2023.03.13-03.19|雑記帳

03.13(月)

・語り得ない何かに無関心でありたくない。そして、それらを問い直し、捉え続ける人たちに触れていたい。

・内なる孤独から生まれたものは、伝えようとすると凡庸なものになってしまう。そうして語り得ないものとして、無関心になってしまうのかもしれない。だからといって、存在しないことにはならない。たとえ、無関心に晒されようとも、自分はその存在を認めたいと強く思う。

・雑記を書き続けるのは、忘れてしまうのを防ぐのと同時に、孤独から生まれたものがどんなものであるのか、自身で発見するためである。書かなければ知り得ない人生の意味など。

・語り得ないものに無関心でいないために雑記を書くのだ。

・最近撮る写真は、今まで撮った写真と全然違っていて、ただ撮ってみようと思って撮った。結構楽しい。発見がある。その目新しさで、自分も楽しいんだろうか。これは人に伝わらないだろうなぁ。

・往来は写真にもあって、ただ美しさを撮ることと綺麗に撮ることの共存をしていきたい。

03.14(火)

・手紙を言われた通りにロマンチックに書こうとして、その教えられている状況を書いてしまう感じが妙に面白かった(グリーンブック)。素直さって綺麗なものじゃない。両者があるといいんだろうな。

・ぶつかりがあろうとも、それらを乗り越えて繋がることは、いかに大変で、いかに美しいことだろうか。綺麗に整備された道は平穏に見えるかもしれないが、いつ崩れてしまうか不安である。だからこそ、わかりあえなさという孤独を抱いて、乗り越えていきたい。

・人間性というものを捉え直したいのは、人を抜きにして語り得ないと思うから。そこから始まるものがある。

・歴史や先人から学ぶことはありつつ、現実に悲観して不満足である態度を擁護するようではありたくない。いつの時代も今の時代はおかしいと言ってる。だから過去から受け取ったものを抱いて、今を生き抜くことが大切なんだろうな。

・怒りよりも、儚さや悲しさを経て生まれてくる希望を抱く表現をする人に惹かれる。そこは譲りたくないな。

・過去ではなく今なのは、見ないふりをした人間の罪深さを実感して、命の責任を背負い直す必要があるからだ。

・ポアンカレーって響きがいい。何味かしら。

03.15(水)

・論理が先行してしまったとしても、言葉は跳ね返ってくるから、ほんとにそうなのか自問することになる。そこで問い直す道もあるんだろうな。

・問題に対して、自分ごととしてその罪を自覚すること。それしかできないのではないか。

・無我夢中というが、没頭よりしっくりくるかもね。我を忘れるほど。自分の境界線が消えていくほど。

・塩梅を取ることを格闘と呼ぶ。まさにその格闘がないのは、むしろ危ういような。誰かと競い合うのはごめんだが、自らと格闘することは、バランスではあるのかもしれない。

03.16(木)

・世間知らずは良いことなのでは。身近な範囲でぬくぬく感性を育てていくことができる。冷笑を避けられる。こじんまり。閉じようとしても、無意識に開いていくものだから。根は開いていく。

・ちょっと俯瞰できる場所で暮らして、世間との距離感を図るのが合っていると思う。

・誤読という表現ではなく、深層を発見する役割が本人以外に備わっているということだ。

・他者を決めつけることなどできない。合わない人合う人。そう思ってしまうのだけど、よくわからなくなってきた。

03.17(金)

・孤独は絶望を経由するが、そこで終わりたいくないのだと思う。たまに果てしなさに諦めそうになるが、そこを崩してしまいたくない。この気持ちは誰にも侵害されるものではないと思う。

・剥き出しの生に触れると、そこには自分には到底計り知れない根がびっしりと張っている。それを尊重することは、孤独の絶望から差してくる光のように、立ち現れてくる希望を抱くことになるが、その見上げるような巨大さに疲弊することもある。それでも、それらを見ないふりすることはしたくない。観察してそこから立ち現れてくる瞬間をじっと待つことだ。

・生身の人間を見ようとすると、そこにあるのは、自分から見たら歪な形でしかなくて、だからこそ、利害やルールで普遍性を持たせて、少しでも安心したいのかもしれない。

・孤独を抱えている者同士だからこその共振するような出会い方をしたい。それらは絶望を確かに経由しているが、孤独を知っているからこそ、その些細な共振の嬉しさが実感できるのだと思う。

・絶望で止まってしまうのが嫌なのは、そこからどうしようもなく立ち現れてくる、希望を見ないふりしているように思うから。苦しみや悲しみはそれだけでは成立せず、喜びと共存している。その力を信じてしまっている。単なるロマンチストではなくて、絶望したとしても、その先は続いていくと腑に落ちてしまっているからなんだろうな。

・とはいえ、絶望に関して立ち現れてくるものを考えつつ、やはり自分には想像できないどうしようもない絶望や不安はあるのかもしれない。運はいい方だと思うからさ。

・書くことは書き直しができる。話すことは取り返しがつかない。だからといって、書くことが取り繕いで、話すことが真実だとは思わない。書くことで、書かなければ知り得なかったことを発見する。それは話すこととはまた違った、その瞬間立ち現れてくる、たった一回の営みであるように思う。

・自分に素直になろうとすると、社会的に立場が危うくなるという意識が、素直さを疎外するのかもしれないね。

03.18(土)

・表現というか、生きていて抱える思いや問いを未消化のまま、漂わせたくないだけ。なぜかわからないけど、それらを書き留めて変換して、生き抜きたいのだ。

・「虚心坦懐(きょしんたんかい)」で、その眼で観ること。

・やるしかないという思考。それは避けている気がする。必ず自他を追い込む言葉だと実感しているからかもな。

・資本主義とアジールでお互いに喧嘩せず、得意なところを担当して、仲良くやっていこうやという感じ。だからこそ人間性の捉え直しをしたい。

・写真から距離を取ったりしてみたが、最近は馴染んできたというか、まあカメラ持ってくか、撮るか、と自然な気持ちで撮ってる。これはすごくいいな。

・理想があるから苦しむのだが、理想があるから生き抜けるのだと思う。

・淡々とやることがある大切さ。人生の意味。

・随筆でもすっと入ってくるもの、気に食わないものは何が違うのだろう。自分に聞いていたら、粘り気やかまってほしさは出ないのでは。だから真摯に聞いている、孤独を見ているかとかが、好む文体なのかもな。

03.19(日)

・塩梅とはよく言うが、問いを諦めた態度のちょうど良さではなく、ちょうど良くはならないだろうけど、そこら辺を行ったり来たりすることを試すという感覚に近い。

・友達という捉え方はあんまりしなくなったかもな。むしろ、それぞれの人との距離を測っているような。個々の距離感は流動的なんだけど、それでも塩梅を取ろうとしていて。

・友達とそれ以外の線引きをハッキリしたいわけじゃなくて、曖昧にしておきたいんだろうな。流動的だと知っているから。

・どういう家(暮らし方)にするか悩ましい。適したものがないように感じる。ほんとにどうしましょうかね。