2023.04.03-04.09|雑記帳

04.03(月)

・淡々とただ見ること。物語性は後から立ち現れるもので、わざわざ否定しなくていいけど、先に意識して作るものではないと思う。

・自分の心がどう動くかなんて、わかんないものだ。

・まとまった言葉で「それは違うよ」とわかりやすく説明されて、導いてもらえる方がいい人はいるんだろうな。その道を選んでもいい人はいっぱいいるけど、自分は違うよな。

・語学学習はとにかくインプット。好きなものでやればいい。言葉に触れる。そこから喋る言葉が生まれるから。自然な流れから学ぶ。論理じゃない。

・「そしてわたしは あなたへの憎しみなくしても 物書きになり得ただろうか(違国日記)」そういう感情が生み出すものってあるよな。

・ごまだれをつけて肉を食べたい。

・ただそうであることか。眠れない俺が敏感であるとか、ユーザーが配慮を知らないとか、仕組み上は音が漏れるとか、そういうことはあるのかもしれないけど、だから誰かを悪者にしたり、自分を責めるのはなんか違うというか。ただそうだから、見てみること。寝れなかったらやれることもあるし、習慣を変えてもいいし、まだ移動する余裕はあるし、対象を変に評価付けを行うことなく、淡々と捉え直したい。

04.04(火)

・はたらくのは暇なときにやるもの、生活を整えるためにやるものという説。

・社会性とかは使いようというか。健康的に生活できたり、色んな側面があるから、そういう意味で使い倒したらいいのでは。

・「死ぬ気で… 殺す気で書く。死ぬ気で、打ち、鍛え、研いで、命をかけて殺す。そういう作業(違国日記)」素直さを見るってそのぐらいシビアなものと直面することだと思う。

・「でも せっかくなら苦しんで生きたいでしょ(違国日記)」立ち現れてくるものがあるからね。

・孤独に水をやるか。素晴らしい表現。孤独と悩みながら生み出していくことは、なんと贅沢なことだろうか。

・開き直りと己を知っている。

04.05(水)

・何を書くかより何を書かないか。

・本当はただ書ければいいのに欲が出る。ただしたいことが、”ただ”という範疇を越えようと欲張るときはあるよね。

・「他人のためになんか書かないよ。…というか、みんなそんなに人のためにとる行動なんてないでしょ(違国日記)」自己中や逆張りとも違う、どうしようもなく書きたかったという気持ち。素直さを見るにはそこを経るんだと思うから。

・「より危ないことをしたやつが勝ち。より女の子をモノ扱いできるやつが勝ち。より楽をしていい目を見たやつが勝ち。その連鎖を断ち切らないでチキンレースやって冷笑してる。本当はプレッシャーで死にそうなのに。(違国日記)」死にそうな目をしているのにそこを見ない。素直さを出そうともしていない。そういう生き方は好きじゃないね。男社会的な土俵の存在をじっくり見てみるようになってから、少し楽になったなぁ。

・何を撮らないのか。それも浮き上がってくるものだよね。

・「…探すまでもなく『ある』ものなので、それを見つめ直せばよいのではないですか?(違国日記)」意味とは見つけ出そうとするものではない。ただあって、それを見ることなんだと思う。

・メモして連鎖していくんだろうな。エコーのように言葉が広がっていく。だから最近文章が楽しいんだろう。何度も書くことで頭に残って、他に派生していくかさ。

04.06(木)

・思ってもいないことを書くような。いや、思ってはいるんだろうという瞬間がある。

・コリビング(多拠点)サービスで思ったのは、これだけで生活するのは俺にはキツい。やっぱりシェアというか、関わりの中でこぼれ落ちるものが気になってしまうし、快適さに欠けるところが多い。気付いてしまったけど、月のうち何日かとか、ライトな使い方をするのが、最も余裕があって楽しめると思う。自分でホテルを予約して繋いでいくのはお金掛かるが、快適ではあるだろうな。今のところ自分にあったサービスはなさそう。ニッチだもんなぁ。

・男性性みたいなものを振りかざしてしまうことがある。暴力的だとわかっていて、そういうノリを率先してやってしまうときは悩ましい。

・芥川龍之介は「自分は文学を、つまり創作を自分の一生の仕事として選んだが、そう決めて、東京の町はずれを歩いていたとき、雨の水たまりがあって、電線が垂れさがり、紫の火花を出していた。そのとき自分は、他の何ものを捨てても、この紫の火花だけはとっておきたいと思った」と言っていた。意味や価値というもの以前に、自分が気付いてしまった語り得ないものがなんだったのか、ただ見つめてみること。そしてそれを人間性の孤独の中で、しっかりと育てていくことは、自分における”とっておかなければならないもの”ってなんだろう。

