2023.02.20-02.26|雑記帳

02.20(月)

・自他の差異を強調しすぎるとモヤモヤするのかもな。自分と他者は固有であり、差異もあるからこそ面白く、それでも自他は等しい存在だと論理矛盾的に包容することが、人を愛する第一歩かもしれない。

・エーリッヒ・フロムは「愛は技術である」と言った。”愛は技術である”ならば、生きることの鍛錬によって、身体に馴染んでいくものなのではないだろうか。

・苦しみや悲しみを高尚で綺麗なものにまとめようとしてないか気をつけたい。かといって、苦しみに意味がないと避けるのも違う。苦しみはあるもので、まあ苦しいですよね、楽しいこともありますけど、みたいな素直さが自己欺瞞や分断を和らげるんじゃないか。

02.21(火)

・全ての人に受け入れてもらうために、重要で価値があると自身が思っていることを、何ひとつ言わなくてもいいのだろうか。多くの人の共感を得られなくとも、たったひとり、その人の中に何かを生むことができたら、それだけでいいじゃないかと思う。

・”全く同じ状況に陥ったとき、自分ならどうするかを自問せずに、他者を裁けない”とはまさに。

・個人の性格うんぬんより、それでも生きていきやすい環境は何なのか探求した方がいいと思うんだ。

・好きな人でも神格化しないってことだ。素晴らしいと思いすぎると、人間の矛盾性に耐えきれなくなる。いい人わるい人など、いないのでは。そこにいるのは、流動的な人間で、生きていることを尊重したい。性格がいいとかつい言っちゃうけどさ。

・還元主義。ある事象を研究する際に、元の要因に立ち戻って調べようとする考え方。ってまさにあの違和感だ。構造の外を知りたい気持ちは、突き詰めすぎると、それ自体を求め続けるという、強迫観念を抱いてしまうのかもしれない。

・「カラタチ」が「オレンジ」と細胞融合すると、「オレタチ」になるのウケる。一体感あっていいねぇ。

02.22(水)

・快と不快という基準を過大評価しすぎていたのかもしれない。そこはただの結果で些細なものであり、過程が大事だという話に近いような。

・職業が悪いというよりは、「はたらくこと」を考えて、技術の提供を超えた、人間的な部分に差し掛かったとき、仕事から「生きること」に意味が与えられるのかもしれない。むずいけどね。

・愛とは対象の”もっているもの”ではなく、相手そのもの、ある状態そのものを愛するのである。精神的な人格は他者と変わりえない。所有的態度で相手を扱っているのに違和感があるのは、そんなかんじか。

・今はものすごく安全だ。これからまたたくさん人と会って、噛み合わないことを経験していくんだろう。その度に悩むと思う。だけど今は無駄じゃない。きっとまた捉え直せるはずだ。

・仕事は何もかも全てが有意義であり、満たされるものでなければならない、というのは呪いなのかもしれない。よくわかんないけどお金をもらえる仕事がある。それは無駄だと言うこともできる。だけど、それで誰かが生活できるならいいじゃない。

02.23(木)

・目の前にいる「生の人間」に出会ってしまったとき、様々な属性を考慮してしまうが、果たしてそうなのだろうか。文化背景、性別、年齢、立場、職業などの差異を強調してしまったりするが、生の人間に対峙したとき、自分にできることは、抱えてしまった「いやしい優越感」をどう捉え直すかなのかもしれない。良し悪しじゃない。共感という次元じゃない。絶望的で希望的に、生の生き物がそこにいるだけなのだ。生ってなんだよ。

・空想の中で家族を持ち、ネットで検索して出てきた人の写真を自分の家族だとして、部屋に張り出してしまう人。誰かの写真を撮り、綺麗に撮ってくれてありがとうと喜ばれる人。評価の前提を疑うのはややこしくするためでもなく、曖昧さを受け入れるためだ。

・公共性について考えている。どこかヨーロッパあたりで、日本との違いを論じた本があったような。なんだっけ。

・働くに成長というニュアンスがあるから息苦しいのかも。役割をただ担うなら、できなくても気にしないで、ぐらいだったら気軽でいいんじゃないか。

・自分の人生は自分で決められて、本当だとされていることを、本当なのか問うてもいいと思えるのは、素晴らしい。

02.24(金)

・文章は書きたいときに書き切った方がいいのかも。今日書きたいことと明日書きたいことは違う。

・町中華に行きたい。

・見ること。ただ、その対象を見ること。それが結果的に撮ることになる。

・本を読み、人に会っていくと、今まで色んな人が生きてきたんだし、絶対なんとかなるでしょと思える。歴史が証明している(言ってみたかった)。そして、その歴史の積み重ねを真似してもいいし、組み合わせてみてもいいし、助けられながら新しいものを作ってもいい。とにかく見て、感じてみること。

・何かが起こって反応だけする前に、じっくりと見てみたい。是非や善悪じゃなくて、観察する。そこにはそれらのジャッジを超えた何か問いがあるはずだ。

・自分で難しくしていることってあるんだよな。それは意外と簡単だったりするんだよね。

・豆腐ってすげぇよ。毎日食べても飽きない。美味しいけど感動はない。いるのにいない存在。すごい。いつも食べ物に対して思うけど、最初に発見した人なんなん?

02.25(土)

・誰でも語りたいことがある。様々なベールを剥がしてみたら、剥き出しの生がある。それを出しやすい、とても小さい空間をせめて周りには作っておきたい。

・誰かの上に立ったふりをして、安心できることなんてない。立ったふりが成功したとしても、落ちないように必死だ。どの状態でも苦しさはある。立ったふりはやめよう。安心などないんだよと自分に言い聞かせる。

・心地よさを感じるときもあるが、極めて流動的なのだ。

・自分の感覚を補強する本、相対化する本、ときには違うものだっていい。どっちがではない。

・わかりやすさをモノサシにすると、曖昧さの塊である人間性が蔑ろになる。価値の有無は普遍的ではない。

・毎日夜を味わえるのは至福だ。

02.26(日)

・ちょうどよく働く。気楽に働く。塩梅を取るために活用するってかんじ。

・圧倒的な正しさだと言われていことには、気をつけていきたい。

・話半分で聞くこと。それが塩梅なんだろうな。没頭からたまには離れること。信頼してるけど、地に足をつけていくこと。

・生は苦しいものである。それを受け入れることで、”自分が持っているもの”を失う怖さだけはなくなってくる。

・評価の前提を疑うのはややこしくするためでもなく、曖昧さを受け入れるためだ。

・苦悩に満ちていることは、人間として満ち足りていないということではない。人間は苦悩の中に見るものがあり、成熟していくのかもしれない。花粉症が人を成熟させるのだ。