったらそこにあったような確信がまず最初にあるのではないか。

・静寂を守ることをじっくり捉えてみたい。自他の責任ではなく、チューニングは必要であることだから、それを守ることは最優先でいいはずだ。

・久しぶりに人狼やりたい。

・なぜこうも”苦しみ”という言葉が刺さるのだろうか。むしろ苦しんでみよう。きっと取り乱すのだが、それをじっくり受け止めようじゃないかという態度は、何度だって捉え直せるという自身の確信だと強く思えるからこそ、救いになるような気がしているからだろうか。

05.12(金)

・意見を言ったとしても、聞く耳持たないなという人には、わざわざ揉めてまで話したくないと思ってしまう。だけど自分が真摯な問いをしたら変わるのだろうか。でもそれは自分だけではなく、相手と作るものだから成立しない気もする。

・やはり対話の姿勢を続ければ、小さな領域は生まれたように思う。誰しもが語る言葉を持っているはずだと信じていたい。

・今までもらったコンパッションを人に渡そうという気持ちが、初めて芽生えたかもしれない。もらったものはたくさんある。尊重に値する人がそういう場が持てなかったのを知ったとき、少しでも渡したいと確かに思った。

・人疲れしたら、何か物に向かうのが良いかもしれない。

・誰かにできることは、きっとその場に”すとん”と、ただいてあげることだけなんだと思う。

・散々試して失敗して恥を晒してもどかしい思いをしたからこそ、自分に合うものをなるべく選びたいというこだわりが生まれる。それは頑なではなく、確信めいたものに変わったのだから、今はその合うものにこだわったことで、生まれる苦しみをじっくり見ながら生きたいと思えるようになったんだろうな。

・自分の正しさに固執するのは手放していいと思うけど、確信があることにこだわるのは、誰がなんと言おうと、そこから生まれるものを見てやるという覚悟は持ち合わせている。

・「好きなものを拝む」という表現が好きだった。確かに拝むような熱量のもので、人疲れが消えていくことはある。

・宗教は還元主義に陥らないためのストッパーでもあるんだろうか。これ以上掘れないところに「信仰」を置くことで、生活ができるというか。見ないふりとも言える。だからあんまり腑に落ちない。

・対話で美しい言葉に囲まれたい。だから質の悪い言葉を遠ざけてしまいたくなるんだろう。

・どんな人も考えているが、型抜きが単一的だと、出てくる言葉もそれなりだ。

・愛とは人間と人間の関係。独占的になにかを”してあげる”権利。

・「状況が一定じゃないのって、救いだと思うんです」どうなるにしても、人は変わり続けてしまうもので、その流れを見ておくこと。

・言葉を大事にする人たちだけに囲まれて、事切れたい。

05.13(土)

・個を開くと”公共”になる。

・自分に質問を発しているうちに、時間が経つことを恐れる社会なのかもな。

・「抱く」とは「祈り」が含まれているのか。

・気だるい雨の土曜日、空いた電車から見える東京は、なんだか居心地が良かった。

・「プロ」がつく言葉には、「前のめりになる」という意味があった。そうか、だから”プロ”という言葉への違和感があったんだろうな。蔑ろにしてる感。

・好きな文章は、誰かに伝えているより、静寂の中で響く孤独な声なんだと思う。そこに他者の声が混じるとき、好ましくなくなる。

・言葉によって、”今”から引き剥がされる。

・静寂を守りたいのは、”待つこと”をしたいのかもしれない。

・待ってもらえることが、自分の存在の最後の支えになるのか。

・関係性の構築が先か。待つことは意識することでもない。

・日々をじっくりと待って見つめてみると、言葉を飾ろうとしなくても、ただあると信じるものをそのまま言葉にするだけで、言葉が新しいものとして生まれる感触がある。

・物語の怖さは、受け取る側が現実の辿々しさに耐えられず、滑らかな言葉に飛びついてしまうことだろう。

・自分を空白にする感覚。自分ではあるが、自分じゃない。誰でもない。

・感傷に浸りたいわけではないのだ。だからこそ、他者目線からかわいそうな自分を入れたくないのだと思う。

・自分の探究心は人に向けるものではないんだろうな。孤独から生まれたものだ。特に言葉。そこに対して尊重する。探究に真摯であることで、ものすごくおもしろがれる。

05.14(日)

・内面を表現せざるを得ない切実さがある。それがない人はそれでいいのでは。

・人間を尊重したいだけだと、難しい。ある意味で物を探求することになるから、人疲れしにくいし、敬意を払うことはできそう。人には好き嫌いありすぎるし。

・母性への依存。女性だけではなく、何でもしてくれる母ちゃんを求めてないだろうか。人生の態度として。

・今あるものというか、既に誰かから用意されたもので、自分を判断している感じが嫌なんだろうな。だからそういうので人生を生きていく人たちとあまり触れたくないのかも。

・真摯な問いは割と伝わる。そこに揶揄はなく、あってもユーモアだけ。そこを探求したいという気持ちならば、いつでも対話は始まるような。

・書くことと、それでもわからないことは共存しているんだと思う。

・探求という側面から対話を捉えれば、批評や指摘もできて、さらに深まる。対話は成立するものではなく、望んだ形でなくとも、そこで生まれた言葉や探求したいものに対して真摯であれば、よき対話になったという感触が確かにあった。

・対話のギアが入らないというか、型抜きされた均一な言葉しか持たない人と接するのはおもしろくないとは思ってしまうけどね。