04.07(金)

・「ーわたしにとっての『才能』は『やめられないこと』(違国日記)」どんなに素晴らしいものを持っていてもやめる理由ができる人もいる。それでも続けてしまったものを、半ば諦めのように才能と呼ぶのだろう。

・いつからだって、なんだって読めるし、どこへだって行ける。

・初めての落語、おもしろかった。喋る間というか、リズムというものがある。また落語聞きたいし、落語をやっている側の感情の機微ってどんなものなのか気になる。

・ライブっていいよな。演者という存在が役に入ることを想像してみると、とても痺れるからさ。

・なぜか意固地のように使わないと決めていた、chatGPTを使ってみようと思った。

・遅刻した上に自分がイライラしてしまう現象。

・問いを愚痴ではなく話せる人と一緒にいることは、ほんとに嬉しいね。俺もつい文句を言いすぎてしまうのだけど、その違和感を場に出して「なんだろうね」と一緒に悩めるのは尊いと思う。

04.08(土)

・我慢してあと楽になるという呪縛の効用を知りつつ、そうじゃない分岐点を見たい。

・居心地のよい場所はきっと世界中あらゆるところにある。

・緊張状態がいい塩梅を生むのは確かにあるな。快適すぎると何もしなくなるからな。

・自分ができない、塩梅が難しいからと言って、自分の原理通りに他者が考えるわけではない。その想像を超えていく様をおもしろがることはできないだろうか。

・綺麗に分かりやすくまとめるという役割はchatGPTが担えそう。情緒的な部分は人間性に関わるような。

・パフォーマンスをする側は、純粋な利他の気持ちになれるのかも。一体感を超えて、楽しませたいという気持ち、ただそれだけになる瞬間は何にも変えられないものなのでは。

・書くプラットフォーム決めないと書けないってことは、読まれる人を多少は想像しているのかな。だとしたら何も決めずに素直に書きたい気もする。

・後からどう考えても些細であることに、どうしようもなく不機嫌になってしまうときがある。その一方で同じく些細なことに、ひたすら痺れるような喜びを感じるときがある。リルケの「若き女性への手紙」を思い出す。

・社交性を駆使しぎる。楽しいけど疲れた。まあ睡眠や家の問題もあるし、知らないうちに最近はめっちゃ疲れているんだろうね。だから影響を受けすぎてしまうんだろう。

04.09(日)

・日記という型。人の日記を読むのは好きだけど、自分の日記は書いていて、あまりおもしろくない。記録としては残すけど。雑記(これ)やメモは、後からなるほどと思うから自分でも読めるし、たまに他の誰かが書いたもののように新鮮に読めるときがある。

・「書くことは奉納」という感覚はおもしろい。人に届けたい気持ちより、何かに明け渡すというか、隙間のようなところに刺しこむようなイメージがあるな。

・俺は枠に囚われているのかもしれない。評価に捉われる必要はないが、なるべく見てくれるところに移動するのは重要なんだと思う。

・書く人たちの穏やかな熱量はいいな。書くときは孤独に持ち帰るというかんじだと思うが、やはり人の活動に触れると、新しい何かがむくむくと立ち現れてくるのはあるんだよな。

・「今の地球は名残りの寄せ集め」って、なんか素敵な表現に思えた。本人にそんな意図なさそうだけど。

・「…言っちゃったことはさ、言っちゃったから存在するじゃん。言わなかったけど思ってたことは存在するのかな(違国日記)」語り得ぬことをなかったことにしたくはないとは思う。

・塩梅という言葉を最近口にしがちだが、いい塩梅のことを「完璧」と言うのでは。完璧を目指すと苦しいのを知っているからこそ、塩梅だと思ったのに、塩梅にこだわることが完璧主義のようになってしまうんだなぁ。塩梅ってなんやねん。

・「自分をつかみ直そうとする勇気ある人は、おとなになってからも何度でも、こういう暗さに耐えることを辞しません。(詩のこころを読む)」勇気、勇気、と呟くように考え込むと、そんなもの持ち合わせていないと思ってしまう。だけど、つかみ直すという、永遠の命題を引き受けるようなことは苦しみでもあるわけで、それを「勇気なんてない」と決めつけず、苦しいことを逆張りとして無理に変換せず、背負ってみることで、紫の火花が現れてくるのかもしれない。